視野狭窄の冥罰
「貴様らの要求は絶対に受け入れない」
何をどうやったのか、歩哨線を突破して陸相官邸に入り込んだ石原莞爾参謀本部第一部長は、陸軍大臣が青年将校たちにつるし上げられている現場に乱入し、冷徹に言い放った。
「なぜです閣下。閣下も来るべき最終戦争に備えて、国家を改造すべきだと言っておられたではないですか」
味方してくれると思い込んでいた石原から冷や水を浴びせられ、首謀者の一人である磯部浅一は困惑した様子で石原に問う。
「なぜ国家を改造すべきなのか、おまえたちはわかっているのか」
「それは、奸臣を排除し、天皇陛下にご親政を行っていただくためで……」
「馬鹿者! それだけで最終戦争が乗り越えられるわけないだろう!」
あとのことを何も考えていない磯部を、石原は大声で一喝した。気圧された青年将校たちは、何も言い返すことができない。
「いいか! 国家を改造する目的は、軍備と国力を充実させることだ! 陛下のご親政も、そのための手段の1つに過ぎない! 貴様らは手段を目的化して蜂起し、改造後の国家に必要な山階耀子にさえ銃を向けた! すでに貴様らの行動に大義はなく、何も知らない下士官や兵卒を巻き込んで帝都で騒乱を起こした責任は万死に値する!」
「お待ちください閣下! 皇軍相撃つようなことがあれば、後々まで禍根を残しますぞ!」
さんざんに叱責された磯部がたまりかねたように叫ぶ。
「黙れ! 貴様らはもう皇軍ではない! 賊軍だ! 必ず討伐してやるからな、首を洗って待っていろ!」
そのように罵倒すると、石原はものすごい剣幕で部屋から出ていった。後には、プライドをズタズタにされた青年将校たちと、空気と化した陸軍大臣が残される。
「……安藤も山階、石原閣下も山階。どいつもこいつも山階のことばかり」
「い、磯部殿……?」
「誰も彼も、みんな山階に騙されているのだ! そうだ! あいつさえ殺せば、みんな正気に戻るはずなんだ!」
今この瞬間、磯部の中では、石原莞爾が自分たちの敵に回ったのも、安藤輝三大尉が(史実と違って)直接行動に参加しなかったのも、全部山階がたぶらかしたせい、ということになった。
確かに、耀子が東北の殖産興業に力を入れているのは、過激な青年将校が醸成される貧しい環境を改善するためではある。実際それが、安藤とその配下の蹶起参加をおもいとどまらせたのはまちがいないのだが、それを「たぶらかした」とうけとるのは、あまりにも理不尽だった。
「い、磯部殿!?」
「栗原! 魔女山階を討ちに行くぞ! 香田は何としてでも大詔を引き出し、われらの義挙を認めさせるのだ!」
狂気に染まった磯部は、諸悪の根源を討つべく、増援を連れて東京駅へ向かう。奔りだした衝動は、もう止まらないのだった。
じりじりとした膠着状態は、複数の手榴弾によって唐突に破られる。
「伏せろ!」
阪田警備課長が叫び、社員たちがバリケードの陰に一斉に身を隠す。バリケードの上にはナイロン製の漁網が張られていたため、投げ込まれた手榴弾は陣地内には入り込まず、バリケードの手前に落ちてさく裂した。
「突撃ぃぃいいいいい!」
帝国人繊側が頭を下げているすきに、通常の階段だけでなく、非常階段からも反乱軍の兵士たちがおしよせ、陣地を破ろうとする。
「ひるむな! 撃ち返せ!」
阪田はそう叫びながら、銃床付きのモーゼルM712シュネルフォイヤーで兵士たちを薙ぎ払った。退役軍人や引退警官が多数を占める警備課員達も、直ちにブローニングM1910で反撃に出る。まさかサブマシンガンが出てくるとは思わなかった叛乱軍は突撃を破砕され、戦闘は一般的な射撃戦に移行した。
「ベッドもうボロボロじゃん!」
「もうちょっともちこたえてくれよ~……」
いくら銃弾が貫通しないと言っても、衝撃自体はベッドに伝わる。特に最前列のベッドは手榴弾や小銃弾に繰り返しさらされた関係で、木くずの山になるのも時間の問題だった。
