童心
すみません、昼夜逆転するほどゲームした結果、3週間も体調を崩して退勤後にぐったりする生活をしてました……
現在新作を準備しているため、次の更新も2週間後かなと思います。
「んふふ~」
「まだやってるんですか、耀子さん」
翌週月曜日の朝。材料開発部の片隅で耀子がニコニコしていると、文子が怪訝な顔で尋ねる。
「いやあ、先週の興奮がまだ手にしみついてて~」
「もう……今いくつですか?」
文子はそう言ってため息をつく。この社長は、先週の自動車レースで二位になった悦びを、いまだに反芻しているのだ。まるで何かいいことがあった小学生のようである。
「だってさ~、オーバルコースといっても自動車レースに出て、あの本田宗一郎とデッドヒートして、しかも最後は自車のスリップに潜んでいた文子さんに差し切られたんだよ!? これが興奮しないわけないじゃん!」
「あのって……」
前世での活躍を知っている耀子はそう熱弁をふるうが、現世ではまだ一自動車修理工でしかないために文子にはいまいち伝わらない。特に、耀子としては本田兄弟の車がきちんと完走して、一緒に表彰台に上がれたことが何よりもうれしかったのだが、他の人は──それこそ本田宗一郎本人も──知る由もなかった。
「嫌味になっちゃうかもしれないから、レース後に話しかけに行けなかったのが心残りだけど……というか、文子さんは特に感じることはなかったの?」
「そんなことはないですよ。レース中は無我夢中でしたし、写真判定で耀子さんを差し切って本田さんを振り切っていたことが分かった時はすごくうれしかったです」
「でしょ~!」
やっぱりレースは楽しいもんな、と耀子は満面の笑みを浮かべる。
「でも、翌日まで引きずるほどじゃないです。私ももう大人なので」
「そっか~」
今度は皮肉屋な豚の様にしょげた表情をする耀子だった。
「昔から変わらないですよね、そういうところ」
「三つ子の魂百までともいうでしょ」
ふてくされたようにそっけない返事をする耀子。ころころと表情が変わるところもまた、彼女の年齢不相応なところだなあと文子は思う。
「まあ、いつまでも若いことは技術者として大事らしいですから……」
「まあ、私も若いころの理想をいつまでもこすってるだけなのかもしれないけどね」
「その理想が老いるまでずっと先進的なら、それでいいんじゃないですか? 少なくとも私にはそう見えますよ」
何かを心配するような耀子に、文子はそっけなく返した。
「どうなんだろうねえ……そうだ、その『若いころの理想』の開発状況がどうなってるのか、これまでのまとめを振り返らせてもらっていい?」
正直、自分があんまり神格化されると、帝国人繊グループが時代に取り残される可能性もあると思いつつ、耀子は話題を変えることにする。
「ええっと、例えば"隼"とか?」
「うん。この前試験飛行してたよね」
「そうですね。先尾翼機+ターボファンという新規要素の塊ですが、その割には順調に設計できているようです。奈良原本部長からも『主任設計士に抜擢した堀越君は恐ろしく使えるね』とのコメントをもらっています」
この世界では三菱が造船分野への注力と帝国人繊との(緩い)棲み分けのため、航空分野に進出していない。これにより堀越二郎を帝国人繊で獲得できたことから、様々なプロジェクトで積極的に起用してきた。
「そりゃあ東大でも数人しか入れない航空学科の卒業生だもの。とはいえ、自分が期待されてることもよくわかってると思うし、その重圧に耐えてよくやってると思うよ」
そういう耀子は内心(史実の偉人はやっぱりすごいなあ……やっぱり餅は餅屋だ)と感心している。史学と科学が複合する「技術史」の分野について、趣味で勉強していた史実が青田買いに力を発揮していた。
「耀子さん、技術者や発明家としてもさることながら、人を見出す相馬眼みたいなのも強力ですよね。耀子さんが後援している人や技術は間違いなく大成するって、世間ではもちきりですよ」
「それほどでもない」
案の定耀子は謙虚にも世間の評判を否定する。実際、やってることはカンニングの類で、史実より活躍できなかったら自分のせいになるというプレッシャーも勝手に感じていた。
「まあ、そういうことにしておきましょう。それで、課題としては推力不足で最高速度の要求が満たせていない、というところがありますね」
「それで、F-0を2基がけしたいって要望が上がってきたのよね。これどうしようかなほんと……」
双発にすれば当然推力は2倍になるため、最高速度の要求は達成できるだろう。しかし、エンジン1基分の重量が増えて運動性が悪化するし、燃料消費量も倍増するので航続距離は理論上半減するはずだ。
「一応、双発案の設計を始めてもらっていますが、機体後部の重量が増えるせいで重心が空力中心より後ろに下がってしまうため、その解消に難儀しているみたいです」
「重心が空力中心より前に来てないと、いったん姿勢が崩れた時に、余計に悪化させる方向に動いちゃうから、人間が操作する以上重心は前に来てないとまずいんだけどねえ……」
世の中に先尾翼式の機体が少ない原因は大体これである。構造上、空力的にきれいにまとめようとすると、重量物が機体後方に集中するうえ、先尾翼が空力中心を前進させるため、安定性が損なわれやすいのだ。2門の九四式25mmガスト式機銃──同クラスの機関砲4門分の重量がある──を機首に集中搭載しているのも、将来の四発重爆撃機を瞬殺したいという要求もさることながら、単にバラストとして必要という側面もある。
「アメリカが景気対策を兼ねて航空機開発を加速している以上、隼の設計を何としても成功させて、対抗しないといけない。じゃあ、今日はそれについて考えようかな……」
耀子はそう言うと、必要なものをもって文子とともに航空技術開発課に向かうのだった。