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【閑話】死んだり生き返ったりするエンジン-1

とある筋から「ミステリーを書いてくれ」と言われたので、私に書けるミステリーを書きました。今回は出題編です。

 帝国人造繊維代表取締役社長、山階耀子侯爵夫人の家には、3台の自家用車が止まっている。

 帝国人造繊維最初の乗用車にして、劣悪な日本の道路をものともせず走る本格クロスカントリー車、ジムニー。

 史実より国力をつけ、豊かになった日本国民の日常の足となるため、山階耀子が自分の趣味を煮詰めて作り上げた軽自動車、ウィズキッド。

 低回転から豊かなトルクを発揮し、余裕ある走りで搭乗者をどこまでも連れて行く自動二輪、GT500。

 この内ウィズキッドは耀子が会社に、GT500は夫の芳麿が東大や国会に乗っていってしまうため、女中が食品などの買い出しに出る場合は、ジムニーを使うのが慣例となっていた。


「ジムニーの調子が悪い?」


 ある日、耀子が帰宅すると、女中からジムニーの調子が悪いことを伝えられる。


「そうなんです。走っているうちに突然発動機の音が変になって、力が出なくなってしまうんです。走れはするので、自走で帰ってこれましたが……」

「音が変になって……? 打音ですか? こう、金属を叩くような、キンキン音ですか?」


 もしクランクやコンロッドが折損していたら一大事である。とはいえ、そんな重大な損傷を抱えて、そもそも自走して帰ってこられるだろうか。


「いえ、違いますね。なんかこう……別の発動機になったような……」

「うーん、そう……わかりました。ちょっと見てみますね」


 自動車について特に専門的な知識を持っていない女中の証言では、どのような不調を抱えているのかいまいち要領を得ない。耀子は自分で乗って確かめてみることにした。




 山階家は一階の大部分が吹き抜けになっており、何台もの自動車を止められるようになっている。ガランとしたインナーガレージのかたすみに、くだんのジムニーが止められていた。


「エンジンを動かす前に、まず一通りの点検をやってしまいましょー……」


 耀子はプラグレンチを車載工具箱からとりだすと、ボンネットを開けてエンジンの点火プラグを取り外しにかかる。

 ガソリンエンジンは、ガソリンの爆発力をピストンで受け止めて運動エネルギーを生み出す機械だ。空気とともに吸い込んだガソリンに点火するのは点火プラグの役割であるから、まずはそこを点検する必要があると耀子は踏んだのである。


「固……! これ前締めたの誰だよ、私だったわ……!」


 プラグレンチに体重をかけても点火プラグが緩まないことを誰かのせいにしたい耀子だったが、残念ながら自分の顔しか思い浮かばなかった。


「うわあ! ……ふぅ、ようやく回った。これどうにかならんのかな……ん?」


 体勢を崩しつつプラグを緩めた後、手で回して取り外した耀子は、プラグの電極が煤で真っ黒に汚れていることに気づく。典型的なプラグかぶりだ。

 一般的には、エンジンの吸い込む空気と燃料の混合比が「空燃比」が、燃料が濃い側に偏っているときに起きやすい異常である。電極が炭化した燃料の煤で覆われることで点火プラグが火花を飛ばせなくなってしまい、吸い込んだ燃料に着火できなくなるのだ。


「あちゃープラグかぶってるじゃん。これじゃあ火花は飛ばないよね。音が変になったっていうのは、1気筒死んで単気筒運転になったからか……」


 エンジン音の主成分の1つ、排気音(エキゾーストノート)は、エンジンの諸元に応じて様々な音に変化する。例えば今回のように、1気筒分燃焼が行われなくなると、いつもより1気筒少ないエンジンの音に変化するため、2気筒とか3気筒程度のシリンダーが少ないエンジンであれば、素人でもその音の変化を容易に感じることができるのだ。


「とりあえず、キャブを希薄(リーン)に調整して様子を見るか……でも、突然プラグがかぶるってなんかおかしいよね。普通は少しずつ調子が悪くなっていって、それでも無理やり走らせていると完全に点火しなくなる感じなんだけど……」


 かぶっていたプラグの電極を清掃し、そのプラグがついていた2番シリンダーのキャブレターを調整しながら、耀子は今回の問題が容易に解決しないのではないかとの疑念を抱く。


