偵察戦車
九三式軽戦闘車の改良は比較的容易に進むと思われた。帝国人造繊維C系エンジンの最新型であるD型は1シリンダー当たり58hpの公称出力を発生させており、こちらにエンジンをアップデートすることで233hpの出力を得られる計算だったのである。
「試験中止! 燃料カット!」
エンジンベンチの制御室で、豊川順彌が試験中止を指示すると、係員が命令を復唱してエンジンを停止させた。別のパラメーターを監視していた辻啓信が、豊川のもとへ駆け寄ってくる。
「だめ?」
「うん、だめだった。やっぱり、シリンダーヘッドの温度がどう頑張っても規定内に収まらないね」
C系エンジンD型の排気量当たり出力は47hpである。誉一一型のそれが46hpであることを鑑みると、この時代の空冷エンジンとしては極まった性能をしていることがよくわかるだろう。
「やっぱり、航空用のセッティングでは回転数が高すぎるんだろうな」
単なるオーバーヒートであれば、オイルポンプの吐出量を上げ──2ストロークエンジンということで勘違いされがちだが、帝国人繊C系エンジンはクラーク式なのでクランクケース内圧縮はしていない。4ストロークエンジンと同じドライサンプ式の潤滑系統である──オイルクーラーを拡大してエンジンオイルによる冷却を試みることができる。しかし、シリンダーヘッドにはエンジンオイルは回らないため、上記の手法では手当てできないのだ。
「そうなると、最高出力の発生回転数を今の3200rpmからC049Bと同じ2600rpmまで下げて……諸々考えると190hpぐらいになるのか?」
「出力重量比で26hp/tぐらいか。自動車としては鈍重極まりないが、戦闘車としてはどうなんだろうな」
「さあ……」
この時点で、2つの目論見が破綻したことになる。1つは、D型のシリンダー設計をそのまま流用して、コストを削減すること。もう1つは、出力重量比を30hp/tの大台に乗せ、余裕をもって60km/hを発揮できるようにすることであった。
「え、変速機の設計変更は中止?」
「くろがねから連絡があってな。九三式軽戦闘車の機関室内では、航空機向けの仕様だとどうしても過熱して壊れてしまうらしい。最高出力回転数を3200rpmから、今載っているC049Bと同じ2600rpmに下げるから、主変速機は現行仕様で行く」
豊川から連絡を受けた鷹司信煕は、九三式軽戦闘車の改良作業を指揮している原乙未生に、メイントランスミッションのギアレシオを変更しないことを伝達した。
「そうなると、駆動輪の歯数拡大の実で最高速度を稼ぐことになります。発動機の出力そのものは目標の233hpを達成いただけるんですか?」
「いや、そちらも190hpに落ちる見込みとのことだ」
「ですよねえ……そうなると、どうにかして走行抵抗を下げるしかないですけど、これ以上転輪を大きくしたら、転輪の数が減って地形追従性が悪くなるし……どうしようかな」
原は少し考えた後、いくつかの方法を思いつく。信煕もそれを承認し、後日設計試作車が作られることとなった。
数か月後、信煕は騎兵科──この世界の日本において、戦車は騎兵科の持ち物である──の同期である櫛淵鍹一少将を呼び寄せ、九三式軽戦闘車2型の各種試験を行うことにした。
陸軍技術本部 九三式軽戦闘車 2型
車体長3.5m
全幅2.0m
全高2.2m
戦闘重量:6.8t
乗員数:4名(運転手、車長兼無線手、砲手、装填手)
主砲:八四式車載砲 2型
口径:75mm
砲身長:2.3m(31口径)
砲口初速:510m/s
装甲貫通力
破甲榴弾:66mm/90°@100m、59mm/90°@500m
九一式徹甲弾:70mm/90°@100m、63mm/90°@500m
九四式穿甲榴弾:135mm/90°@100m、150mm/90°@500m
装甲
砲塔正面:40mm
砲塔側面:13~25mm
砲塔天蓋:13mm
砲塔背面:25mm
車体正面
上部:25mm25°
下部:25mm35°
車体側面:25mm90°
車体背面:5mm90°
車体上面:5mm
車体下面:7mm
エンジン:帝国人造繊維"C049E" 強制ループ掃気2ストローク強制空冷水平対向4気筒
最高出力:204hp/2600rpm
最大トルク:70.5kgm/1600rpm
最高速度:60km/h
「なんかだいぶ印象が違うなと思ったが、転輪が互い違いに重なるようについているのか」
「千鳥足式転輪と言います。限られた車体長の中で、走行抵抗の少ない大きな転輪を押し込むには、こうするしかありませんでした」
