高速周回路
伊藤音次郎が帝国人繊で働いているので、カーチス号のエンジン入手経路が史実と異なっています。ご注意ください。
あり物を組み合わせるだけであるから、ウィズキッドの改造自体は2週間程度で完了した。この車両を長沼の高速周回路に持ち込み、問題点がないか確認する必要がある。
「うひょお! すっごーい!」
ハンドルを握る耀子は、アクセルを床まで踏んだまま、上機嫌でバンクのついたコーナーに突っ込んでいった。強烈な遠心力が彼女と愛車に襲い掛かる。
「うひー! 本番はこれを100周もするの!? 私自身のトレーニングも、しないとじゃん!」
全日本自動車競走選手権大会用の車である「ウィズキッド・インディ」には、確かに本田が予想した通りの改造がなされていた。すなわち、エンジンを載せ替え、重心を調整し、ブレーキを強化して、車重に対して過大なパワーをうまく御せるように調整されている。
「それにしても、これだけ出してるのにフロントの接地感があるのは、空力のたまものよね……!」
耀子はそこからさらに進んで、空力的洗練により操縦性を改良することを試みていた。すなわち、フロントウィング、リアスポイラー、アンダーカバーとディフューザーを装着して、ダウンフォースを発生させている。
帝国人造繊維 LC11S改 "ウィズキッド・インディ"
乗車定員:2名
車体構造:鋼製モノコック
ボディタイプ:3ドアファストバックセダン
エンジン:くろがね重工業 "B015C" ユニフロー掃気2ストローク水冷直列3気筒直打OHC
最高出力:102hp/5000rpm
最大トルク:14.7kgm/3000rpm
駆動方式:RR
サスペンション
前:ダブルウィッシュボーン縦置きトーションバー独立懸架
後:セミトレーリングアーム横置きトーションバー独立懸架
全長:3490mm
全幅:1490mm
全高:1260mm
ホイールベース:2100mm
車両重量:580kg
ブレーキ
前:ベンチレーテッド・ディスク
後:リーディング・トレーリング
「しっかし……本番の多摩川スピードウェイにはバンクがほとんどないんだったかな。直線もこんなに長くないだろうから、もっとコーナリングスピードと加速を上げる方向の方がいいのかも……」
コーナーを抜けて直線区間を走りながら耀子が独り言ちた。多摩川スピードウェイは1周1200mのショートサーキットでホームストレートも300mに満たない。形状も単純なオーバルコースであるから、ドライバーがラインどりを詰めるべきところも少ないため、耀子は数周全開走行した後、ピットへ戻っていった。
「いやー面白かったよ」
「見てるこっちはひやひやものなんですけどね」
車から出てきた耀子が軽口をたたくと、文子が苦言を呈する。先に自分が乗って異常がないことを確かめているとはいえ、危険なものは危険だからだ。
「フロントはタイヤ幅を増やしてるし、リアもダブルタイヤにしてるからグリップは十分。ダウンフォースで車体を押さえつけてるからスピンもしにくいし、コーナーにはバンクがついてるから、こいつの速度域ではアンダーで吹っ飛んでいくこともない。万が一に備えてロールバーで車体も補強してるし、シートベルトをしたうえでヘルメットもかぶってる。ここまですればまず死なないよ」
そう言いながら耀子はヘルメットを外し、蒸れた頭を手で仰いで風を送っている。
「んもー……それで、乗り味はどうでしたか?」
「おおむねいい感じ。100km/h以上出してもフロントの接地感があるのはやっぱりフロントウィングのおかげだろうね。ミッションがクロスレシオすぎる気がしたけど、本番はここよりもだいぶ小さいサーキットで走るから、こんなもんでいいんじゃないかなって」
580kgの車重に対して、102hpのエンジンが乗っているのである。出力重量比は175hp/tと、1990年代のスポーツカーくらいの動力性能があるから、本来はもっとハイギヤードな設定でスピードの出せるコースを走るのが爽快な車なのだ。
「そうですか。私はもうちょっと最高速度に振りたいと思いましたけど、耀子さんの言うように、多摩川スピードウェイはここの高速周回路よりだいぶ狭いですからね……」
「それなのにみんなパワーを上げればよいと思ってるから、昔の飛行機用のエンジンとか積んでるし、環境的に私たちの車づくりが本当に正しいのか自信が持てないよね……」
例えばアート商会のマシンは、カーチス製の航空用ガソリンエンジンを載せている。このエンジンはもともと旧航空偵察研究会が研究資料として輸入したもので、不要になって市場に売却したものをアート商会が買い取り、カリカリにチューニングしたようだ。アート商会の手によって生まれ変わったこのエンジンは、もともと1800rpmでピークパワーが出ていたものが3000rpm近くまで回るようになっており、8リッター超えの大排気量による大トルクによってアート商会に数々の勝利をもたらしている。
つまり何が言いたいのかというと、今の日本の自動車レース環境では「大トルクを発生させる大きなエンジンで、小さな車体を振り回す」構成が流行しており、耀子が好む小少軽短美な車づくりが通用するのかは未知数だったのだ。
「そうなると、ギアリングはそのままで、エンジンを高回転寄りにして出力を上げた方がいいかもしれません」
「私もそんな気がする。シリンダーブロックの上側を2mm削って、下側に2mmのスペーサーを入れようか。そうすれば最大トルクはほぼそのままで、1000rpmくらいパワーバンドが高回転寄りになるから、2割くらい馬力が上がると思う」
エンジン出力はトルク×回転数で決まる。トルクの最大値がそのままで、発生回転数が上昇すれば、エンジン出力は増大するのだ。
「賛成です。後、耀子さんは体力つけましょうね。いくら精神力があっても、さすがに今の体力では決勝杯の100周は走り切れませんよ」
「ばれてたか……」
その後、文子は毎晩山階家を訪ねて耀子に筋トレをさせるようになる。夫や長女がノリノリで付き合ってくれるので断ることもできず、耀子はヘロヘロになるまでしごかれるのだった。
車よりおまえを軽量化しろというのは、特に軽自動車乗りに言われる言葉だったりしますね。
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