華の帝都に血の雨
2人の警備課員が、バリケードの漁網の脇から帝国人繊謹製の九一式音響手榴弾を投擲する。
「投げたぞ!」
その声とともに、耀子たちは伏せて目をつぶり、耳をふさいだ。180dBの爆音が館内にこだまし、強烈な閃光が叛乱軍兵士たちの目を焼く。
「突撃ぃぃぃいい!」
軍刀を振りかざして飛び出した辻に続き、護身傘を持った帝国人繊社員たちが階段に殺到する。
「陛下の意向を無視して親政を要求する不届き者が!」
「民間人の力を思い知れ!」
スタングレネードによってひるんでいた兵士たちは、次々と辻に斬り倒され、帝国人繊社員たちに殴り飛ばされていく。帝国人繊側の反撃を察知した2階の情報部員たちも、持ってきた装備を贅沢に使用して後方から叛乱軍を圧迫した。
そして、叛乱軍側がボコボコにされつつも、なんとか初期の混乱から立ち直り始めてきた、ちょうどその時である。
「こちらは、近衛師団長乃木保典である。これより、蹶起部隊、特に東京駅を占拠している者たちに向けて、天皇陛下からのおことばがある。謹んで拝聴し、直ちに従うように」
戦闘の混乱に乗じて、近衛師団が叛乱軍の勢力圏を包囲し、音声放送による呼びかけを行った。
怒声罵声がやむ。それまでうめき声をあげていた両勢力の負傷者すらも、この瞬間はじっと息をひそめて、成り行きを見守っていた。
「東京駅、および政府各省庁を占拠している賊軍に告ぐ。直ちに武器を捨てて原隊に復帰せよ」
「な……!」
自分たちの正義を信じて行動してきた青年将校たちは、開口一番賊軍呼ばわりされるとは思っておらず、うろたえる。
「このたび、汝等は朕が頼みとする大臣等を誅さんと欲し、その過程に於いて何人もの無辜の臣民を殺した。更に、政府中枢を占拠し、我が国の運営に重大なる支障を齎している。汝等が何を言おうとも、これらの行爲は賊軍のそれにほかならず、故に朕は近衛師団を以て汝等賊軍を討伐するつもりだ」
「うそだろ……」
天皇は極めて強い言葉で叛乱軍を非難し、明確に討伐の意志を示した。叛乱軍に動揺が広がっていく。
「しかし、この蹶起に参加した者の大部分は、ただ上官の指示に従っただけであるとも聞く。今直ちに武器を捨てて原隊に復帰するならば、情状は酌量しよう」
そして、この最後の一言が、下士官や兵卒に対するとどめとなった。彼らは次々と武器を捨て、持ち場を離れて近衛師団に投降していく。
「おい! 逃げるな貴様ら! 敵前逃亡だぞ!」
階段の3階出口付近で指揮をとっていた磯部が怒鳴り散らすが、もはや誰も取り合わない。勝敗は既に決し、蹶起が失敗したことは、火を見るよりも明らかだった。
「くそっ! こうなったら……」
騒ぎに紛れて磯部も逃走しようとしたそのとき、彼の喉笛を側面から鋭い突きが襲った。たまらず踊り場まで落ちていった彼の背を、飛び蹴りのように夫人の脚が踏みつける。
「がはっ……!」
「よくも今までやってくれましたね……」
鬼のような形相の佐藤文子秘書課長が、「護身傘」を携えた数人の秘書課員とともに磯部を取り囲んだ。
「うぐっ……うあ……」
「本当はこの場で殺してやりたいところですが、耀子様は私刑ではなく法にのっとった死刑をお望みです。せいぜい獄中で悔い改めなさい」
そういって配下の秘書課員に合図を出し、磯部を拘束させる。
同じころ、非常階段側にいた栗原も警備課員に制圧されて拘束され、中橋は第二次攻撃の序盤で帝国人繊側の突撃破砕射撃により戦死していたため、これにて東京駅での反乱は鎮圧された。
政府省庁を占拠していた部隊も天皇からのおことばに従って降伏し、たったの数時間でこの世界の2・26事件は終わりを告げる。渡辺教育総監だけは史実通り殺害されたものの、そのほかの重臣は生き残ることができ、耀子はひとまず目的を達成することができたのだった。
叛乱軍の無力化が済み、帝国人繊社員たちもようやくホテルから帰宅できるようになったころ。
「耀子さん!」
「芳麿さん!」
東京駅丸の内駅舎の入り口前で、耀子と芳麿は固く抱き合い、生還を喜び合った。商魂たくましく今回の事件を取材しに来た新聞記者たちが、二人を感動の再会を容赦なく写真に収める。
「本当に! 心配したんだからね……!」
「うんうん、今回ばかりは無茶が過ぎました。もう少しおとなしくします」
一応人前なので泣きはしないものの、芳麿は痛いくらい耀子のことを抱きしめてくる。そんな夫の様子に妻は申し訳なく思いつつも、女として優越感を感じてしまうのだった。
「ほかの社員さんは?」
「いっぱいケガさせちゃった。現時点ですでに死んじゃった人もいる。東大の塩田先生たちが治療に当たってるけど、助からない人も出てくるかもしれない……」
沈痛な面持ちで耀子が答える。第二次攻勢で突撃を破砕した後の射撃戦はもちろん、辻の主導した反転攻勢でも帝国人繊や陸軍情報部に死傷者が出ていた。正式な損害は後日改めて数えないとわからないが、総勢100名余りの警備課員及び秘書課員のうち、5割が重軽傷を負った見込みである。
「……」
「こっちに来るのは多くても200人くらいだろって100人くらいで籠城してたら、最終的に相手が500人くらいまで増えちゃってた。辻さんたちが来なかったら、本当に危なかったかもしれない。そんな敵相手に、半分は無傷で生き残らせたというのは、褒められてしかるべき結果なのかもしれないけど……」
「確かに、いい気分は、しないね」
もっと普段から射撃訓練だけでなく、戦闘訓練も積んでおくべきだったのではないか。
猛威を振るった坂田警備課長の9mmパラベラム仕様シュネルフォイヤーも、もうすこし数を用意しておくべきでったのではないか。
陸軍情報部ともっと連携して、より本格的な防衛計画を練っておくべきだったのではないか。
すべてが結果論であって、あの当時は過剰防衛とみなせるものではあったが、そのような後悔が後からいくらでも噴き出てくる。人災で人が死んだときはいつだってそうだ。
「そういうこと。でも、これから世界全体がもっと大きな困難に直面していくというのに、悲しんで立ち止まっているわけにもいかないの。だから、死傷者に労災を認定して、参加者みんなに適切な補償をしつつ、次の国難に向けて手を打っていかなければいけないのよね」
自分のわがままで捻じ曲げた歴史である。であれば、最後まで放り投げずに、たとえその先に地獄が待っていようとも、自分が導き続けなければいけない。少なくとも耀子はそう思っている。
「……さっき自分でも言っていたけど、本当に、もう無茶はしないでね」
「……うん」
でも、今この瞬間だけは、必死に心配してくれる芳麿に甘えていたいと、耀子は思うのだった。