鳶もタカ科
史実に20年以上先駆けて近接航空支援機を製造することになった帝国人造繊維社内はにわかにあわただしくなった。設計は前回の"鳶"の物をできる限り流用しつつ、自社開発する新型エンジン2基を串形に搭載し、翼端にエルロンとしても稼働するテーパー翼を2m分付け足すことで、少しでも積載量を稼ぐという取り組みが行われた。
「しかし、目標最高出力100馬力ですか……」
「この前使ったグラーデ製エンジンは16馬力しかないんだが、これを6倍以上になんてできるのか?」
「私たち単独では無理ですが、できるはずです。大阪砲兵工廠の力を借りましょう」
この世界の大阪砲兵工廠は四四式輸送車本体の製造を行っている。エンジンは輸入しているが、国産化に向けて研究も行っており、すでに何台か試作したという。助言をもらい、試作を発注する相手としてこれ以上のものは国内に存在しないだろう。
(まだ世界は2ストロークエンジンの偉大な可能性に気づいていない。排ガス規制もないこの時代なら……!)
耀子はグラーデのエンジンが2ストローク機関であることに目をつけた。2ストロークエンジンは小排気量でも大出力が発揮でき、構造が単純なため製造も容易で、昭和後期の二輪車や軽自動車のエンジンはほとんどが2ストロークエンジンである。しかし、この当時のデイ式2ストロークエンジンは高出力化ではなく、既存特許の回避のために設計されていたためとにかく熱効率が悪く、出力も低かったのだ。これを改良するため、耀子は以下のような技術を盛り込む。
1.ルーツ式ブロワによる強制掃気
2.ループ掃気
3.シリンダー配置を水平対向4気筒とし、同時に2つの気筒で爆発が起こるようにする
4.点火タイミングが同一のシリンダー同士をエキゾーストマニホールドで結び、排気干渉によって吸気の吹き抜けを防止
5.シリンダーヘッド側にスキッシュエリアを設ける
カギになるのは2ストロークエンジンの作動原理である。現代に普及している4ストロークエンジンは、吸気→圧縮→膨張→排気の4工程を2回転の間に行っている。1サイクルを終えるまでにピストンが4回動くので、4行程エンジンと呼ばれている。
一方、2ストロークエンジンでは2行程、すなわち1回転の間に1サイクルを終わらせるため、吸気によって排気を追い出す「掃気」という方法を用いる。このため、せっかく吸い込んだ新鮮な混合気が、そのまま排気されてしまう「吹き抜け」という現象が起こりがちであった。
昭和後期以降の2ストロークエンジンでは、排気管にチャンバーというふくらみを設けて排気ガスをシリンダーへ逆戻りさせ、吹き抜けてきた新気をシリンダーに押し戻すということがよく行われたが、エキゾーストマニホールドのつなぎ方や点火順序を工夫し、排気ガス同士をぶつけることでも同じことができる。4ストロークエンジンではスムーズな排気を阻害し、エンジン出力を低下させるとして忌み嫌われる現象であるが、2ストロークエンジンではこれを積極的に起こして、できる限り大量の混合気をシリンダー内に詰め込むことが高出力化につながるのだ。そして、ルーツ式ブロワ、つまりスーパーチャージャーを装備し、掃気効率を改善するために一旦新気をシリンダー内壁に当てて反転させるループ掃気とすることで、この時代としては驚異的な排気量あたり馬力を達成したのである。
設計途中に耀子が受験のため開発チームから離脱するなどのハプニングもあったが、帝国人造繊維の試作した機体は欧州列強の機体に勝るとも劣らない優秀な性能を示し、1914年、設計試作の完了を待たずに正式採用された。
帝国人造繊維 TP22A 三年式襲撃機"金鵄"1型
機体構造:高翼単葉、串型エンジン配置
胴体:鋼管フレーム(コクピット部はナイロン板とポリカーボネート板で被覆)
翼:矩形翼、GFRP/ナイロンフレーム羽布張り
翼端部から2m:ウィングレット付きテーパー翼、鋼管/ナイロンフレーム羽布張り
翼型:DAE21(のようなもの)
フラップ:スプリットフラップ
備考:ダイブブレーキ装備
乗員:1
全長:8.7 m
翼幅:14.2 m
乾燥重量:220 kg
全備重量:800 kg
動力:帝国人造繊維"A040A" 強制掃気2ストローク空冷水平対向4気筒 120ps ×2
最大速度:215 km/h
航続距離:500 km
実用上昇限度: 6000 m(爆装時3000m)
武装:三八式機関銃(布弾帯仕様)×4
爆装:45kg爆弾(四五式十五糎加農砲破甲榴弾改造爆弾)×8
外見上の特徴は、機体後部のプロペラを離陸時に地面に打ち付けないため、垂直尾翼を通常の機体と上下逆に配置し、その先端に尾輪を取り付けていることである。また、バランスをとるためにコクピットと主翼が"鳶"と比較してかなり機体後方側にずらされており、洗濯物が干せそうな見た目から「物干し台」のあだ名で呼ぶ者も見受けられた。
とはいえ前述のとおり性能は非常に高く、爆装すれば8発もの15cm砲弾をピンポイントに降らせることができ、爆装しなければ前方固定機銃を使って戦闘機とも渡り合うことができた。ただし、爆撃任務に就くときは、爆弾搭載量に対してあまりにも軽量な機体があだとなり、爆弾を落とすたびに激変する操縦特性に注意しなければならなかった。また敵戦闘機と交戦する時には、主翼が長大なことが原因で明らかに横転速度が低いという弱点を意識して戦う必要があった。さらに、前方固定機銃の三八式機関銃は発射速度が遅く、威力も飛行機相手では不足しており、曳光弾や焼夷徹甲弾もなかったため「撃っても撃っても相手が墜ちない」と不評であった。
問題点も抱えていた本機であったが、明確な強みを持ち、これ以外に日本がまともな機体を持っていなかったことから最終的に300機が生産され、派生型として海軍向けに小型飛行艇も開発されるなど、後に設立される"帝人飛行機"の礎となる記念すべき機体となった。
史実でも、1909年2月に大阪砲兵工廠でエンジンの試作をしています。1911年5月には国産トラックを製造していますが、これを試しに走らせたところ、往路では怖くなるほどトラブルがなかったものの、復路では案の定壊れてしまい、馬に牽引させて帰る羽目になったようです。
元から2stエンジンで日本の発動機事情を変えようとは思っていたんですが、都合よくグラーデ単葉機のエンジンが2stだったので、思ったよりスムーズにいきました。2stエンジンを持ち出す火葬戦記ってあるんですかね。私は見たことないです。