多摩川7R「決勝杯」
先週は更新できずすみませんでした。諸事情により、来週からも隔週更新になるかもしれないです。
お昼休憩をはさみ、芸能人たちが日本産業の車で「できる限り遅く」走る余興をした後。
いよいよ、トリを飾る本日のメインイベント「決勝杯」が行われる。これまでの5レースで2着以内に入った10台で争われ、最初に100周を走り切った車が、日本最速の栄誉を手にすることができるのだ。
「それじゃあ! 楽しんでいきましょう!」
出場車両たちの爆音の中で、4点式シートベルトを締め、ヘルメットをかぶった耀子が助手席の響子に向かって怒鳴る。当然、そうでもしないと聞こえないためだ。
「はい! 私の出番が来ないように! 安全運転でお願いします!」
負けじと響子が怒鳴り返す。
「気晴らしでケガしてちゃ世話ないからね!」
帝国人造繊維やくろがね重工にとって、最速の称号など空や峠でとっくに取ったものである。今回のレース出場は一部従業員の趣味でしかなく、命や社運をかけているわけではない。
とはいえ、工場出荷状態の車で適当に走った結果、醜態をさらすのは彼女たちの矜持に反していた。だからこそ、エンジンスワップを行い、空気の力を借りることにしたのである。
「……始まりそう!」
スタート台にマーシャルが立ち、緑旗を構えたのを見て、響子が叫んだ。耀子はアクセル操作でエンジン回転数をパワーバンドに合わせ、クラッチミートのタイミングを見るためマーシャルを注視する。
永遠の様にも感じられる一瞬の間をおいて、マーシャルが緑旗を振った。耀子が直ちにクラッチをつなぐと、16kgm近いトルクが駆動系を通してタイヤに入力され、少々ホイールスピンを起こしつつも車体を暴力的に加速させる。
「んぐっ……!」
すさまじいGが耀子たちの体をGFRPバケットシートに押し付けた。ただでさえRR方式でリアに荷重が寄っているうえ、ベルテッドバイアスタイヤのダブルタイヤとしたことで駆動輪のグリップが非常に大きい。現代基準で見れば細くて扁平率も高いバイアスタイヤを履いている他車と比べると、大トルクを瞬時に入力してもリアが破綻しにくいのだ。
「んぎぎぎ」
そして、300m程度のストレートからノーブレーキでコーナーに突入していく。スピードは120km/hをこえ、ウィングやスポイラーが車体を路面に押し付ける。今度は大きな右Gが二人に襲い掛かるが、バケットシートはぴったりと搭乗者をホールドし、踏ん張るための疲労を軽減した。
「響子! 順位は!?」
「……すぐ後ろに文子さん! 3位に本田さんと、アート商会の榊原さんも近くにいる!」
「つまり1位ね!」
少々体を絞ったとはいえ、もともとあまり運動を好まず、体力のない耀子である。あまり周りをきょろきょろして精神力を使うと後で響くため、そういった役割は響子にお願いしていた。
「引き離せそう!?」
「無理かも!」
同じマシンに乗っている佐藤夫妻が振り切れないのは当然だが、コーナリングスピードで明らかに劣っている本田兄弟や榊原も山階親子の走りに食らいついていた。
「そいつはいい! 明日の新聞の一面はもらったな!」
娘の叫びを聞いて、耀子は景気よく返事をする。勝負はまだ、始まったばかりだ。
「くっそ! なんて速さで曲がりやがる!」
アンダーステアと格闘しながら、宗一郎が悪態をつく。
「ストレートでは追いつけるのに!」
弁二郎が言ったように、大きなブースト圧とボアアップによって得た排気量で、ハママツ号は帝国人繊組のウィズキッド・インディよりストレートスピードでは上回っていた。しかし、前述したようにタイヤ幅とダウンフォースの問題でコーナーに差し掛かると減速せざるを得ず、ウィズキッド・インディとの差が開いてしまうのである。
「どうすりゃいい……減速せずに曲がろうとしたら、アンダーが出てコースアウトまっしぐらだ。……ん? アンダーって、フロントが滑るからアンダーなんだよな……」
