大日本帝国海軍主力艦事情
地の文しかなくて本当にごめんなさい
日露戦争中特に良いところが見せられなかった日本海軍であったが、もう1つ頭を抱えていることがあった。英国戦艦ドレッドノートの出現である。
ドレッドノートは現在でも「弩級」という日本語に残っている通り、当時の常識では考えられないほど強力な戦艦であった。近代戦艦の基本はこの艦で一足飛びに完成したといってもよく、
・中間砲を全廃して同一口径の主砲を多数(前弩級戦艦が4門なのに対してドレッドノートは10門)装備し、統制射撃によって遠距離砲戦でも現実的な命中率を保つことができた
・蒸気レシプロではなく蒸気タービンを装備し、高速(21ノット)を発揮した
という具合で、建造したイギリス海軍の物を含むすべての在来戦艦を旧式艦にしてしまった。
不幸だったのは、日本海軍が日露戦争の勃発に対応して、前弩級戦艦を多数発注・起工してしまったことである。日本は日露戦争の準備として戦艦香取、鹿島をイギリスに発注、さらに国内では戦艦薩摩、装甲巡洋艦(と言いつつ、事実上の巡洋戦艦だった)筑波、生駒を建造している。これらの就役は日露戦争に間に合わなかったが、いずれも主砲を2基4門しか持たない前弩級であり、就役当初から旧式化しているという不幸な艦であった。政府が陸軍を支持する国民に忖度して海軍予算を削ってしまった(この影響で起工して間もない戦艦安芸が建造中止になり、まだ進水していなかった装甲巡洋艦鞍馬は水上機母艦に設計変更された)こともあり、少ない予算で効果的な船を建造するべく、海軍上層部は艦の設計に関して次の方針を立てた。
・艦砲は305mm(戦艦用)、152mm(防護巡洋艦、戦艦副砲用)、120mm(駆逐艦用)の3種に絞る
・1隻の船にできる限り多くの砲を載せ、装甲を厚くする。そのためには多少船が大型化しても構わない
・船が大型化しても構わないが、速力は戦艦でも22kt以上は持たせる。つまり、艦形はスリムにする
この世界の日本海軍では黄海海戦やロシア海軍ウラジオストック艦隊の跳梁が印象に残っており、敵艦をきちんと見つけ出す索敵と、現場に急行し、発見した敵を逃がさない速力、容易に沈没しない防御力を重視している。この方針の下でまずは1912年に河内型戦艦河内、摂津が就役した。
河内型戦艦
排水量17800t
全長180m
全幅20m
機関宮原式石炭・重油混焼水管缶16基+ブラウンカーチス式直結タービン2基2軸推進
最大出力30000shp
最大速力23.0ノット
航続距離18ノット/2700海里
兵装
45口径305mm連装砲4基
45口径152mm単装砲20基(ケースメイト12基、砲架8基)
装甲
舷側:305mm(最厚部)
甲板:76mm(最厚部)
主砲塔前盾:305mm
主砲塔上面:76mm
主砲バーベット:279mm(最厚部)
司令塔:254mm(最厚部)
完全に史実の河内型戦艦とは別物になっている。主砲を2基4門減らした代わりにすべての主砲が首尾線上に配置され、片舷に全主砲を指向できるようになった。背負い式に搭載するという発想はまだなかったため、艦首の1番2番砲塔と、艦尾の3番4番砲塔はそれぞれ背中合わせに配置されている。ドレッドノートよりも高速で装甲も厚く火力も事実上同等(ドレッドノートは2番3番主砲が首尾線に対して並列に搭載されており、片舷に向けられる主砲門数は河内型と同じ8門)の船を独力で設計することに成功したのである。
しかし海軍は素直に喜べなかった。河内が起工された1909年に、イギリスは343mm砲を首尾線上に5基10門装備するオライオン級超弩級戦艦を計画していたからである。しかし、さらなる大口径主砲の開発は金と工数がかかる。史実ではイギリスを頼って金剛型を建造したが、この世界では予算が削られており、ヴィッカースとの仲も蜜月とまではいかなかったため、ほぼ独力でこの状況を何とかするしかなかった。その結果1913年より順次竣工したのがこの世界の金剛型装甲巡洋艦である。
