【閑話】プ□ジェクト×-3
なぜか好評だったこのシリーズもいよいよ終幕です。
書籍版発売中です。詳しくは活動報告をご覧ください。よろしくお願いします。
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「スタジオには引き続き山階耀之さんに来ていただいております。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
挨拶もそこそこに、ここまでの背景について耀之から引き出すパートが始まる。
「鷹司さんが大学生の時から開発してきたこのジムニーですが、どういった思いで開発を決断したのでしょうか」
「あの当時の日本というのは、とにかく道路が整備されてなくて、舗装されていないのは当たり前、下手するとけもの道しかない、といった地域があちこちにありました」
「車の側が、どんな場所でも走れるのであれば、道路が未整備でもモータリゼーションを起こせる、そう考えて、ジムニーを作ったと聞いています」
母親のプロダクトについて意見を求められることが多かった耀之は、自身の興味もあり、自分が生まれる前に作っていたものについても生前にインタビューを重ねて情報をまとめている。このため、この世界では耀之のまとめた「鷹司耀子伝」が、彼女を知るための一級資料として重宝されていた。
「また、欧州大戦でフランス軍がタクシーを使った歩兵の輸送で日本軍を強力に支援してくれたという戦訓があり、実は陸軍も、ジムニーの謳う『道なき道を往ける走破性』に興味を示していた、というのもあったようですね」
「ありがとうございます」
「こちら、スタジオに登場しておりますジムニーは、鷹司さんが発売日当日に購入し、亡くなるまでずっと所有されていたジムニーとのことですが、どういった思い出がございますか」
「そうですね。私が小さいころの学校への送り迎えはジムニーでしたが、あの時はまだ小さかったのもあって、乗り降りが大変でしたね。走破性をよくするために床が高くなってますから。ウィズキッドが出てからは、母もそちらの方をかわいがっていたのもあって乗る機会は減りましたが、雪が降った日は、タイヤが滑ったらよくないということで、ジムニーが引っ張り出されましたね。この車に乗るときは、不思議と安心感がありました」
そして場面は再現映像へと戻り、ラリー・モンテカルロの様子が語られ始めた。
「長大なレースコースに対して、レッキの時間は1か月しか確保できなかった」
『まずは全部走り切ることを目標にしよう。そして、時間をかけてペースノートを作るべきところだけを重点的に走ろう』
「滋野の考えのもと、チームは2台のジムニーに分乗し、パリから南下を始めた」
この時、背景ではジムニーの走行音が鳴っているが、きちんと実車の音を収録して使用している。このテレビ局らしいこだわりだ。
『ほとんどの行程はフランスの平原を走るだけ。コースアウトさえしなければよい』
「ペースノートに筆を走らせつつ、佐藤は考える」
『仕掛けどころは、グルノーブルを過ぎてからの山道』
『特に最後の、コントからペイユを経由してモンテカルロに至るつづら折りの峠道だ』
『今は冬だからこの道には大量の積雪があり、オンロードタイヤの二輪駆動車はまともに走れない。ここを重点的に走り込み、四輪駆動車とオフロードタイヤの走破性を生かして、勝ちに行こう』
「ジムニーの排気量は、わずか1L。7L以上もあるライバル車も参加する中、普通に走ったら勝てないことは、明白だった」
『冬の峠道なら何度も走り込みました。本番は絶対に勝ちます』
「本番前夜、千坂は皆の前で、そう意気込んだ」
「1921年1月。レース当日」
「パリ、エトワール凱旋門の下から、30台自動車が一斉にスタートした」
「もみ合いを避けるため、千坂はわざとスタートを遅らせ、後方から追い上げることを選択した」
「レース前半は、7.1Lの排気量に物を言わせたルノー40CVなどが景気よく先頭を争う高速戦」
「それでも、千坂・佐藤車は常にアクセルを全開にする走りで15位前後の順位をキープし、この部分をしのいだ」
「そして、レース中盤、グルノーブルを過ぎてからの、山道」
「ライバルたちが速度を落とす中、千坂のジムニーは、佐藤に導かれて、ほとんど速度を落とすことなく駆け抜けた」
『あいつらは命が惜しくないのか』
「追い抜いた車のドライバーが、叫んだ」
「峠道エリア直前の、サン=マルタン=デュ=バールでの千坂・佐藤車の順位は、6位」
「千坂と佐藤は、この時点で、勝ちを確信した」
