ある熱狂の終わり
機体の設計検討をしていて遅くなりました。すみません。
1935年9月。東京湾には大勢の人々が詰めかけていた。これで最後になるかもしれないシュナイダートロフィーレースを一目見るためである。
「欧米人が結構いますね」
「自国チームを応援させるために、イギリス、イタリア、オーストリアは、日本への渡航費用を出しているの」
岸辺という岸辺を埋め尽くす人々を、山階耀子と佐藤文子は日本チームのパドックから眺めていた。
「気合入ってますね。少しでも我が国の優勝を阻止したいということなんでしょうか」
「ううん、日本から参加国に対して、観客の渡航補助用のお金を出しているからだね」
「え、どうしてそんなことを?」
普通は自国のサポーターを増やすため、自国民の旅行費を補助するものである。文子は常識と逆の事が行われていることに驚き、耀子に理由を聞いた。
「前回は1933年にイギリスのカルショットでやったでしょ?」
「ポーツマスに近い港町ですね」
前回のシュナイダートロフィーは、本来1928年に開催する予定であった。ところが、直前にロシア戦争が始まって中止になり、ようやく戦争が終わって一息付けたと思いきや、今度は世界恐慌が発生してしまったため、開催が延び延びになってしまっていたのだ。
「あのときって、ちょうど世界恐慌から1年たったぐらいで、各国ともに準備不足だったのよ」
「確かに、各国チームが予算不足で準備が遅れたことによる恨み節を新聞に語っていたと聞きますね」
1926年のレースは関東大震災に見舞われた日本に配慮し、イギリスが日本で開催してくれたため、この時のお返しと、イギリスの景気対策を兼ねて1933年のレースは日本がイギリスで開催した。ところが、1年程度では世界恐慌の影響から立ち直れていない国が多く、機体のアップデートすらままならなかったため、順当に川鴉を強化した日本が勝利してしまったのである。
「前回大会は消化不良気味だったから、もう1回イギリスで開催するのが情けというもの。でも、せっかく三連勝がかかっている大会だから、やっぱりわが国で開催したいよね」
「そうですね」
「だから、欧州各国の不満を抑えるために、他の参加国の国民が我が国へ渡航する費用を補助することで、少しでもアウェー感を減らしてあげたってわけ。正直、これでも後ろめたさはあるんだけどね」
これ以上の配慮はちょっと難しかったなあと思いながら、耀子はため息をついた。
「そういう事情があったんですね。国際政治ってめんどくさいです」
「それだけシュナイダートロフィーレースの格式が高いってことだし、そんなレースを自国で開催できるのは光栄だってことでもある。とはいえ、今回のレース、日本が三連勝を達成してほしいと思っている欧州の関係者も多いみたい」
「え、日本が三連勝したら、もうシュナイダートロフィーレースは開催されなくなってしまうじゃないですか。なんかもったいない気がしますが……」
自国の人間はともかく、イギリスやイタリアの人間からも日本が三連勝を達成してほしいと思われていると聞いて、文子は困惑する。
「もうどこの国も、内心このレースを続けたくなくなってるみたいなの。水上機の方が離着陸距離を長く取れると言っても、別にフラップを使えば高翼面荷重でも短い距離で離陸できるしょ? それに、フロートと違ってタイヤは機体に収納できるから空気抵抗も削減できるしかさばらないから軽量に仕上がる。だから、今の航空機の主流はすっかり陸上機になっていて、水上機や飛行艇は空港が作れない離島とかでしか使う価値がなくなってるよね」
シュナイダートロフィーレースが水上機で争われるようになった理由は、創始者のジャック・シュナイダーが、「離着陸距離の制約を受けづらい」という水上機の利点を高く評価していたからだ。実際には、耀子が言った通りフラップをはじめとする高揚力装置で容易に補うことができるため、彼の「水上機が航空機の主流になる」という予想は外れ、シュナイダートロフィーレース用の機体開発も、他の一般的な機体用の技術の発展に寄与しなくなってきている。
「そんな中で、わざわざ技術的制約が大きい水上機や飛行艇のレーサーを開発するうまみなんて、もうほとんどないってことですか」
「しかも、一応国の威信がかかってるから手が抜けないし、手が抜けないってことはすごいお金がかかる。だから、どこかが三連勝を達成して、『我が国も頑張ったんだけどなー、相手が強すぎたからなー』って言いながら勝負を降りたいみたいです。正直私も同じことを思っているので、勝てなかったら日本国民よりもライバルチームに申し訳ないですね」
「じゃあ、耀子さん的には勝てると思っていると」
「事前の予想ではねー……」
そういって耀子は、自チームのピットに係留されている川鴉に目をやった。




