【閑話】東京ステーションホテルの戦い - 電脳自在百科
テレビ番組回を望む声がちらほらあったのですが、見てないシリーズはかけないので、代わりにユーモア欠乏症患者向けインターネット百科事典風の閑話を載せておきます。
東京ステーションホテルの戦い(とうきょうすてーしょんほてるのたたかい、英:Battle of Tokyo Station Hotel)は、1936年2月26日、東京駅丸の内駅舎内の東京ステーションホテルにおいて、昭和維新を掲げる蹶起部隊と、山階耀子(旧姓:鷹司)率いる株式会社帝国人造繊維の警備課及び秘書課との間で行われた一連の戦闘をさす名称である。蹶起部隊の攻撃に対して帝国人造繊維は頑強に抵抗し、匿っていた横田千之助首相以下5名の要人を守り抜いた。
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│ 東京ステーションホテルの戦い │
│ Battle of Tokyo Station Hotel │
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│事件:二・二六事件 │
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│年月日:1936年2月26日 │
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│場所:東京駅丸の内駅舎、東京ステーションホテル3階 │
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│結果:帝国人造繊維の勝利 │
│・政府要人の暗殺阻止 │
│・蹶起部隊指導者の逮捕、処刑 │
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│ 交戦勢力 │
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│ 蹶起部隊 │ 帝国人造繊維 │
│ │ 陸軍情報部 │
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│ 指導者・指揮官 │
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│ 蹶起部隊 │ 帝国人造繊維 │
│磯部浅一 │鷹司耀子 │
│栗原安秀 │阪田誠盛 │
│中橋基明† │千坂文子 │
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│ │ 陸軍情報部 │
│ │石原莞爾 │
│ │辻政信 │
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│ 戦力 │
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│ 蹶起部隊 │ 帝国人造繊維 │
│510 │106 │
│ ├────────────┤
│ │ 陸軍情報部 │
│ │16 │
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│ 損害 │
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│ 蹶起部隊 │ 帝国人造繊維 │
│戦死38 │死亡6 │
│戦傷117 │負傷49 │
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│ │ 陸軍情報部 │
│ │戦死2 │
│ │戦傷9 │
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概要
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皇道派青年将校たちは、天皇の周囲に存在する「奸臣」を討ち「昭和維新」を断行すべく、1936年2月26日未明に決起した。政府の動きを封じるため、初動で内閣閣僚を殺害し、元老を脅迫して真崎に組閣の大命を降下させる計画であった。
しかし、これを事前に察知していた鷹司耀子は、襲撃目標となっていた横田千之助首相、斎藤実内大臣、鈴木貫太郎侍従長、高橋是清元大蔵大臣の4名を保護することを計画。ジョセフ・グルー駐日米国大使も巻き込んで、決起予定日前日に東京ステーションホテルでの泊りがけの晩餐会を実施することにした。
こうした鷹司の機転によって、蹶起部隊による襲撃の大半は空振りに終わる。周辺人物を尋問することで、横田らが東京ステーションホテルにいることを突き止めた蹶起部隊は、皇居を占拠するために近くにいた中橋基明中尉以下130名をホテルに差し向けた。
中橋隊はホテルの3階に宿泊している横田らを襲撃しようとしたものの、逆にホテル3階を要塞化し、立てこもっていた鷹司ら帝国人造繊維総務部警備課及び秘書課の激しい抵抗にあい失敗。中島莞爾少尉と指揮下の下士官のほとんどを失う損害を被る(第一次攻撃)。
蹶起部隊首謀者の一人、磯部浅一は横田らを匿う鷹司ごと政府要人を殺害することを決断。政府省庁を占拠していた諸部隊から合計380名を引き抜いて栗原安秀中尉とともに中橋隊に合流し、依然として東京ステーションホテルに立てこもる帝国人造繊維社員らを強襲した(第二次攻撃)。