「いだああああ!」
「大丈夫⁉ とりあえず止血を……」
また、こういうじりじりとした射撃戦では、練度の差が露骨に表れる。帝国人繊側は頭を出したところを狙い打たれたり、跳弾や流れ弾が当たったりして、徐々に死傷者が増加していった。
「このままじりじり削られると厳しいなあ……どうしようかな……」
前世でプレイしていた戦車のオンラインゲームを耀子が思い出していると、突然階下から爆発音が響く。何を言っているかはわからないが、叛乱軍側の狼狽えるような怒号も聞こえてきた。
『こちらは石原莞爾少将である。東京ステーションホテルで抗戦中の帝国人繊諸君、貴様らの支援のため、情報部員を向かわせた』
「石原……おまえ……」
先ほどからの騒ぎは、2階に情報部の工作員が乱入したことによるものなのだろう。予想外の増援に耀子は開いた口がふさがらなかった。
『現在陛下は、叛乱軍討伐のため近衛師団を招集中である。陛下の到着まで持ちこたえろ。以上』
そう言うだけ言って石原が通信を切ると、警備指令室の窓を何者かが蹴破ってきた。びっくりした耀子が侵入者の方に振り向き、横にいた文子が銃を向ける。
「陸軍情報部辻政信大尉、石原導師のご命令に従いただいま参上いたしました」
乱入者の辻はそう言って耀子達に一礼する。その間に、あと5人ほど私服の情報部員たちが窓から侵入してきて、部屋はとてもむさくるしくなった。
「……ご支援に感謝します。して、皆さまは何用でこちらへ……?」
「現在、我々の同僚が2階で叛乱軍を攪乱していますが、長くは持ちません。今のうちに政府要人と山階様を脱出させ、安全を確保せよというのが、導師のご命令であります」
「わかりました。横田首相以下政府関係者と、グルー米大使は速やかに脱出させてください。私は社員を死地に放り込んだ責任があるため、ここに残ります」
「耀子さん!?」
耀子が脱出しない旨を告げると、横にいた文子が驚きの声を上げる。
「将軍が戦場から逃げたら格好がつかないでしょ。大丈夫、石原莞爾の弟子なら、必ず我々を生還させてくれますから」
「……」
辻へのリップサービスも込めつつ、耀子は生還の見込みがあると主張し、文子を丸め込んだ。史実でのろくでもなかったり余計だったりする行いから、すこぶる評判の悪い辻であるが、尉官としてなら極めて優秀な軍人とみなせる。耀子自身は正直辻のことは嫌いなのだが、この世界では悪さをしていない石原莞爾の例にのっとり、信用することにしたのだ。
「おお……ご婦人ながらあっぱれなお覚悟、この辻政信、しかと聞き届けましたぞ。よし、貴様らは横田首相以下要人を脱出させろ。私はこのまま山階隊を指揮し、叛乱軍に逆撃を敢行する!」
「おお!」
「いや、死傷者が増えるんでそこまでやれとは……」
諫めようとする耀子を尻目に盛り上がった辻たちは、文子に辻配下の5名を要人たちのもとへ案内させ、辻自身は前線で指揮中の阪田のもとへと向かった。
「はぁ~……やっぱ辻は辻かあ……」
独断専行で無茶をやり始めるところはやっぱり史実通りであったため、耀子は深くため息をつく。とはいえ、このまま撃ち合っていてはじり貧であったため、積極的に反撃するのもやむを得ないか、と彼女は思った。
「耀子さん」
「ん?」
耀子が陰鬱な気分になっていると、1人の秘書課員が入ってくる。
「1分後に主階段と非常口に対して音響手榴弾を使うとのことです。合図があったら目と耳をふさいでください」
「あー……了解」
そういえば、情報部向けにそんな装備を作ってたなあと、耀子は思い出した。
バタフライエフェクトで辻が参謀本部ではなく情報部所属になり、石原との出会いが早まったことでこんなことになりました。何かしら感想をいただけると、作者が喜んで筆がノリます。
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