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日ソ国境紛争

毎度お待たせしてすみません。

「またアムール川流域で銃撃戦かあ……」


 朝、耀子が食卓で新聞を広げて難しい顔をしている。


「最近多いですよね。学校でもよく話題になっています」


 東京高等学校尋常科4年生の長男耀之(てるゆき)が言った。


「あの国はロシア戦争以降強力な指導者が現れず、国内が混乱して外征どころじゃなかったんだけどなあ……」


 息子の言葉を受けて耀子がぼやく。この世界では1928年から1930年にかけて、ロシアがチベットの支配権をめぐって日本、ドイツ、オーストリア、イギリスと戦争をしており、その戦時賠償として日本は沿海州とそれなりの賠償金を得ていた。


「トロツキーが政権を握ってから急激にまとまってきたよね。演説が抜群にうまいんだとか」

「それで、国内がまとまってきたから、外に目を向けてきたってわけか……迷惑な話だなあ……」


 芳麿の感想に対して、耀子がうんざりしたように首を振る。相変わらずアメリカとの外交関係はよろしくなく、その上今年の大統領選では親中華民国、反日本的な姿勢を見せているルーズベルトが勝ちそうなのだから、そんな時にもう2回も打倒したロシアなぞにかまっている暇はないのだ。


「しかし、何を狙ってロシアは我が国に軍事的挑発を繰り返しているのですか? 普通に我が国と戦端を開けば、数年前の二の舞になると思うのですが」

「本当に『数年前の二の舞』になるか確かめている、というところじゃない? アムール川流域の、国境がわかりにくい中州の領有権を主張して、局地戦を戦うことで、我が軍の出方を学習する狙いがあるんじゃないかな」


 息子の質問に耀子が答える。こうした行為は、ロシアに限らず、いわゆる「ならず者国家」と言われる国々の常とう手段だ。


「沿海州をロシアに割譲させたとき、こうなることはわかり切ってたから、国境の画定には細心の注意を払ったと聞くけど、人のやることだから抜け漏れがあるし、ロシア側が国内の混乱を理由に立ち会わなかった部分もあったらしいから、そういうところを突かれているみたいだ。目ざとい連中だよ」


 芳麿は背景情報を付け加えると、コップの水を飲みほした。横にいた響子・馨子姉妹は、ごちそうさまを言った後に席を立ち、全員分の食器を片付けて台所へとフェードアウトする。


「で、わが軍は新聞に書いてある通り、ロシア軍を一方的に撃退できているの?」

「たぶん、今のところはね」

「世界恐慌が始まった時、不景気対策として公共投資を増やしただろう? 実はあの時、沿海州のインフラ整備事業と称して、日本側の川岸全域に、ささやかながら永久築城を行っていたんだ」


 そもそも日本としては、領土から得られる収入よりも統治のための支出の方が上回りそうな沿海州は、本当は割譲させたくないものだった。せめて少ない経費(≒兵力)で国境を効果的に防衛できるように、こうした永久築城の構築を毎年地道に行っているのである。


「ささやかと言っても、ごく小規模な小競り合いならば十分脅威になる規模ではあったと」

「真面目に検討するお金もなかったから、どんぶり勘定で作ったらしいんだけど、今のところうまく機能してくれているようで陸軍も安心していると思うよ」


 日露戦争での浸透戦術によるロシア軍への初見殺しに始まり、一次大戦での欧州遠征、ロシア戦争での主導的役割を通じて、この世界の日本軍は史実よりもはるかに多くの戦訓と知見を得られていた。


「で、こうなると心配になるのが満州……(しん)よね」

「……あ! あの国もロシアと国境を接しているから……」

「そう、結構ちょっかいをかけられているみたいなの。でも我が国と違って国力も軍事力もないから、状況はあまりよくないみたいでね」


 史実のノモンハンを思い浮かべつつ、耀子は満州国化している清がロシアに攻撃される懸念があるのではないかと言った。


「中華民国の『北伐』がなし崩し的に中止されたから、我が国も軍事顧問団を引き上げたのだけど、やらないほうが良かったのかな」

「そうしたら今度はアメリカが『日本が満州におけるアメリカの権益を奪おうとしている!』って言うに決まってるじゃないか」

「ですよね~」


 イタリアがエチオピアに侵攻し、欧州の耳目を集めているのに乗じて、中華民国も清に対して「北伐」を敢行していた。しかし、中華民国側は兵器の質と量が、清側は将兵の経験が不足しており、お互いに「攻めたほうが大損害を被る」状況に陥って、結局停戦協定が結ばれている。


 この国清内戦には日本も支援策として軍事顧問団と航空隊を清側に派遣している。しかし、世界恐慌直後にアメリカ人が個人として清に持っていた権益──例えば土地や建物、法人など──を日本人が買い叩いたことと併せて、アメリカの民主党が「我が国の勢力圏を蚕食する日本に毅然とした態度をとるべきだ!」と大衆を扇動していたため、内戦終結後速やかに撤収させざるを得なかったのだった。


「あれ、じゃあなんでロシアの清に対する挑発に対して、アメリカは何も言ってないんですか?」

「言ってないわけではないよ。共和党の一部は怒り心頭みたい」

「でも、今は国会がねじれていてフーヴァーはレームダック化してるから……民主党が親中華民国であり、その中華民国がロシアと仲良くやってる以上、あまり触れたくないみたいだね」


 耀之の気づきに対して両親が回答する。


「……呆れてものも言えませんね」

「言うようになったじゃない。いつもお上品にすましているだけが、上に立つものに求められる行動ではないのよ」


 そのように吐き捨てた耀之を、耀子は嬉しそうにほめた。


「時には部下と一緒に怒り、連帯して困難に立ち向かうことが、最も有効な一手であることもある。まあ耀子さんは軽々しく激昂しすぎな気もするけど」

「……まあ、私は庶民派で通っておりますので」


 苦笑する芳麿の突込みに対して、耀子はニコニコと微笑みながらごまかす。実際のところ、華族らしからぬ耀子のふるまいには昔から陰口が絶えたことがなく、華族界隈での耀子の評判は成した功績のわりに高くない。鈴木財閥──忘れられがちだが、帝国人造繊維とそのグループ企業も、鈴木財閥の一員とみなせる──社員や山形県民、陸軍軍人には広く親しまれているのとは対照的であった。


「まあともかく、一時的に混乱していた隣国が、仮想敵国に復帰したというだけのことだ。耀之はかわらず勉学に打ち込んで、技術者としてお母さんを支えられるように研鑽を続けてほしい」


 国情を憂うあまり、過激な行動に走るものが、この時代には後を絶たない。耀之はそういう性格の人間ではないと知っているが、芳麿は親として警告せずにはいられなかった。


「心得ております」


 無論、そんな親心も、この良くできた息子はよく理解している。彼はまっすぐ父の方を見つめると、短く、はっきりと返事をした。

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挿絵(By みてみん)

本作世界のチベットを題材にしたスピンオフがあります。

チベットの砂狐~日本とイギリスに超絶強化されたチベットの凄腕女戦車兵~ 

よろしければご覧ください。
― 新着の感想 ―
沿海州なんてロシアか清当たりにでも買い取らせてもよかったろうなあ。若しくはアメリカかな?アメリカになら格安か無料で譲って向こうのガス抜きにしてもいい。今なら防御陣地も付いて大変オトクに!
新中華民国>親中華民国ですよね?
耀子さんの怒りはすぐ有頂天に達するからなぁ
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