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不運と踊る

 耀子達が中島少尉らを撃退した直後ぐらいのこと、山階芳麿は天皇へ直接電話をかけていた。芳麿は天皇の幼馴染であり、そのような行為が許される立場だったのである。


「朝早くにすみません陛下。至急のお願いがございまして」

「まさか耀子さんが、陸軍の不穏分子に襲撃されたりしているのか?」

「そのまさかでございます、陛下。現在妻は横田首相、斎藤内大臣、鈴木侍従長らとともに、叛乱軍に対して東京ステーションホテルにて籠城戦をしていると、本人から無線で連絡がありました」


 どうせ襲撃されるなら、標的にされてそうな他の要人たちと立てこもりをしよう。そのように考えた耀子は、自分たちが本当に襲撃されたときにいち早く陛下に知らせてもらうため、携帯無線機を購入し、芳麿に無線機を持ち歩いてもらうことにした。当然芳麿は反対したが、


「もし自分を標的に自宅に押し入られた時、芳麿さんや子供たちが殺されたら死んでも死にきれない」


と懇願され、受け入れざるを得なかったのである。


「……実はさきほど、大勢の陸軍兵士が押しかけてきて、警備の巡査に重傷を負わせて引き上げたという電話が、たかさんからかかってきたらしいんだ。それで侍従の甘露寺君に起こされて、詳しく話を聞いているところなんだが……とうとう彼らは、本格的な蹶起に走ってしまったということだな」


 鈴木たかは鈴木貫太郎侍従長の妻で、彼女もやはり幼少期の天皇に直接仕えたことがある人間であった。史実でも天皇に対する二・二六事件の第1報は、たかからの電話によるものである。


「そういうことです陛下。陛下にお頼み申し上げることではないのかもしれませんが、どうか、妻を救出していただけないでしょうか」

「言われなくともそのつもりだよ。耀子さんは芳麿君の大切な奥さんだし、これからも我が国の発展に欠かせない頭脳でもある。()()を排除して、鈴木侍従長らと一緒に絶対に生還させるよ」


 芳麿の懇願に対して、天皇は不気味なほど穏やかな口調で了解の意を伝えた。


「ありがとうございます。本当は私もはせ参じたいところではございますが、妻からは『子供たちを頼む』と言われており、この場から動けません。何卒、妻をよろしくお願いします」

「うん、任された。ちなみに、芳麿君は今どこにいるんだい?」

「兄上の家です。今、兄上は伏見宮博恭殿下と電話しています」


 芳麿一家は事件前日に兄の山階宮武彦王の自宅に避難し、そこで無線機によって耀子達が東京ステーションホテルで叛乱軍と交戦中であるとの知らせを受け取っている。これを受けて直ちに山階兄弟は行動に移り、弟は天皇に電話をかけ、兄は海軍の重鎮で父菊麿の同期である伏見宮博恭に助力を願っているのだった。


「わかった。そのまま武彦君の家で待っていてくれ。ただ、もし危なくなったら、その時はちゃんと逃げるんだよ。いいね?」

「わかりました。陛下も、ご武運をお祈りします」

「うん」


 そういって天皇は芳麿からの電話を切る。すると、この日の当直の侍従武官である中島鉄蔵少将が、やはり皇道派青年将校たちが蹶起(けっき)した旨を報告しに来た。


「ああ、中島少将、ちょうどいいところに来た。乃木中将を呼んでくれ。朕自ら近衛師団を率いて、賊軍を討伐するぞ」




 さて、一旦は中橋中尉達を一度は退けた耀子達であったが、丸の内駅舎は依然として反乱軍が占拠しており、予断は許さない状況である。


「次は重機関銃が来るかなー」

「随分と余裕そうだねえ」

「ぜーんぜんですよ是清さん。こういう投げやりな態度をとらないとやってられないだけです」


 耀子は来賓控室に戻り、そこで休憩していた。


「先ほど銃撃戦があったようだけど、けが人は何人でたのかね?」

「0人です。ベッドをひっくり返して作ったバリケードがうまく弾を防いでくれました」


 くつろいでいるように見える耀子に貫太郎が戦況を問うと、けが人は出ていないと耀子は返答する。


「へえ、うまくやったもんだね」

「ちょっと待ってください。ベッドとは言っても所詮は木材です。軍用ライフルの弾を防ぐのは、ちょっと難しいのではないですか?」


 貫太郎が感心していると、横からグルーが疑問を呈した。通常、木材の防弾性は鉄板のそれと比較して大きく劣り、史実で鈴木貫太郎に対して使われた二十六年式拳銃ですら、30mmの杉板を射貫できたとされる。これとは比べ物にならないくらい強力な十年式突撃銃三型であれば、いくら重厚なベッドと言えど、近距離の射撃戦なのでハチの巣になるのではないか、ということだ。


