エスケープベロシティ
書籍版発売中です。詳しくは活動報告をご覧ください。よろしくお願いします。
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また、もう1作の架空戦記も先週更新していますのでご覧ください。
https://ncode.syosetu.com/n5107io/20
1935年1月。帝国人繊開発本部航空技術部飛翔体開発課のある焼津事業所では、設計上宇宙空間に到達可能なロケット「ネルV」試験機3号機が打ち上げられようとしていた。
ネルV
全長:9.9 m
最大径:1.0 m
ペイロード:100kg
動力
第1段:固体燃料ロケット「S-A-12B」
燃料:アスファルト/鉱物油
酸化剤:過塩素酸アンモニウム
推力:12000 kgf
比推力:200 sec
姿勢制御:スピン安定
第2段:液体燃料ロケット「L-D-1B」
燃料:ケロシン
酸化剤:濃厚過酸化水素水
動作サイクル:ガスジェネレーターサイクル
推力:1440 kgf
比推力:230 sec
姿勢制御:スピン安定
《打ち上げ、10分前になりました》
「最終Go/NoGo判断を行います……。名前を呼ばれたセクションは、異常があればNoGo、異常がなければGoをコールしてください」
打ち上げ責任者であるゴダードの宣言により、ロケットの各部に異常がなく、打ち上げを実施できることを確認する「Go/NoGo判断」が始まる。
「指令室」
「Go」
「管制室」
「Go」
「発射場」
「Go」
「飛行制御系」
「Go」
「第1段エンジン」
「Go」
「第2段タンク」
「Go」
「第2段配管」
「Go」
「第2段ポンプ」
「Go」
「第2段エンジン」
「Go」
「積載物」
「Go」
すべてのセクションでGoの判断が出た。
「……打ち上げ承認」
《従いまして、ネルVロケット、試験機3号機の打ち上げを、現在時刻より10分後に実施いたします》
周辺住民への宣伝もかねて、秘書課の佐藤文子が最終Go/NoGo判断がGoだったことをアナウンスする。
「今回はうまくいくかなあ……」
指令室で打ち上げの瞬間を待っている山階耀子は、そわそわと落ち着かない様子である。ネルVロケットの打ち上げはこれで3回目であり、1回目は第1段が燃焼中に爆発、2回目は第1段と第2段の分離に失敗し、目標である宇宙空間へは到達できていなかった。
「物事に絶対はないですからねえ」
横にいる鈴木岩蔵が飄々と語る。このロケットの開発には飛翔体開発課だけでなく、主に第1段固体燃料とモーターケース、第2段推進剤タンクの開発に材料開発課がかかわっていた。このため、加藤セチや和田水といった材料開発課員も第1段エンジンと第2段タンクの担当者として打ち上げに駆り出されており、耀子と岩蔵は彼女たちの大一番を見に来たのである。
《打ち上げ、9分前になりました。機体は最終的な確認作業が続けられており、現在のところ、すべて順調に進捗しています》
《現在のところ、危険区域への立ち入りは確認されておりません。危ないですから、関係者も、そうでない方も、危険区域内への立ち入りはしないでください》
打ち上げを終えて落下してきたロケットが万が一でも人間にぶつからないように、危険区域内へ立ち入らないように警告した。現代のロケット打ち上げでは、年に数回ほど危険区域内への立ち入りが発生しており、打ち上げが遅れたり、そのまま中止になったりといった問題が起きている。この時代であれば、「入ってきた方が悪い」として、打ち上げは強行できそうではあるが。
《打ち上げ、7分前になりました。射場から全ての作業者が退避を完了し、安全を確保しました》
その後も淡々と打ち上げシーケンスは進んでいく。
《打ち上げ、3分前になりました》
《フレームデフレクター、冷却開始》
フレームデフレクターは、打ち上げ時の地面に対する発射炎を、被害が出にくい方向へ逃がすロケット直下の設備のことである。噴射炎の熱に耐えるため、これの冷却を開始したということだ。なお、まだ焼津発射場にはロケット直下に水をばらまいて噴射炎の熱を和らげるウォーターカーテンは建設されていない。そこまで巨大で、打ち上げ時の加速が鈍く、長時間フレームデフレクターが炙られるようなロケットを作ったことがないからである。
《15、14、13……》
《フライトモード、オン》