「お母様、ジムニーの調子が悪いんですって?」


 エンジンの吸気に燃料を混ぜる部品「キャブレター」の、空燃比を調整するネジ「エアスクリュー」を回し終わった耀子がボンネットを閉めていると、長男の耀之(てるゆき)がガレージまでやってきた。母の後継者になることを意識しているかれは、有機化学だけでなく、機械についても一通りの素養を身に着けたいと思い、良い経験になるに違いないと近寄ってきたのだろう。


「そうみたい。2番のプラグがかぶってた。とりあえずキャブを調整して動かしてみるけど……耀くんも来る?」

「ええ。乗せてください」

「おっけー」


 耀子は軽いノリで了承すると、助手席に息子を座らせて自分は運転席に座る。鍵をイグニッションキーシリンダーに入れてひねると、セルダイナモが回ってすぐさまB010A型水冷直列2気筒ユニフロー式2ストロークエンジンが目覚めた。


「……普通だね」

「普通ですね」


 特に不調を認めなかったので、軽く町の中を流すことにする。そうして3分ぐらい街中を走ったころだった。


「……あっ、失火してる」

「エンジン音がおかしいですね」


 2ストロークエンジンは、得意でない回転域でよく失火していることが知られている。得意な回転数までエンジンを吹かすため、耀子はわざとアクセルを煽ってみた。


「……直らんね」


しかし、回転数が上がってもエンジン音は元に戻らない。


「とりあえず、邪魔にならないところに止めてプラグ見よう」


 そういって耀子はジムニーを適当なお店の駐車場に止め、ボンネットを開けた。


「止めたばかりのエンジンのプラグ、熱々になってるから触りたくないんだよなー……」

「……」


 一瞬、自分がやろうかと考えた耀之だったが、どこか楽しそうに軍手をはめてプラグレンチを手に取った母を見て、手出し無用かと考え直す。


「……あれ、2番じゃないんだ」


 取り外した2番シリンダーのプラグはむしろ白焼け──こちらは空燃比が薄いときに見られる現象である──気味で、どう見てもかぶっているようには見えない。


「じゃあ1番か……? ああやっぱり」


 2番シリンダーのプラグを元に戻し、1番シリンダーのプラグを取り外すと、案の定電極が煤で真っ黒になっていた。


「先ほどとは別のシリンダーのプラグがかぶっていたんですか?」

「うん。ちょっとこれは本格的に状況整理が必要だね。いったんおうちに戻ろうか」


 取り急ぎかぶっていたプラグを清掃してエンジンを再始動すると、やっぱり正常なエンジン音に戻る。助手席の輝之とともに首を傾げつつ、耀子は自宅に引き返した。




 家に戻る直前にもやっぱり1気筒死ぬトラブルがあったものの、強引に自宅ガレージに駐車し、耀子と耀之は状況を整理し始める。


「機械に異常が起こった場合、その原因を絞り込みたいときは『FTA』をします」

「えふてぃーえー?」

「Fault Tree Analysis。日本語にするなら『故障の木解析』ってところかしらね。発生事象に対して想定される原因を網羅していき、あり得ないものを消していく方法なの」


 この方法は本来1961年に考案されるものだが、この世界線では令和からの逆行転生者である耀子によってもたらされ、今では帝国人造繊維内でごく普通に行われている方法となっている。


「じゃあまずはトップ事象を決めましょう。今回のトップ事象は『1気筒失火する』がいいかな」


 そういって耀子は紙の左上に「1気筒失火する」と書いた。


「故障そのものを1番左上に書くんですね」

「そうなの。ここから、まず失火する直接的な原因を樹状に書いていくのよ。つまり……」


1気筒失火する

├空燃比が濃すぎて燃焼しない

├空燃比が薄すぎて燃焼しない

├燃料が来ていない

├点火プラグから火花が飛んでいない

└圧縮が抜けている


「こんなところかしらね。何か見落としてるものある?」

「……いや、特には……」


 少なくとも、耀之の知識ではぬけている原因は思いつかない。


「じゃあ、これの下にさらに原因を書いていきましょうか。まず空燃比から、耀君、どうぞ」

「え、えーと、エアスクリューを閉めすぎたり開けすぎたりしている?」

「さっきやったもんね。他は?」


 なんてことない風に耀子は次の原因を出すよう促す。


「スロージェットかメインジェットの番手があってない」

「そうね。それも空燃比がおかしいときは最初に疑うところよ」


 ○○ジェットとは、キャブレターの構成部品のうち、燃料の吹き出し口のことである。この番手(太さ)がエンジンに合っていない場合、混合気が過剰に薄くなったり濃くなったりする。