数と練度の差から帝国人造繊維の防衛線崩壊も時間の問題かと思われたが、石原莞爾参謀本部第1部長の手により、陸軍情報部の破壊工作員16名がホテルに潜入。2階から蹶起部隊後方をかく乱した隙に横田らを脱出させる。さらに3階の帝国人造繊維側もこの混乱に乗じて反撃に転じ、蹶起部隊に対して白兵戦を挑んだ。
それでも蹶起部隊側は数の差で踏みとどまり、奇襲による混乱からも徐々に立ち直りつつあったが、近衛師団から発せられた昭和天皇の奉勅命令によって一気に戦意を喪失。下士官や兵卒は武器を捨てて近衛師団に投降し、磯部らも帝国人造繊維社員たちに拘束されたため、戦闘は終結した。
背景
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→「二・二六事件」も参照
当時の日本は米国や中華民国との関係が悪化し、隣国ロシアも共産化するなど、周囲に潜在的敵国が増えていく状況にあった。また、真崎甚三郎ら皇道派の重鎮たちが、要職から閑職に追いやられていく流れを止めるため、1935年には相沢中佐が統制派の指導者である永田鉄山を襲撃したものの、事前に察知していた陸軍情報部に阻止される事件が発生(相沢事件)。これにより、皇道派将校を中央から遠ざけるため、彼らが多く所属する歩兵第1師団を沿海州に派遣することが決定されていた。
この状況に危機感を覚えていた皇道派青年将校たちは、もはや事態を打開するためには天皇の周囲に存在する「奸臣」を討ち、「昭和維新」を断行するしかないと考え、1936年2月26日未明に蹶起する。政府の動きを封じるため、初動で内閣閣僚を殺害し、元老を脅迫して真崎に組閣の大命を降下させる計画であった。
しかし、陸軍情報部と海軍憲兵隊、そして警視庁は、こうした皇道派青年将校らの動きを察知していた。この情報が陸軍情報部とのコネを持つ帝国人造繊維代表取締役社長鷹司耀子に伝わり、彼女は襲撃目標となっていた横田首相以下4名の政府関係者を保護することを計画する。
彼女は、斎藤実内大臣と鈴木貫太郎侍従長が、蹶起予定日前日にジョセフ・グルー駐日米国大使と晩餐会を開くことに目を付け、これに自身と横田、高橋是清元大蔵大臣をねじ込み、会場も米国大使館ではなく東京ステーションホテルでの泊りがけのイベントに変更させた。鷹司の介入は何かに急き立てられているかのような強引なもので、グルーらを困惑させたが、鷹司を幼少期からよく知る高橋のとりなしによって彼女の主張を通させたという[注 1]。
軍需産業に携わる企業であることもあって、帝国人造繊維は一企業としては強力な警備課を有し、さらに経営層の近くで仕事をすることが多い秘書課についても、定期的に戦闘訓練を課すなど、当時からテロ対策に熱心な企業であった。今回の計画に際しては東京本社と米沢工場の両方から警備課員と秘書課員をかき集め、帝国人繊本社やくろがね重工業本社工場で防弾仕様車の防弾試験に使われていたコンパニオンカービンを根こそぎ動員。さらに銃砲店や陸軍などから拳銃を購入し、動員した社員全員を武装させている[注 2]。
戦闘経過
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陣地構築
晩餐会が終了し、要人たちが寝静まった26日午前1時、帝国人繊は東京ステーションホテル3階に居室のベッドを複数廊下に出して横倒しにし、テーブルクロスに偽装して持ち込んだアラミド繊維平織物で補強してバリケードに仕立て上げた。簡易的ながら、このバリケードは蹶起部隊の小銃弾(三八式実包)をも受け止められる頑丈なもので、帝国人繊側の勝利に大きく貢献した。
蹶起部隊は初動で首相官邸を押さえに行くだろうと鷹司は予想し、陣地構築後、昨年陸軍を退役して帝国人繊に転職した阪田誠盛警備課長に、首相官邸から発せられるであろう緊急通報を、持ち込んだ無線機[注 3]で傍受するように命じる。
果たして3時間後の午前5時過ぎ、首相官邸から蹶起部隊の襲撃を受けて緊急通報が発報され、帝国人繊はこれを傍受した。鷹司は交代で休憩していた警備課員と秘書課員を起こし、配置につかせるよう命じる。
第一次攻撃
午前6時30分頃、歩兵130名を引き連れて東京駅丸の内駅舎を占拠した中橋基明中尉は、ホテルのフロントを尋問して横田らが宿泊している部屋を聞き出すと、彼らを殺害するため、中島莞爾少尉と数名の下士官を3階に送り込む。しかし、前述のとおりホテル3階には防御陣地が構築されていたため、無防備に廊下に出てしまった中島たちは帝国人繊側から射撃されて死傷、撃退されてしまった。
膠着と増援
第一次攻撃で生き残った下士官の証言から、蹶起部隊側は帝国人繊が拳銃や小銃(実際には拳銃弾を使用するコンパニオンカービン)で武装して立てこもっていることを把握した。中橋隊、帝国人繊ともに現有戦力では相手を圧倒できないことがわかっているため、戦闘は膠着状態に陥る。
一方、陸軍省を占拠した蹶起部隊側は、川島義之陸軍大臣を脅迫し、蹶起の正当性を認めるように天皇に上奏させようとしていた。そこへ歩哨線を突破した石原莞爾中将が現れ、「貴様らは手段を目的化して蜂起し、改造後の国家に必要な人材にさえ銃を向けた。すでに貴様らの行動に大義はなく、何も知らない下士官や兵卒を巻き込んで帝都で騒乱を起こした責任は万死に値する」などと、青年将校を罵倒するだけ罵倒して立ち去った[注 4]。
蹶起首謀者の一人である磯部浅一はこれに激昂し、政府要人を鷹司ごと殺害すべく、栗原安秀中尉以下280名を連れて東京ステーションホテルへ向かった[注 5]。一方、石原もホテルから鷹司達を救出するべく、陸軍情報部に要請して辻政信大尉以下16名の破壊工作員を東京ステーションホテルへ派遣させている。
