始まりの年
短いですが、新年一発目の更新です。
「そっか……今日はあの日なんだなあ……」
1936年1月1日0時過ぎ、家族との二年参りを終えて帰宅した山階耀子は、自宅の寝室で上着を脱ぎながら感慨深そうにつぶやいた。
「あの日?」
「ああうん、この1936年って年はちょっと思い出深い年でね」
芳麿が聞き返すと耀子はまるで過去のことのように返事をする。妻の様子から、おそらく前世の話をしているのだろうと、芳麿は察した。
「昔やってたシミュレーションゲーム……兵棋演習みたいなやつなんだけど、それの開始年が1936年でさ。何度もやりこんでたから、この年の出来事はよく覚えてるんだよね」
「そんなものがあったんだね。そうなると、僕としては、どんな出来事が設定されてたのかが気になってくるけど……?」
あくまで耀子の前世における1936年の出来事である。跡形もなく歴史が変化してしまっているこの世界線では参考程度でしかないが、一方で状況が変わっていない部分については有力な情報となるかもしれない。
「まあ、ソ連……ソビエトロシアでの大粛清みたいな、明らかに起きそうにないイベントもあるけど……スペイン内戦とか、こっちの1936年でも起こりそうな気がするね」
「あの国は右派と左派が激しく争っていて治安が悪化していると聞くけど、内戦まで発展してしまうのかい?」
トロツキーが生存し、西欧の共産主義者を育成したため、スペイン情勢は史実よりも左派(共和派)が優勢で、治安はより不安定になっている。隣接するフランスも左派政権になっていることから、内戦になったら史実より大規模な義勇軍が期待できる一方、ドイツがナチ化していないため、国粋派はイタリアからしか支援を得られず、史実より苦戦するかもしれなかった。
「大体そんな感じ。だけど、それ以上に私たちにとって重要なのは……二・二六事件」
「二・二六事件? 2月26日に何か起きるのかい?」
日付だけでは何のことかわからないので、当然芳麿は詳細を訊ねる。
「長州閥や財閥による専横を打破し、天皇親政を実現すると言って、陸軍の一派閥が反乱を起こしたの。クーデターとしては失敗したけど、当時の内閣閣僚の大多数が暗殺され、国内の政治が一時的にマヒしたみたい。史実の是清さんも、この事件で殺されてるの」
リアルチート人材をぶち殺す無能ムーブに激怒した経験を思い返しながら、耀子は事件の概要を説明した。
「是清さんが殺されたというのもまずいけど、反乱軍の目的に、「財閥による専横の打破」が入っていると言ってなかったかい?」
「ええ。最悪、私も殺される可能性があるよ」
史実では結局襲撃されなかったが、三井財閥や三菱財閥の当主も、二次目標として直前まで暗殺対象に数えられている。海から山まで手広くカバーする大企業群の主として、耀子が殺害される可能性も否定できない。
「……首謀者はわかっているのか?」
「多すぎるし階級も低いから覚えてないよ。でも所属してた派閥は覚えてるから、もう何年も前から陸軍情報部に監視を依頼している」
二・二六事件が結局のところ皇道派と統制派の権力争いに帰することを、耀子は知っている。それゆえ、彼らがまだ一夕会というひとまとまりの組織だったころから陸軍情報部に監視を依頼し、相沢事件のような皇道派の暴発を阻止させていた。
陸軍情報部には利がないように思えるが、この組織は耀子の父煕通の尽力によって日露戦争後も増強されてきた部署であり、娘の耀子が率いる帝国人繊も、情報部員が種々の工作で用いる様々な用品を開発・提供している(その装備の一部は、帝国人繊総務部秘書課および警備課でも使われている)。陰謀渦巻くこの時代に、諜報組織を味方につけておくことの大切さを、耀子はよく理解していた。
「そうか……未然に防げるのが、一番いいけど」
「そうねえ……」
芳麿の言葉に、耀子は険しい顔で答える。旧一夕会メンバーのような佐官~将官クラスの人物については十分監視できていると思われるが、実際に二・二六事件で動いたのは尉官以下の青年将校だった。思想的な影響を受けている以上、彼らは皇道派の主要人物と何かしら接点を持っているだろうが、どこまで辿っていけているのかは耀子にもわからない。
最も困難な時代が、始まろうとしていた。
裏でちまちま書いたり停滞したりしていた「救国の輪廻」ですが、この度最終話まで書ききることができ、完結となりました。こちらもぜひ、ご覧いただければと思います。
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