鶏をして夜を司らしめ狸をして鼠を執らしむ
仕事を割り振るときは、その人に向いているものを与えるべしという意味
※"狸"は猫の事らしいです
耀子が学習院女学部を卒業したころ、煕通の長男で耀子の兄の1人である鷹司信輔は松戸に向かっていた。彼は東京帝国大学の飯島魁教授の元で鳥類の研究に没頭する日々を送っている。
さて、この当時の動物学といえば、基本的に生息域の特定や新種の発見などが主な研究テーマであった。このため、標本としてその地の動物を採取することが求められ、特に鳥は捕獲が難しいため、専門の猟師を伴って山の中に入ることもよくあったのである。信輔もそのようにしていた研究者の一人だったのだが、ある日煕通から
「鳥の標本を採取させるのにちょうどいい方が陸軍幼年学校にいるから紹介しよう」
と言われ、今日はその人物と一緒に鳥の採取をすることになっているのだ。
(しかし父上も人が悪いなあ……)
しかしその人物の出自が問題だった。煕通が紹介したのは、山階宮芳麿王、皇族である。煕通が言うには、信輔同様幼いころから鳥が好きで、日本動物学会の動物学雑誌を購読し、最近は信輔たちが立ち上げた日本鳥学会の雑誌「鳥」も毎号欠かさず読んでいるという。
(猟銃が使えて、いままでも休みの日には自分で鳥の採集に出かけられているというから、確かに非常に心強い方ではあるけど……)
信輔とて五摂家の一角、鷹司家の長男ではあるが、皇族は文字通り格が違う。そんな人物を助手として使うのは、信輔にとって非常に恐れ多いことであった。それでも今回、鳥の採集を手伝ってもらおうと思ったのは、やはり山階宮芳麿王という人物への好奇心が抑えきれなかったということである。
「……ん?ああ!もうしわけありません!」
遠くに何やら人を待っていそうな少年を見かけて、信輔は駆け出した。
「……ん?ああああすみません!私が早く来過ぎただけですから、どうか落ち着いて!」
遠くから信輔が走ってくるのを見て、芳麿は慌てて叫ぶ。それでも信輔は止まらず、結局息を切らせて芳麿の元まで駆け込んだ。
「はぁ……はぁ……おまたせして……もうしわけありませんでした……」
「いえ、まだ待ち合わせの時間まで余裕がありますよ。私は日本鳥学会の方の研究のお手伝いができると聞いていてもたっても居られず、意味もなく早く来てしまっただけですから……」
お互いに恐縮しあう二人。25歳の信輔に対して芳麿は11歳も年下であったが、信輔はそんなことは気にも留めず謝り倒していた。
とはいえさすがにいつまでもこうしているわけにはいかない。息が整ったところで、信輔から切り出した。
「……それでは、本日調査する場所に行きましょうか」
「は、はい!よろしくお願いします!」
調査予定地点へと移動しながら信輔と芳麿は様々な話をしたが、やはりその話題の中心は鳥のことに集中した。
「そうしたら妹の言う通り、白米だけを与えていた鶏は本当に脚気になって倒れてしまったんです」
「なんと、その実験は私も聞いた事がありますが、鷹司さんは自分の家でそれを試したのですか……」
信輔が脚気実験の話をすると、芳麿は感激した様子で食いつく。
「今までは何となく、野生でその鳥が食べているものを与えればよいと考えていましたが、鳥にもやはり栄養バランスの良いエサが必要なのだとわかりましたね」
「そうなると、今回鳥を採取するのは生息域の確認というより、消化管の内容物を調べることが目的ということですか?」
「……!その通りです。よくわかりましたね」
「研究者の多い東京近郊のこの場所で、今更鳥類の分布調査をしても、あまり得るものはないような気がしたんです。そしたら鷹司さんから鶏の脚気の話が出てきたので……」
芳麿は照れ臭そうに推論を披露する。なかなか頭の回転の速い人物のようだ。
「すばらしい……それだけの能力があれば、軍でもきっと大成するでしょう」
「ありがとうございます……とはいえ、私はあまり軍人には向いていないと思うんです」
「おや、それはどうしてですか」
「体が弱いんです……病気がちで、演習もよく休んでしまうので、区隊長にも迷惑をかけてしまっていて……けれども私が陸軍の軍人になることは先帝陛下のご沙汰ですから……」
芳麿は幼稚園時代に百日咳やしょう紅熱を兄武彦にうつされて以来、風邪や扁桃腺肥大で頻繁に熱を出すようになってしまっていた。
「なるほど……」
正直なところ、信輔は芳麿に軍人ではなく鳥類学者の道を目指してほしいと思っている。しかも、本人も軍人にはあまりなりたくないようであった。何とかしてやれないものかと、信輔は深く考え始めた……
史実でも鷹司信輔と山階宮芳麿は共著論文を書いていたり、信輔が芳麿の取ったデータを著書(鳥と暮らして)に引用したりしているので、この二人の関係が良好であったのは確かだと思います。ただ、この時点で面識があったかというと多分ないと思うので、そこは歴史が変わっていると思います。
多分信輔の研究テーマも史実と変わっているのですが、彼は史実でも鳥の飼い方についてよく研究しており、著書「飼ひ鳥」が500ページ近い大作になっていますので、脚気実験を経験していることを考慮すると、餌の研究をしていてもいいかなと思いました。