第二次攻撃
午前8時、増援を得た蹶起部隊側は帝国人繊陣地を強襲するべく、手りゅう弾を複数投擲した。しかし、帝国人繊側は天井からバリケードまで自社製のポリアミド漁網を張り巡らせており、漁網に受け止められた手りゅう弾はバリケードの根元で爆発した。この直後、蹶起部隊側は帝国人繊陣地に対して突撃を敢行した。
これに対し、ほぼ損害を受けなかった帝国人繊側は即座に反撃。特に阪田が装備していたモーゼル・シュネルフォイヤーが猛威を振るい、蹶起部隊側の突撃を撃退した。この時、先陣を切って突撃した中橋が、全身に拳銃弾を浴びて戦死している。
その後、戦闘は屋内での射撃戦に移行したが、練度で劣る帝国人繊側は苦戦を強いられ、徐々に負傷者が増加していった。すると、午前8時20分頃、陸軍情報部の工作員がホテル2階に潜入し、蹶起部隊の側面から手りゅう弾を投擲する。この奇襲により蹶起部隊側が混乱した隙をつき、今度はホテル3階に潜入した辻を含む6名は、横田首相以下5名をホテル外に脱出させることに成功した。
さらに、辻は阪田から帝国人繊側の指揮を引き継ぐと、持ち込んだ九三式音響手榴弾を投擲したうえで蹶起部隊に対して突撃を敢行する。当時、スタングレネードという装備は一般に知られておらず、蹶起部隊の兵士たちは激烈な閃光と大音響をまともに浴びてしまった。これにより相手の視覚と聴覚を麻痺させた帝国人繊側は、射撃されることなく階段まで突撃し、優位に白兵戦を進めることができた。
奉勅命令
それでも蹶起部隊側が徐々に混乱から立ち直り始めた午前8時35分、東京駅を包囲した近衛歩兵第3連隊は、乃木保典近衛師団長の前置きに続いて、蹶起部隊兵士に原隊へ復帰するよう促す奉勅命令の音声をスピーカーで直接蹶起部隊側に聞かせた。
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汝等ハ朕ガ頼ミトスル大臣等ヲ誅セント欲シ、其ノ過程ニ於イテ何人モノ無辜ノ臣民ヲ殺シケリ。更ニ、政府中枢ヲ占拠シ、国ノ運営ニ重大ナル支障ヲ齎ス。汝等ガ何ト言ヘド、此レラノ行爲ハ賊軍ノ其レニ他ナラズ、故ニ朕ハ近衛師団ヲ以テ汝等賊軍ヲ討伐セントス。然レドモ、蹶起ニ参加セシ者ノ大部分ハ、唯上官ノ命ニ従ッタノミト聞ク。今直チニ武器ヲ捨テテ原隊ニ復帰スルナラバ、情状ハ酌量セン。
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この音声は近衛歩兵第3連隊に護衛された天皇が、現場で直接読み上げたものであった。この奉勅命令により、蹶起に参加した大多数の兵士が近衛師団に投降し、磯部や栗原をはじめとする投降しなかった者たちも、帝国人繊側に拘束され、戦闘は終結した。
影響
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→「二・二六事件#事件後の処理」も参照
鷹司の機転と覚悟によって横田首相以下政府要人の命が守られ、皇道派による政権奪取の失敗が決定的になった。また、本職の軍人相手に一歩も引かず、陸軍情報部が救出に来た時も現場に残ることを選択した鷹司は国民的な人気を得ることとなり、首相待望論すらささやかれるようになる。
一方、当の耀子は、自分のわがままで社員を危険にさらしたとして、二・二六事件に直接介入したことを後悔しており、後年のインタビューには「私は英雄でも傑物でもないよ。他人の命すら勝手にベットした、どうしようもないばくち打ちさ」と答えている。
脚注
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1.^高橋は、鷹司が4歳でポリアミドを発明したとき、その特許化について相談に乗っている
2.^主に購入した拳銃はFN ブローニングM1910だったが、陸軍から払い下げられた拳銃の中には、第二次国清内戦で鹵獲したモーゼルC96が相当数含まれていたという
3.^九三双戦の試作機に載せられていた航空無線機にバッテリーを接続したもの
4.^石原と親しかった阿南惟幾によると、石原は数々の先進的な機体や材料で軍に貢献している鷹司のことを高く評価しており、彼女を巻き込んだことが石原の逆鱗に触れたのではないかと予想している
5.^石原に罵倒されたことや、安藤輝三大尉が直接行動に参加しなかったことについて、磯部は事件後に書いた手記で鷹司を逆恨みする記述を残している
参考文献
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山階耀子「私の履歴書」中外商業新報
山階耀之「鷹司耀子伝」四海堂印刷所
横田千之助「横田千之助日記」中外商業新報
東京ステーションホテルの戦いを描いた作品
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→「二・二六事件#題材にした作品」を参照
関連項目
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テクノーラ - この戦いでは、帝国人造繊維製のパラ系アラミド繊維であるテクノーラの平織物が、バリケード代わりのベッドの補強に使われ、活躍した。
参考文献、本当は(史実と内容が変わったという演出で)実在する書籍(あの人の「私の履歴書」)とかも入れたかったんですが、紛らわしくなると思ったのでやめました。
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