空の落とし物
1911年の休日。鷹司家に4人の男たちが集まっていた。航空偵察研究会の長岡外史の呼びかけで、浸透戦術三羽烏──陸軍通は、浸透戦術を開発した鷹司煕通少将、大谷喜久蔵大将、大迫尚道中将の三人をまとめてこう呼ぶようになった──に集まってもらったのである。
「わざわざ集まってもらってすみませんな。特に自宅を提供してくれた鷹司君には何といえばいいやら」
「いえいえ、お気になさらず。我が家は客人をもてなすことに慣れておりますので」
「私がまだ戸山学校の校長をしていれば空き教室でも使えたんだけど、すまないね」
「陸軍大将に戸山学校長は役不足ですよ。教育総監の方が妥当です」
浸透戦術開発の功績が認められ、特に煕通と大谷に関しては史実と役職に差が出ていた。煕通は史実より早く少将に昇進していて予備役になっていないし、その影響でまだ侍従武官を務めている。大谷は史実より5年早く大将に昇進し、教育総監部本部長からそのまま教育総監に就任していた。
「して……我々を集めるということは、戦術がらみの話ということでしょうか?」
挨拶もそこそこに、煕通が長岡に用件を話すよう促す。
「実はな……四四式輸送車を作っていた日野熊蔵大佐が『これに装甲を張り付けて歩兵を載せれば機銃をものともせず敵陣地を突破できる』と騒いでいるのだ。実現可能性があるか聞きたい」
あいつは何か思いつくと見境がなくてな……とこぼす長岡。彼は二宮の一件以来、一見突拍子の無いようなアイデアでも、むやみに却下できなくなってしまったらしい。
「気持ちはわかりますが、無理でしょう。自動車では塹壕を乗り越えられません」
「日露戦争から得られた戦訓の一つ『歩兵は鈍足である』を何とかしたいのは理解できるが……」
「よしんば塹壕を乗り越えられる輸送車が作れたとしても、そんなに急に進撃されると、今度は砲兵支援が間に合わない。第一線を突破できても、後が続かない」
煕通、大谷、大迫が、それぞれの見解を述べる。
「ではもう少し言い方を変えよう。塹壕を乗り越えられる輸送車と、その進撃に合わせて砲撃できる砲兵が作れたら、それは強いのか?」
長岡は日野のアイデアの本質を読み取り、それを翻訳して3人に伝えることを試みた。
「それができたら……無敵以外の何物でもないでしょうね」
「そんなのが攻めてきたら、私でもうまくさばけるか怪しいな」
「装甲が施されているということは、阻止砲撃でないとその進撃を止めることは困難だろう。だが、砲撃支援要請が砲兵に伝わるまでに、目標が大きく移動しているとあっては、果たしてまともに砲撃できるのか……」
「成程、やる価値はあると」
3人の回答に長岡は笑みを浮かべる。
「そうなると、この日野君のアイデアを何とかして具現化する必要があるというわけですね」
「そこでだ、鷹司君……娘の耀子さんを呼んできてもらってもいいかね」
「耀子ですか……確かに、あの子なら何か思いつきそうではありますが」
「しかしいいのか、思いっきり軍機に触れる会話をしているのだが……」
心配そうに大迫が訊ねる。
「彼女も自分の会社を運営して今年で6年になります。機密情報の取り扱い方は十分心得ているでしょう」
「何より彼女と私は知り合いでな。航空偵察研究会の関係で、GFRPとかいう新素材を使った飛行機を試作してもらっている。あの機体を開発した彼女であれば、何かひらめくかもしれないと思ってな。それもあって、鷹司君に家を使わせてくれと頼んだんだ」
「実のところ、私も何かに行き詰ったときは、耀子と一緒に考えると解決策が浮かぶことが多いんです」
煕通はそういうと耀子を呼びに部屋を出ていった。
「ありますよ、解決策」
4人の将軍が会議している現場に連れ出された耀子は、事情を聴くとこともなげにそう答える。
「やけにあっさり言うが、ちゃんと考えたのかい?」
「鳶を設計しているときからずーっと考えていました。まず、歩兵の急速な進撃に対応できる砲兵ですが、これは航空機から砲弾を落とせるようにすれば解決します」
「飛行機から砲弾を……飛行機の積載量では、たいした火力にならないのではないか?」
耀子の主張に大迫が疑問を呈した。
「投射鉄量は確かに減少しますが、砲撃よりも空爆のほうが、直接上から目視して落とせる分命中率は高められると考えます。飛行士の訓練と、我々の技術開発次第ですが、有効火力ではトントンになるのではないでしょうか」
「うーん、本当にそう都合よくいくのか……?」
なおも大迫は考え込んでいる。耀子はこの後の航空機の急速な発展を知っているが、未来から転生してきたわけではない大迫には想像がつかなくて当然である。
「では、塹壕を乗り越えられる輸送車というのは」
"空飛ぶ砲兵"以外のアイデアを聞こうと、長岡が話題を変えた。
「無限軌道を使います。無限軌道というのは、えーと……こう、複数の車輪の周りにベルトがまかれていて、不整地でもベルト全体で路面をしっかりとらえて走れるようになっている構造です。多分、私が考え付くぐらいですから、英国あたりなら既に実用化しているんじゃないですかね」
実際、この時期だと既に英国が装軌車両を砲兵用トラクターに使おうとし、実用化を断念しているころである。これをそのまま伝えてしまうと情報の出どころを怪しまれるため、耀子は中途半端にごまかした。
「"空飛ぶ砲兵"に"無限軌道"か……」
「まあ気長にやって行けばいい。欧州ではイギリスとドイツが建艦競争をしているようだが、どちらか一方にバランスが崩れない限りは戦争にならないだろう」
「それに、戦争には莫大な金がかかることを、日本とロシアが身をもって示したからな」
(イギリスとドイツだけがヨーロッパじゃないんだけどなあ……)
将軍たちの楽観的な見通しに対し、耀子は内心で突っ込みを入れたが、下手なことを言うと何が起こるかわからない。さすがにバルカン半島が騒がしいことに言及するのはやめた。
「とりあえず、"空飛ぶ砲兵"は耀子さんの会社にやってもらうとして、無限軌道は……大谷君、大将の権限を使ってイギリスに問い合わせてくれないかね」
「大将になったばっかりだから、そんなことができるかはわからんが……」
「うまく行ったら開発費ちゃんとくださいね、長岡さん」
後日、大谷がイギリス軍に確認したところ、装軌車両の情報と引き換えに浸透戦術のノウハウを要求された。さすがに吹っ掛けられていると感じた大谷は、外務省や農商務省も巻き込んだ交渉を行い、装軌車両だけでなく、イギリスが先行しているいくつかの科学技術も一緒に取得することに成功する。
こうして、国産近接航空支援機と、装甲兵員輸送車の開発がスタートしたのであった。