まずは外観を検分している櫛淵がそうつぶやくと、設計した原が説明する。
「これ、奥の転輪を取り外したいときは、一緒に手前の転輪も取り外さないといけないのか?」
「そうなんです。こればっかりはどうにも……」
千鳥足式転輪は、史実の大戦後半から戦後にかけて、ドイツやフランスで見られた転輪配置である。「高速走行に対応できる大径転輪を採用したいが、そうすると転輪の数が少なくなり、路面追従性が犠牲になる」というジレンマを克服するため、転輪を互い違いに配置することで前後の転輪が干渉しなくなり、より多くの転輪を設けることができる利点がある。
一方、櫛淵が指摘した通り、整備性が犠牲になってしまうが、九三式軽戦闘車の車体長であれば転輪の数は5枚で済むため、そこまで致命的にはならないと判断した。
「なるほどな……主砲も変わったと聞いているが、八四式車載砲と変わりないような?」
「駐退機が普通の油気圧式に変更してあります。原型である三八式野砲から流用した駐退機は金属ばね式で重かったので、今回を機に改設計することにしました」
「ほかにも、転輪の肉抜きをはじめとするいろいろな軽量化努力を行って、少しでも速度が出せるように改良してある。不評だった砲塔も、機器配置を見直して少しでも中で動きやすくなるようにはしてあるぞ」
最終的に、エンジン出力は203hpまで増えたものの、まだ当初目標には30hp足りていない。そのため、各種軽量化によって多少減量し、出力重量比を1hp/t程度増やすことに成功していた。
「なるほどなあ……それじゃあ、覚悟を決めて乗ってみるとするか」
あのすし詰め空間で60km/hも出したら、いったいどうなってしまうのだろうか。そんな不安を抱きつつ、櫛淵たちは設計試作車に乗り込んでいった。
「とりあえず、目標の最高速度60km/hは達成できてたぞ……」
よろよろと這い出してきた櫛淵は、目標の最高速度を達成できたことを信煕に報告する。
「それは良かった。それで、走行性能はどうだったか?」
「最高速度の発揮は平地でないと無理で、少しでも坂があると減速してしまうな。それでも40km/h以上で疾走できるから、これまでの我が国の戦闘車や突撃車より間違いなく機動性に勝ると言っていいだろう。旋回性は原殿お得意の遊星歯車式3段変速操向装置のおかげでいつも通り良好だ。ただ、足回りが少し固すぎるな」
「足回りが固い? ……あ」
櫛淵の指摘を受けて、信煕はとある可能性に思い至る。
「そういえば、トーションバーは前型からの流用でしたね」
「転輪の数が4枚から5枚に増えているのに、ばねの仕様はそのままだから、前の型より1.2倍サスが固いのと同じことになっているんだな」
「そういうことか。こいつは日本の装甲戦闘車両の中でも飛びぬけて高速で走るから、ある程度足回りを柔らかくしておかないと、中の人間が振動で大変なことになるぞ。実際、俺たちはもう散々に揺さぶられてヘロヘロだ」
「じゃあ、トーションバーも設計変更が必要ですね」
九三式軽戦闘車は国内の需要がそれほどでもないため、その改良にもコストはかけたくなかった。とはいえ、戦闘前に搭乗員が消耗してしまう兵器を作っては元も子もないから、部品は切り替えざるを得ないだろう。
「まあ、貴様らが作りたかったものはおおむねちゃんとできていると思っていいと思う。砲塔内の動きやすさも多少はマシになっていた。まあ俺は乗りたいとは思わんが、チベットの娘さんたちは喜んで乗ってくれるんじゃないか?」
そういって櫛淵が講評を終えた。
「ありがとう。もう将軍なのに試験につきあわせて悪かったな」
「まあもっと若い奴に任せてもよかったんだが、鷹司だってもう大佐だし、試験した連中が委縮して問題点を話さないのもまずいだろ? これからもいい馬を頼むぜ」
「ああ」
このあと、九三式軽戦闘車2型は正式に採用され、全国の捜索連隊やチベット陸軍戦車部隊に配備されることとなる。案の定、この戦車の性能に歓喜したチベットでは、この車両をベースにスプロケットの歯数を削減してローギアード化し、その分装甲を盛った中戦闘車まで作られることになるが、それはまた別の話。
ちなみに、離床出力(5分ぐらいしか使えない緊急出力)で比較すると、C222Dも史実誉も排気量当たり出力50hp/Lを達成していたりします。1930年代にこの性能を達成する帝国人繊がすごいのか、4ストでこの水準に到達させた中島飛行機がすごいのか……