金剛型装甲巡洋艦
排水量27800t
全長222m
全幅28m
機関伊号艦本式重油専焼缶30基+ブラウンカーチス式直結タービン2基4軸推進
最大出力70000shp
最大速力26.0ノット
航続距離18ノット/8000海里
兵装
45口径305mm三連装砲5基(艦首側2基、艦尾側3基。背負い式配置)
45口径152mm単装砲16基(ケースメイト16基)
40口径120mm単装砲10基(砲架10基)
装甲
舷側:254mm(最厚部)
甲板:76mm(最厚部)
主砲塔前盾:305mm
主砲塔上面:76mm
主砲バーベット:279mm(最厚部)
司令塔:254mm(最厚部)
最大の特徴は、オーストリア海軍のラデツキー級と同様に三連装砲を採用したところである。大口径砲の開発ができない日本海軍は、砲門数を増やして投射量で対抗することにし、重量を軽減するためにヴィッカース社と共同で三連装砲塔を設計・搭載した。もっとも、この砲塔は小型軽量に仕上げるために砲と砲の間隔をぎりぎりまで切り詰めたため、2門以上同時に発砲すると砲弾同士の衝撃波が干渉して散布界が広がる不具合があった。原因の特定に時間がかかったため、一番艦金剛と二番艦比叡は就役してからしばらくの間交互撃ち方のみで砲戦を行っている。
また、省力化とボイラーの削減を狙って重油専焼缶を採用しているのも先進的であった。北樺太を獲得し、そこの油田から重油が得られるようになったというのもあるが、そもそも重油専焼缶としないと要求性能が満たせない公算が高かったというのが大きい。ここで問題になってくるのが水雷防御である。喫水線下に破孔を開けられた場合、石炭を燃料に使用する船は石炭庫がそれ以上の浸水を防ぐのであるが、石炭を使用しない船には石炭庫がないため、耐水雷防御力が不足する懸念があった。史実通り舷側装甲を喫水線下深くまで伸ばすという方法もあったがそれでは最厚部も史実通り203mmしか確保できない。
そこでちょうど帝国人造繊維から売り込みがあったのが軟質ウレタンフォームである。ウレタンフォームは発泡材であるため極めて強力な浮力材として働き、石炭同様に浸水を防ぐことができた。金剛型はこれを水密区画に充填することで、史実における水雷防御の弱さを克服しつつ、舷側装甲も増厚できたのである。
さて、先ほどこの世界の日本海軍は索敵を重視するようになったと言いつつも、ここまで紹介した艦にそこに対して工夫があったものはなかった。というのも、戦艦に艦載機を載せる余力がなく、先述した水上機母艦鞍馬と、準同型艦伊吹からの水上機によって索敵するものとされたからである。
鞍馬型水上機母艦
排水量10000t
全長137m
全幅23m
機関鞍馬:宮原式石炭・重油混焼大型水管缶28基+直立型3段膨張式4気筒レシプロ機関2基2軸
伊吹:伊号艦本式石炭・重油混焼缶18基+カーチス式直結タービン2基2軸
最大出力鞍馬:22500shp
伊吹:24000shp
最大速力24.0ノット
航続距離18ノット/3000海里
兵装
45口径152mm単装砲16基(砲架16基)
揚収クレーン4基
装甲
舷側:76mm(最厚部)
甲板:25mm(最厚部)
搭載機数
三年式偵察飛行艇×16+4
三年式偵察飛行艇は三年式襲撃機の飛行艇版であり、乗員が3名(操縦手、通信手、偵察手)に増やされ、無線電信機が搭載されている。水上機を使った16本の索敵線を延ばせるのは、この時代では驚異的な索敵能力であり、これが後の大戦で日本側に数々の戦術的優位をもたらすことになった。




