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「おやっさん、帝国人繊が来年の全日本自動車競走大会出るらしいっすよ」
「おう、たしかエンパイアで出るって話だけんど、それがどうかしたか?」
アート商会浜松支店の片隅で、店長の本田宗一郎に対し、従業員の伊藤正が興奮気味に報告していた。
「それはくろがねじゃないですか。そっちじゃなくて、本体の方っす。樹脂とか、飛行機とか作ってる方」
「ん? 自動車関係は全部くろがねの方にもってったって聞いたんだけんが……」
くろがね重工業は、帝国人造繊維の四輪及び二輪部門と、エンジン部門を分社化した51%子会社である。樹脂・複合材料と、それらを使用する製品の開発、製造を行うという帝国人繊のアイデンティティに対し、鉄鋼材料が主役である四輪、二輪、エンジン部門は、どうしてもつながりが薄かったのだ。このため、自動車部門が単独で採算をとれるようになったこと、社長に就任した鈴木道雄をはじめとする「史実の偉人」達に車づくりに関してフリーハンドを与えたかったことを目的として、分社化と、持ち株の49%の分の売却に踏み切ったのである。
「だから僕もびっくりしてるんですよおやっさん。なんでも、山階社長の鶴の一声で決まったらしくて、お金も出場者のカンパで賄うとかなんとか……」
「つまり、事実上のプライベートチームってことか。まーあのねーちゃん、華族とは思えねーくらいおもしれー人だし、運転技術もずば抜けてるっちゅう噂だに、自分もレースに出たくなったんだら。俺と同じようにな」
本田は耀子と面識があるわけではない。しかし、独立前に働いていたアート商会(本店)は帝国人繊(くろがね重工業)にレシプロエンジン用アルミ合金製ピストンとピストンリングを卸す主要取引先の1つである。このため、彼女の風評はそこそこ耳にする機会があった。
そんなアート商会は、日本の自動車レース界をけん引する企業の1つでもある。彼はアート商会のマシンに搭載された数々のチューンアップパーツを製作し、レース本番のライディングメカニック──この当時のレーシングエンジンはとても繊細で、人間が手動で補器類を制御しないと破損する危険があった──を務めていた。こうした経験から、やがて本田自身も自分の運転でレースに出たいと思うようになり、こうして「濱松号」を製作しているのである。
「へー……」
「それで、向こうはどんな車で来るんだって?」
作業を続けながら、本田が伊藤正に問う。
「『ウィズキッドのチューンドカー』だって言ってました」
「ベース車はウィズキッドか。なら、『決勝杯』は捨てて、第5レースの『商工大臣杯』優勝を狙ってるってわけだ」
全日本自動車競走大会は単一のレースではなく、競馬のように複数のレースから構成されている。今回は全7レースが予定されていて、その内容は以下の通りであった。
1R「ダイムラーカップ」15周、外車限定
2R「タトラカップ」15周、外車限定
3R「石川島杯」10周、国産車限定
4R「日本輪業杯」25周、無差別
5R「商工大臣杯」30周、軽自動車限定
6R「番外:日本産業杯スロースピードレース」1周、停車せずに最も遅くゴールした車が勝利する余興
7R「決勝杯」100周、1~5Rの上位2台
全体的にレースのスポンサーや名前のつけ方が変わっていたり、商工大臣杯が軽自動車限定レースに変わっていたりするなど、耀子による歴史改変の影響をもろに受けている。
史実との差異はともかく、本田は商工大臣杯が軽自動車限定レースであることから、耀子達はこのレースでの優勝を狙っていると予想したのだ。
「それが、第4レースの日本輪業杯に登録していて、決勝杯でも優勝したい、と……」
「そうなると、エンジンは載せ替えてるだろうな。いったい何に……いや、B015Cだら」
「B015Cへのエンジンスワップ……ウィズキッドのエンジンルームって狭かったと思いますけど、エンパイアのエンジンなんて載りますかね?」
ウィズキッドはエンジンルーム直上をラゲッジスペースにするため、エンジンを斜めに搭載し、補器類もコンパクトにまとめて、できる限り高さを抑えている。
「B005CとB015Cはボアもストロークも同じだに、幅が広がってるだけで高さと奥行きは大差ねーのよ。だもんで、あの程度の幅のエンジンなら、補器のレイアウトを少し変えれば入る」
「あーたしかに! あとは、エンパイアのミッションをベースに専用の横置きエンジン用ミッションを新造してやれば、何とか載せられそうっすね」
腕扱きの自動車修理工として名を馳せている本田は、修理工場にやってくるあらゆる車の構造を熟知していた。軽自動車として大衆に普及しているウィズキッドだって、何度も修理したことがある。
「だが、それだけじゃあパワーばかりがでけーバランスの悪ぃ車になっちまう。だから、もっと太いトーションバーにしてサスを強化し、ダンパーも硬めにして車体の動揺がすぐ収まるようにする。それからリアタイヤをもっと太くして大きくなったパワーを受け止められるようにせにゃならんし、ブレーキも、フロントはドラムじゃフェードするからディスクに変えるだら? そんで、ケツが重くなった分後席を取っ払ったり、後席下のガソリンタンクをフロントに移したりして……それでも足りんかったら最悪フロントに重り入れるだね」
自動車のチューニングは、ただパワーを上げればよいと言えるほど単純ではない。ドライバーの操ったとおりに走る操縦性も兼ね備えていなければ、危険な走る棺桶に早変わりする。それを知る本田は、元のウィズキッドにB015Cを載せることを想定して、それに付随する改造内容までも推測した。
「そこまでするなら、もう一から車体でっち上げた方が速くないっすか?」
「どっこいどっこいだら。とはいえ、あのねーちゃんはウィズキッドに相当入れ込んでるって話だに、どうしてもあの思い入れがある車でレースに出たかったんだら。俺らが板金叩いてこいつのボデーを作ったように、あの車も山階社長自らあれこれ設計したり調整したりしたらしいし」
「あー、まあたしかにそうっすね」
華族に限らず、貴族階級には貴族階級なりの見栄えが求められる。家族を送迎する車に関しても、山階侯爵家であればエンパイアを使うのが適当であった。しかし、耀子は運転のしやすさや、自分の思い入れを理由に、平民や、せいぜい男爵家の人々が乗るべきウィズキッドで子供たちを学校へ送迎している。もちろん、公の場に出るときはこの限りではなく、ちゃんと黒塗りのエンパイアに乗っていくのだが。
「さ、俺たちも俺たちの夢を仕上げるぞ。伊藤、こいつをこんな感じに加工して持ってきてくれ」
「わかりました!」
伊藤は本田から板金を受け取ると、工作機械の方に去っていった。そうして彼らの作り上げた、史実とは少し違うハママツ号が、決勝杯で耀子のウィズキッドの前に立ちはだかるのだった。
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