「あれは弊社のアラミド平織物をベッドの上に複数枚かぶせてあるんです。アラミド繊維は同じ質量のピアノ線より強靭な繊維ですから、今我々が着ている防弾衣のように拳銃弾を受け止められますし、あのバリケードのように何枚も重ねれば重機関銃弾も受け止められますよ」


 去年から本格的に始まった防弾衣開発にて、帝国人繊はアラミド織物の層数と防弾性の関係を実験で把握していた。このため、叛乱軍の射撃を防ぐのに必要なアラミド繊維織物の枚数がわかっており、テーブルクロスに偽装してバリケードの強化用に持ち込んでいたのである。


「なるほど、やはり、帝国人繊殿の技術力はすごいですね……」

「それほどでもない」


 やはり耀子は用意周到に準備していた。しかも謙虚にもそれほどでもないといった。


「とはいえ、このまま立てこもるばかりではじり貧だ。どうにか打開する策はあるのか?」

「うちの亭主が、天皇陛下に我々の救出を直訴してくれています。それから、義兄も伏見宮殿下に反乱の鎮圧をお願いしてくれているようです」

「武彦殿下か。彼が動いているなら、海軍は断固たる態度で臨んでくれるだろう」


 武彦が動いていると聞いた貫太郎は満足げにうなずく。


「とはいえ、こうした動きを察知されて、向こうが強襲策に出る可能性もあります。最悪の場合、皆様も頭数として私と一緒に撃ち合いに参加していただきますので、お覚悟のほどをよろしくお願いします」


 しかし、中橋隊はしばらくの間、耀子達の立てこもる3階までは上がってこなかった。彼女たちが頑強に抵抗したというのもあるが、それ以上に「部外者が大勢いる」という状況が、叛乱軍内での取り扱いを混乱させたのである。




「くそっ! なんだって帝国人繊の社長がこんなところにいるんだ!」


 指揮下の下士官のほとんどを失った中橋はホテル1階のロビーで悪態をついた。


(本当は奸臣どもの寝込みを襲って、速やかにこの世から排除する予定だったのだ。それが失敗したばかりか、山階耀子をはじめとする部外者とともに立てこもっているだと!?)


 中橋が狼狽しているように、耀子は今回の襲撃対象に入っていない。彼女はてっきり自分も奸臣として襲撃されるものだと決めつけていたが、実は皇道派の間では彼女に対する見解が分かれていたのである。


(彼女の扱いをめぐって襲撃目標を決める会議が紛糾したから、仲間割れを防ぐために今回の目標から外すことにした。それなのに、当の本人が奸臣どもの前に立ちふさがっているのなら、殺さざるを得ない。俺はそれで構わないが、同志たちの結束にひびが入りかねないぞ……)


 まず、農村の救済を重視する者たちは、むしろ耀子を担ぎ上げて、財閥たちの手本にさせようと考えていた。

 一方、天皇親政を重視するものや社会主義国家の建設を目指すものは、巨万の富を持つ財閥の首魁であることは変わらないので、誅殺すべきと考えているのである。帝国人繊の背後に鈴木財閥がいることも、耀子襲撃論者の心象に悪影響を与えていた。


(とはいえ、真崎閣下を首相の座にお付けするには、まず横田を殺すか、総辞職させるかしなければならぬ。やはり、山階も必要な犠牲だったとして殺すしかない)


 ここまでも首相官邸を警備する巡査など、すでに無辜の臣民を殺してきているのである。耀子達を殲滅することを決心した中橋は、陸軍大臣をつるし上げている栗原に、再度増援を要請するのだった。

当たり前ですが、乃木中将は希典ではありません。これまでもちらちら名前が出てきた、あの人のことです。

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挿絵(By みてみん)

本作世界のチベットを題材にしたスピンオフがあります。

チベットの砂狐~日本とイギリスに超絶強化されたチベットの凄腕女戦車兵~ 

よろしければご覧ください。
― 新着の感想 ―
これ…今回誰が1番事故る奴だったんだろう… 耀子「あいつらみんな、、、ハードラックとダンスっちまったんだよー♪」
これ、真崎甚三郎も一番ヌルい処分だったとしても陸軍からパージは免れないっしょ なんなら陸軍が庇い立てせず積極的に処分するまでありそうなのがね…
この時代に携帯トランシーバ?と思ったが、この世界では既にトランジスタが実用化されているんだった……バッテリは重そうだけど。 というか電池・蓄電池の改良は産業的にも軍事的にも重要項目だと思うのだけど全然…
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