東北へ
とりあえずキリの良いところまで
欧州で火の手が上がった1914年8月。耀子は煕通の次男信煕と一緒に、鉄路で東北帝国大学のある仙台へ向かっていた。
「ごめんなさい信煕お兄様。貴重な夏季休暇でしょうに」
「いや、俺以上の適任はいなかったろう。ついでに仙台観光としゃれこむのも悪くない」
信煕は陸軍砲工学校に在学しており、近衛野砲兵連隊付の立派な砲兵少尉になっていた。成績は優秀で、上位1/3~4の者しか進学できない高等科にも進学できる見込みである。
「このころの仙台か……とりあえず東北大はあるけど、他に何があるんだろう……」
「このころ……?」
「ああごめん、こっちの話……」
思わず口を突いて出た言葉を、耀子は笑ってごまかす。
「……耀子、お前、昔からいろいろと変だったよな」
「ま、まあ……そう、見えるよね」
「いや、お前のおかげで家も潤ってるし、別に悪いわけじゃないんだが、なんというかこう、違和感があるというか」
父親である煕通は理由を知っているし、人のよい信輔は「耀子はそういうもの」として受け入れていたが、信煕は常日頃から耀子のふるまいに違和感──決して嫌悪感ではない──を抱いていた。
「何かについて言及する時も、昔から"このころ"とか"今の"とか言うことが結構あるし」
「ぎくっ」
「年頃の女にしては挙動がおやじ臭いし」
「うげっ」
「学校の成績も極端だし」
「なんで知ってるのよ……」
「お父様と俺の成績について話してた時にぽろっと」
耀子にとって学習院女学部はあまり居心地の良いところではなかった。皇族はちょくちょく見に来られて落ち着かないし、そもそも「女だてらに会社のオーナーになっている」耀子は学校でも浮いた存在であった。成績も歪で、歴史、数学、理科、音楽の4科目は学内でもトップだったが、修身、地理、家事、裁縫、体操の成績は中の下ぐらいで、本人の興味関心が露骨に結果に表れている。五摂家という家格のおかげでいじめを受けることこそなかったものの、親しい友達もできないまま大学生になってしまっており、完全にボッチ陰キャのそれであった。
「コンプラ違反だよお父様……」
「ほら、また変な外来語を使っている。……なあ耀子、お前は、何者なんだ?」
「……とりあえず、鷹司家の次女なのは、間違いないです」
「そうだな、家族のだれもが誇る、進歩的で賢い妹だ。だがな耀子、本当にそれだけか?」
信煕の問いに、耀子は困ってしまった。自分が逆行転生した事実を、伝える意味があるのかわからなかったからだ。
煕通の時は、自分がまだ幼いため、様々なものを代わりに用意してもらう必要があった。そのためには4歳児らしからぬ能力を発揮し、動揺しているところに畳みかけて、自分が未来を知っていることを信じてもらう必要があった。そして何より、それが失敗したとしても、幼児の戯言として笑って済ませてもらえる可能性が高かった。
だが今は違う。耀子はもう17歳。自分がある程度自由に動かせる会社があるし、ほぼ大人としての立ち振る舞いを求められる年齢である。そんな自分が「私の前世は未来人だった」などと言い出したら、下手すると気が狂っていると思われかねない。信煕がそこまで極端な人間だとは思っていないが、耀子には一生「兄におかしなことを言ってしまった」というトラウマが残る。そんなことは許容できなかった。
「……」
「ま、自分でもわからないよな。じっくり考えて生きていけばいい。そのための場としても、大学はちょうどいいだろう」
「そう、ですね……」
どうやら信煕は何か確信があって先ほどの問いを投げかけたのではなかったらしい。耀子はほっとした半面、父以外の理解者を得る機会が失われてしまったかもしれないことを、少し寂しく感じた。
「ちょっと哲学的な話になってしまったな。話題を変えようか」
「ありがたいです。今欧州で起こっている戦争の話とか、そっちの方が気楽ですね」
「女学生のする話題じゃないだろそれは……」
「ははは……」
信煕の突っ込みに、耀子は力なく笑った。有機化学の一分野(この当時、まだ高分子という存在は認められていなかった)に知悉し、歴史と軍事と科学の話題を好み、唯一の女子(というか華族)らしい趣味と言ったらピアノの演奏だけといった有様の耀子は、この年になってもお見合いの申し出が来たことがない。
「それこそ、こういう性分ですから、もうどうしようもないです……さて、墺独は露仏に宣戦しましたが、いつ頃終わると思います?」
「そうだな……ドイツ軍はフランス相手に快進撃を続けていると聞くが、一方でロシアには東から押し込まれ始めているという話もある。ドイツは早期にパリを陥落させてロシアに全力を差し向けようと考えているんだろうが、エルザスやロートリンゲンからパリは距離がありすぎて無理だろう。いくら欧州の交通事情が満州より良いといっても、あれだけの大突破をかまして補給が続けられるとは思えない」
信煕は日露戦争時の日本の戦訓から、ドイツ軍の攻勢は補給の問題でパリまで届かないだろうと予想する。
「そうなると、ドイツはフランスへの攻勢を中止して、延命のために対ロシア戦線へ戦力を移動させるだろう。ロシアの側も、兵站の問題で進軍速度には限界があるから、いくら我が国との実戦経験で鍛えられたといっても、ベルリンまで押し込むことはできないはずだ。そうなれば戦線は膠着し、持久戦が始まる」
「フランス軍が反撃に出る可能性は?」
「かなり高いが、まず間違いなく失敗するだろう。奴らは日露戦争の戦訓にあまり興味を示していなかったようだからな」
史実でも、フランス軍は日露戦争で示された機関銃の有効性にあまり興味を持っていない。この世界では日本軍の浸透戦術によって機関銃陣地の効力が減殺されていたため、なおさらであった。
「とはいえ、もう少ししたらイギリスも何らかの口実でフランス側に立って参戦するだろうし、そうなれば我が国も日英同盟を口実にしてドイツに宣戦できる。イギリスとともにフランス軍を教育し、ロシアと共同して東西から圧迫すれば、さしものドイツも膝を屈するはずだ」
「そうですね、さすがにそこまでされれば、私もドイツは降伏するものと思います。オーストリアはどうしましょうか」
「正直なところ、ここ十年くらい彼の国との関係は良好であったし、できれば攻め込みたくはない。あの国は様々な民族間の複雑なパワーバランスの上に何とか存在しているらしいから、下手に追い詰めて四分五裂されてしまうと、中欧情勢が不安定になるだろう」
「私も同意見です。であれば、セルビアは見殺しにした方が都合がいいですね。そうすれば、オーストリアの当初の戦争目的は達成されて、戦うべき相手が事実上勝てる見込みのないロシアだけになります」
酷い意見だが、オーストリア=ハンガリーが史実通り解体されない状態で講和に納得するであろう状況としては、それが一番現実的であった。そもそもセルビアのふるまいもあまり行儀がいいものとは言えないため、耀子のセルビアに対する感情は前世よりもだいぶ悪化している。
「問題はロシアをどう黙らせるかですね……あそこは絶対納得しませんよ」
「一番短絡的なのはオーストリアと結んでもう一回ロシアと戦うことだが、戦争なんかしても儲からないからな。できれば避けたい」
「向こうも戦争どころの騒ぎじゃなくなってくれればいいんですけど……都合よく内乱でも起こってくれたらいいんですけどね……」
「そして、そんなもろもろを解決するとなると……大体2年後、1916年ぐらいに終結するんじゃないかな」
二人が議論を続ける中、列車は仙台に向けてひた走っていった。