走りながら思考を整理していると、宗一郎はとある方法でコーナリングスピードを上げられるかもしれないと思いつく。
「一か八かだ! 弁二郎、次のコーナーからしばらくドリフトで走るぞ!」
「まじかよ兄ちゃん!」
フロントがアウト側に滑っていくから曲がり切れないのなら、リアをアウト側に滑らせればフロントはイン側に切り込んでいくはず。宗一郎はそう考えたのである。
「そうでもしねえと勝てねえら! それに、これまで5回もガチンコのレースが行われたもんで、路面のターマックがもうほとんど剥げちまってダート同然だ! こんなにグリップしねえなら、いっそドリフトした方が速えじゃねえか!?」
「確かにそうかも!」
本田兄弟は意を決すると、2コーナーの入り口でハンドルを切るのと同時にクラッチを蹴り飛ばした。
「うわあ! すごい! なにあれ!」
ミラーを駆使して後ろを監視していた響子が叫ぶ。
「どうした!?」
「本田さんが横滑りしながらコーナーを曲がってる!」
「なるほど、ドリフトか……」
前世の様に、路面とタイヤの進歩が著しく、強引に曲げようとしても破綻しないなら、グリップ走行のほうが速い。しかし、今回は原始的で限界の低いバイアスタイヤで、舗装されていたはずの路面もいつの間にか剥げてほぼダートになってしまっている。これなら確かにドリフト走行のほうが速いかもしれない。
「なに!?」
「ドリフト走行! わざと車体を横滑りさせることで、曲がりにくいコーナーを速度を落とさずに曲がる方法!」
「そうなんだ! かっこいい! お母さんもできる!?」
宗一郎の走りに響子が目を輝かせる。
「RRだから無理! リアの限界が高すぎて滑ってくれないし、一度滑り出したら止まれない!」
ドリフトがFR車ばかりで行われるのは、リア荷重が小さくて後輪が滑りやすく、いったん滑り出しても慣性が小さいのですぐ止まることである。逆の性質を持つRR車とは、とことん相性が悪い走法なのだ。
「そんなー!」
「らんらん主婦だからドリフトなんてわかんないよ!」
「らんらんってなんだよー!」
レースがグリップVSドリフトという古の論争のような状況を呈す中、宗一郎はドリフト走行にも慣れ、着実にコーナリングスピードを上げてきていた。
一方、耀子と文子のペースアップは微々たるものだったので、徐々に二人を本田が追い詰める展開になっていく。
そして、サイドバイサイドで迎えた最終ラップ。
「つっこむぞつかまれ!」
シフトダウンしてエンジンブレーキをかけ、フロントに荷重を寄せながら耀子が叫ぶ。もっともインコースをとることができた彼女は、そのまま理想的なラインを描いてコーナーを曲がり切ろうとする。その少し斜め後ろを、ドリフトする本田が追う。
「こんのお……!」
プロテクターなどで厚着しているのもあり、耀子も響子もとっくに汗みずくになっていた。朦朧とする意識の中でも車を操り、ゴールに向けて走らせていく。
向こう正面を抜け、最終コーナーへ。3台はぶつからないようにポジションを争い、妥協しながら曲がっていく。
「唸れ、B015Cぃぃいいい!」
コーナーを抜けた耀子が、アクセルをブラジルまで踏み抜かん強さで踏みつけた。スロットルが限界まで開き、機械式インジェクションがガソリンを吸気ポートへ吹き出す。2スト特有の乾いた音を上げて、今回は音だけじゃない、本当に速さ相応の音を奏でていた。
「~~~~~~!」
言葉にならない唸り声のようなものを上げながら、耀子たちはチェッカーフラッグが振られるゴールラインを通り過ぎる。こうして、第1回自動車競走選手権大会の決勝杯は、後世まで語り継がれる名勝負となったのだった。
途中からひたすらドライバーが叫んでいただけだったかもしれませんが、少しでも面白いと思っていただけたり、本作を応援したいと思っていただけましたら、評価(★★★★★)とブックマークをよろしくお願いします。