「大排気量で後輪駆動のライバル車たちは、雪上でスタックしたり、アイスバーンでスリップしたりして、レース前半でのスピードを全く出すことができていない」
「これを脇目に見ながら、悪路でのグリップ力を重視したタイヤを履き、四輪を駆動するジムニーは、スタックすることなくストレートを走り、パワースライドを駆使しながらコーナーをクリアしていく」
『これで、俺たちが、一位です』
「トロトロ走るライバルを追い抜きながら、佐藤が叫んだ」
『帰るまでが遠足だって、耀子さん言ってました』
「千坂が、叫び返した」
「ラ・トゥルビーを抜けて、モンテカルロに至る最後の区間も、いくつものヘアピンコーナーが続く」
「最後は、自分達との戦いだった」
「滋野たちは、一足先に、モンテカルロで待機していた」
「だれもがみな、気が気ではなかった」
『おい、この音は』
「スタッフの一人が、叫んだ」
「耳を澄ますと聞こえてくる、2ストロークエンジン特有の、乾いた排気音」
「間違いなく、ジムニーのエンジン音だった」
『千坂と佐藤がやってくれたぞ!』
「滋野も、叫んだ」
「千坂と佐藤は、無事にジムニーをモンテカルロまで走らせた」
『もう疲れました。へとへとです』
「千坂が言った」
『奇遇ですね、俺もですよ』
「佐藤が答えた」
「最初は食らいつくのが精いっぱいだった、日本の小さな車が、終わってみればぶっちぎりの一位」
「世界中の関係者が、あぜんとした」
ここでスタジオに視点が戻り、物語の総括を行う。
「というわけでジムニーが無事、ラリー・モンテカルロを優勝したわけでございますけれども、鷹司さんとしてはどのくらいの勝率だと見込んでいたのでしょうか」
「無様な負け方は絶対しないと考えていたと聞いております。母の中では、雪道における四輪駆動車の優位は絶対的な物であって雪道なら当時の大パワー二輪駆動車に負けるわけがないと考えていました」
「四輪駆動車というジャンルは、このラリー・モンテカルロをきっかけにして、ほぼジムニーが開拓したといっても過言ではないわけですが、よくそんなことを走る前から確信できましたね」
「其処が母の、ある意味おかしなところなんですよね。未知のことについて、やってみなくちゃわからないと言うこともあれば、これは絶対にこうなると主張して譲らないこともある。そういう予言者みたいな一面がありました。だからジムニーもこう、技術者の勘みたいなやつで、絶対うまくいくことが母の中ではわかってたんでしょうね」
「それではせっかくですから、ジムニーに乗ってみましょうか」
そう言って3人はジムニーに乗り込む。耀之が運転席を譲られ、アナウンサー二人は助手席を倒して後部座席に乗り込んだ。
「エンジンもかけてみましょうか。山階さん、お願いします」
そう声をかけられると、耀之は軽くアクセルを踏みながらキーをひねる。収録開始前に試運転していたエンジンはアッと言う間に目覚め、2500rpm程度まで一瞬吹け上がった。
「どうですか、山階さん」
「そうですね、改めてラリー・モンテカルロの話を振り返ってから、この車の座席に座ると、当時の苦労とかが想起されますね」
このあたりからエンディングテーマソングの前奏が始まる。果ての無い旅を続ける旅人が、立ち止まりつつも歩きつづけるさまを、後ろから来た前照灯が、通り過ぎて小さくなっていく尾灯に代わっていく様子になぞらえるしっとりとした歌だ。
「そういえば、鷹司さんも運転がお上手だったとお聞きしておりますが、本当は自分が運転したかったんでしょうか」
「そうだったようですね。ただ、あの当時は大躍進した日本を妬む国が大勢あって、母の命を狙う人もいたと聞いております。それに、ラリーは命を喪うこともある危険な競技ですから、志半ばで死ぬわけにはいかない当時の母は、外国に行くことすらままなりませんでしたし、ラリーに出るなんてもってのほかだったでしょう。ですから、(千坂)文子さんがモンテカルロを制した時、本社で一番喜んでいたのは、母だったと聞いております」
そうして番組は終わりへと向かっていく。エンディングテーマに合わせて、開発やラリーに関わったメンバーのその後が字幕で紹介され、最後にエンドロールが入って終了した。
この番組では、その後もたびたび帝国人繊やその関連会社の事績が紹介され、耀子に「プ□ジェクト×の常連」「親の顔より見た鷹司」というあだ名が増えることになるのだが、本人は知る由もなかった。
完全によそのコンテンツに便乗したような感じになってしまいました。
もっと自分の力だけで面白い話をかけるようになりたいですね。
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