空を見上げる乙女たち
そろそろ響子(長女)の露出度も増やしていこうかなと思います。
7/13:ワイドボディ機の乗客数を修正
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「教科書……国語ヨシ、算数ヨシ、博物ヨシ……」
「全部ヨシ。持ち物確認ヨシ」
休み明けの朝、5年生の響子と2年生の馨子は、出発前の持ち物確認を実施していた。山階家では忘れ物を防止するため、出発前のチェックリストと指さし呼称を実施している。普通の子供ではめんどくさがってちゃんとやらないことをまじめにやっているあたり、この家の子女の「出来の良さ」みたいなものがうかがえる光景だ。
「みんな、準備できたー?」
「大丈夫でーす」
化粧を終えた耀子が上階の娘たちに声をかけると、響子が返事をする。山階侯爵家では、母親である耀子が自分で子供たちを学校まで送り届けているが、そもそも華族家庭では使用人による送迎が一般的であったから、耀子が朝に子供たちを送っていくこと自体が珍しいことであった。
「それじゃあ行こっか」
「はーい」
山階家の自家用車のうち、こうした日常の足に使われたのは、帝国人繊四輪技術開発部──現在はくろがね重工業の一部──のウィズキッドである。自身の趣味と理想を詰め込んだこの車を通退勤時に運転することが、耀子にとって癒しの時間の1つとなっていた。
「シートベルト締めたね?」
「締めました」
「締めたー」
全員がシートベルト──本来は米国で発明されるものだが、耀子はラリーモンテカルロに出したジムニーの時から、自社開発の三点式シートベルトを自社の車に装備させている──を装着したことを確認してから、耀子は車を発進させた。
「車、いっぱいいる」
「そうだねー」
響子たちが通う青山の学習院女子初等科の生徒は、華族令嬢である。彼女たちの送迎には当然自動車が用いられるので、朝は送迎の車で路上が渋滞しているのだ。
「そういえば、お母様の会社だと、ウィズキッドが圧倒的に売れている車なんだよね? 学校の前ではあまり見かけないけど……」
「まー、普通の華族家は見栄えとか気にするからね。ウィズキッドは平民でも手が届くように作られている大衆車だから、家格にたいして車格が低いってことなんじゃないかな」
ウィズキッドを送迎に使うのは主に男爵家である。それ以上の家では同じ軽自動車でもより高級志向な三菱内燃機製造 ミニカ、ショーファーカーとして作られており、帝国人繊も役員車として用いている日本産業 グロリアや豊田自動車工業 センチュリー、外車なので何となく高級感がある(日本人主観)タトラ T47、モーリス ミニなどが用いられていた。
「そういえば私も、『なんであんな小さい車で通ってるの』って言われたことあるよ。『お母様が一番大切にしている車だから』って返したけど」
「ふふ、ありがと」
そんな会話をしていると徐々に車列も進み、ようやく正門前までたどり着く。
「ついたよー」
「ありがとうございました。行ってきます」
「いってらっしゃい」
助手席の響子はそう言って素早く車から降りると、背もたれを前に倒して後部座席から馨子を引っ張り出した。
「いってきまーす」
「がんばってねー」
馨子も母親にあいさつすると、幼女なりに力を込めて助手席のドアを閉める。安全を確認した耀子は、職場へと車を走らせていった。
「土井ちゃんおはよー」
「あ、山階ちゃん。おはよう」
教室にやってきた響子は、友人の土井美恵子──先代土井子爵利与の末娘──に声をかける。
「土井ちゃんは冬休み何してたの?」
「犬吠埼で初日の出を見たよ。すごくきれいだったけど、私としてはもっと嬉しいことがあってね……」
「なになに?」
「なんと、河原鳩のワイドボディ版に乗れましたー!」
「おぉーすごーい!」
彼女は響子によって飛行機オタクの道に引き込まれてしまった──史実でも飛行クラブに所属してグライダーの操縦をたしなんでいたから、素質はあったわけだが──哀れな犠牲者であった。ワイドボディ版河原鳩は、日本航空技術廠製の最新エンジン「護」を積んだ双発旅客機であり、最近民間航空会社での運用が始まった機体である。
帝国人造繊維 AL32P "河原鳩"2型乙(ワイドボディ版。ナローボディ版がAL22P2型甲)
機体構造:高翼単葉
胴体:エポキシ樹脂系GFRPセミモノコック
翼:ウイングレット付きテーパー翼、エポキシ樹脂系GFRPセミモノコック
高揚力装置:ファウラーフラップ、スラット
乗員:操縦士2名
乗客:4列×8人
全長:21 m
翼幅:30.0 m
乾燥重量:7300 kg
全備重量:12000 kg
動力:日本航空技術廠 護 1型乙 ×2
形態:空冷星型複列14気筒4ストローク
排気量:44.5L
動弁系:OHV4バルブ、手動吸気VVT
過給機:石川島重工業 排気タービン式一段一速
離昇出力:1300hp/2400rpm
公称出力:900hp/2000rpm
プロペラ:日本楽器製造 PBT系GFRP製3翅無段階選択ピッチ
最大速度:340 km/h
航続距離:2000 km
巡航高度::7000 m
「やっぱり、通路が2本になった分、窮屈な感じが減った気がしたよ。座席の大きさはたぶんナローボディ版と変わってないと思うんだけどね」
「やっぱそうなんだ。それ以外は?」
帝国人繊オーナー一族に名を連ねる響子も、この機体を見たことはあったが、まだ乗ったことはなかった。
「うーん……別に1型と比べて巡行速度が速くなったわけじゃないし、エンジンが静かになったわけでもないから、乗客としては居住性が増したことが目立つ改良点かな。航空会社としては一度のフライトで運べる乗客が2倍になったんだから、もうちょっと運賃が安くなってもいいと思うんだけど……」
「仕方ないよ。今までの河原鳩1型は座席数が16しかなかったから、運賃収入だけじゃ赤字だったんだ。2型のワイドボディ機でようやくトントンだって話だから、そんなに安くはならないと思うよ」
河原鳩1型のライバルはダグラスDC-2、2型のライバルはDC-3である。史実でも席数21~32を誇るDC-3が開発されるまで、航空会社は政府からの補助金で赤字を補填していたのだ。ダグラスの機体より軽量で、燃費でも勝っている河原鳩系列だとしても、状況は似たようなものなのだろう。
「なるほどな~。やっぱ早く航空会社に就職して、乗客から乗員になりたいな~」
「それじゃあまずは立川高等女学校に合格して、銚子高等女学校みたいに滑空部を作ろうよ」
「いくら近くに飛行場と飛行学校があるといっても、そううまく設立できるかなあ」
いくらグライダーと言っても、航空機であるからには相応の導入費や維持費がかかる。女性が先進的なあれこれを始めようとすると物言いがつきやすい時代でもあるから、美恵子にはどうも現実的なやり方には思えなかった。
「何かに挑戦するとき、お母様はいつもこんなことを言います。『できるかな? じゃねえよ。やるんだよ』」
「山階ちゃんのお母様にそれを言われたら何も言えないよ~」
響子がふざけ半分に母親の物真似をすると、美恵子は盛大にため息をついて机の上に伸びる。少しずつ不穏になっていく国際情勢とは無縁の、穏やかなひと時であった。
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