「空燃比がらみだと後は……二次エア吸ってるとか」

「そうそう。吸気系のガスケットとかが抜けてて、変なところから空気吸ってることもあるよねー」

「空燃比がらみは思いつかないから、あとは燃料系統の故障。ポンプが止まってる、ホースが詰まってる、無いと思うけどガス欠……」

「そうそう、あり得なさそうなのもとりあえず全部挙げていこうねー」


 そんな調子で、母は息子のひねり出した答えをわら半紙に書き込んでいった。


1気筒失火する

├空燃比が濃すぎて燃焼しない

│ ├エアスクリューを閉めすぎている

│ └スロージェットやメインジェットの番手が大きすぎる

├空燃比が薄すぎて燃焼しない

│ ├エアスクリューを開けすぎている

│ ├スロージェットやメインジェットの番手が小さすぎる

│ ├スロージェットやメインジェットが目詰まりしている

│ └二次エアを吸っている

├燃料がエンジンまで来ていない

│ ├燃料ポンプが止まっている

│ ├燃料系統に漏れ(リーク)がある

│ ├燃料系統が詰まっている

│ └ガス欠

├点火プラグから火花が飛んでいない

│ ├点火プラグが故障している

│ ├プラグコードが断線している

│ ├ディストリビューターが故障している

│ ├ポイントが故障している

│ ├イグニッションコイルが故障している

│ └点火系のヒューズが飛んでいる

└圧縮が抜けている

  ├ヘッドガスケットが抜けている

  └ピストンリングが破損している


「も、もう出ないよお」

「そうね、ざっとこんなもんでいいと思うわ」


 ようやく許しが出たか、と、輝之はその場にへたり込んで深いため息をついた。


「好き放題言っておいてあれなんですけど、これ全部確かめるんですか?」


 素人の手には余りそうな項目が混ざっているのを見て、輝之が心配そうに耀子の方を見る。


「原則としてね。明らかにあり得ないものでも『ちゃんと確かめました』って記録を残すことが大事なの。後で『これ本当に無関係なのか?』って難癖付けられて、手戻りが発生する原因になるからね」


 自分の立場を棚に上げながら耀子は答えた。


「さて、それじゃあ、答え合わせを始めましょうか」

スロージェット、メインジェット:B010Aのキャブレターにはスロージェットとメインジェットの2系統が備わっており、アクセル微開~1/4程度まではスロージェットから、それ以上のアクセル開度ではメインジェットから燃料が吐き出される。

プラグコード:点火プラグに電力を供給する電線

ディストリビューター:エンジンの回転に合わせて、適切な点火プラグに電力を分配する点火系の部品

イグニッションコイル:バッテリーからの電気を昇圧して、点火プラグで火花が出せるレベルにするトランス

ポイント:イグニッションコイルはトランスであり、電磁誘導を利用しているため、電流が流れっぱなしだと機能しない。そのため、ポイントによって電流を断続する必要がある

圧縮:普通の自動車用エンジンでは、吸い込んだ混合器を圧縮して爆発力を上げている

ヘッドガスケット:エンジン上部シリンダーヘッド中央シリンダーブロックの間の気密性を担保するパッキン

ピストンリング:ピストンとシリンダー


さて、皆様も一緒に考えてみましょう。ジムニーの故障原因はどれだと思いますか?


少しでも面白いと思っていただけたり、本作を応援したいと思っていただけましたら、評価(★★★★★)とブックマークをよろしくお願いします。

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挿絵(By みてみん)

本作世界のチベットを題材にしたスピンオフがあります。

チベットの砂狐~日本とイギリスに超絶強化されたチベットの凄腕女戦車兵~ 

よろしければご覧ください。
― 新着の感想 ―
「不可能なことがらを消去していくと、よしんばいかにあり得そうになくても、残ったものこそが真実である」
水? 学生の頃、通学時に乗ってたバイクでみんなよくやっちゃってた「燃料給油時に雪が入った」為のカブリやエンジンストップ。 特にエンジンストップは走行中にもおきたので、本当に厄介極まりないものでしたね…
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