「いよいよか……」
ロケットの制御系の電源が入れられ、打ち上げシーケンスが大詰めを迎えた。打ち上げ関係者や、それを見守る耀子たちの緊張も一段と高まる。
《3、2、1……》
《第1段エンジン点火、リフトオフ》
アナウンスとともに第1段固体燃料ロケットエンジン「S-A-12A」が点火され、轟音ととともにネルVを大空へ向けて飛び立たせた。
「よし、飛んだ」
ひとまず無事に飛び上がったのを見て、耀子は小さくガッツポーズをする。しかし、打ち上げはまだスタートを切ったばかりだ。無事にミッションを達成するまで、安心はできない。
「耀子さん、管制室のほうに移動しましょう」
「わかりました。その方が経過が見やすいですもんね」
指令室では打ち上げ前から発射直前までの機体の状況をモニタリングしている。一方、管制室では発射直後からロケットの現在位置を光学測距儀とレーダーで監視しており、打ち上げ後はこちらに移ったほうが状況がわかりやすいのだ。
《ロケットは現在、南東方向の太平洋上を飛行しています》
《打ち上げ後、1分が経過しました》
文子のアナウンスを聞きながら、耀子を含む数人が管制室の方へ急ぐ。
《ロケットは順調に飛行中。地上局の追尾状況も正常です》
この時代、ロケット側に現在の高度を地上に送らせるのは難しい。このため、管制室側からロケットを追尾することで、現在位置をプロットしていっているのだ。
「これ人力で追いかけてるんですよね。よくロストしないなって毎回思います」
「海軍さんの修練のたまものってやつでしょうねえ」
管制室についた耀子は、椅子に座りながら管制官たちの仕事に感心する。この困難な作業をしているのは、もともと海軍で対空砲員を担当していた退役軍人たちだ。高速で飛ぶ飛行機を追いかけていた彼らでないと、務まらない仕事なのである。
《第1段エンジン、燃焼終了》
そして、管制官からの監視結果とフライトシーケンスを照らし合わせ、第1段エンジンの燃焼停止がアナウンスされた。この時点でロケットの高度は40kmを超えており、第2段エンジンで残り60kmを上昇する予定になっている。
《第1段、第2段分離》
《第2段エンジン燃焼開始》
「よっしゃ!」
間髪入れずに第1段の分離と第2段エンジンの燃焼開始がアナウンスされた。前回失敗したシーケンスを突破したことで、管制室内に拍手が巻き起こる。
「あとはこのまま既定の時間燃焼してくれれば……」
「打ち上げ成功ですね……」
まだこの後も、例えばポンプや配管、燃焼器が破裂する危険はあった。しかし、ゴダード自らが設計し、改良を重ねてきたL-D-1Bは、特にトラブルを起こすこともなくその役目を果たす。
《目標高度100kmに到達。打ち上げミッションは完遂されました》
「よぉくやった!」
ミッションの達成が確認され、管制室内は大きな歓声に包まれた。喜びのあまり飛び跳ねる者、隣の人と抱き合う者、不思議な踊りを踊る者、みな思い思いの方法で喜びを表現している。とくに、耀子たちと一緒に管制室に来ていたゴダードは、課員からもみくちゃにされていた。
「いやーよかったよかった……これでまずは一安心ですね……」
「やりましたよー! 耀子さん!」
と言った耀子が横の岩蔵を見ようとした瞬間、指令室にいるはずの加藤たちが現れ、耀子に抱きついてきた。見ると、岩蔵の方も材料開発課の男性課員たちに絡みつかれている。
「そうね、皆さんよく頑張りました」
まだ太平洋上にパラシュート降下してくる第2段を回収し、ペイロードが記録しているロケットの飛行記録を解析する作業が残っているのだが、ひとまず耀子は課員たちをねぎらうことにした。
この後彼らは、はるか空の彼方から敵国に死を届ける兵器の開発に従事することになるだろう。だが、それを今、特にゴダードに対して伝えることは、あまりにも無粋だろうと思い、耀子はかけようとした言葉を一旦胸の奥にしまい込むのだった。
ゴダードが史実で飛ばしていたロケットの名前が「Lシリーズ」だったので、これをそのまま液体(Liquid)燃料ロケットエンジンの名前にしました。「Lシリーズの第4世代(D)の推力1t」で「L-D-1」です。
ちなみに、固体ロケットの方は「S(Solid)シリーズの第1世代(A)の推力12t」です。
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