【閑話】プ□ジェクト×-2
すみません、あともう1回分ください……
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「こうしてジムニーの開発が始まったが、開発は難航した」
「車体設計は蒔田が担当することになった。難易度は今までの仕事よりそこまで上がっていないが、とにかく仕事量が多かった」
「エンジンは豊川と辻の担当だったが、先日苦心して開発した飛行機用エンジンは大きすぎるため、開発は一からやり直しとなった」
「しかし、希望もあった。豊川順彌の弟、豊川二郎が、病気療養を終えて帝国人繊に入社したのである」
『待たせたな、蒔田。僕にも自動車を作らせてくれ』
「蒔田は、胸がいっぱいになった」
「また、学業の合間を縫って、鷹司も動いていた」
「帝国人繊に出資していた三共商店を説得し、生産ラインを整えさせたのである」
「くろがね重工業の前身、三共内燃機の誕生であった」
「そして、この三共内燃機に派遣され、生産設備の一切を取り仕切ったのが、鈴木道雄である」
『お客さんが欲しがっているのなら、なんとしてでもやり遂げろ。大丈夫、何とかなるもんだ』
「口癖のように言っていたこの言葉通り、鈴木は何とか自動車を試作できる生産ラインをくみ上げた」
『試作だけに使うにはもったいない。折角だから、もっと簡単な機械を作って売れないか』
「鈴木がこんな手紙を鷹司に送ると、彼女は自動車の前に、まずバイクを作って売ることを提案した」
『今、欧州の戦場では、部隊間の連絡用にバイクが重宝されているみたいです。うちも作って陸軍に売りつけましょう』
「自動車づくりを一時中断し、バイクづくりをすることになった」
「完全な寄り道では、自動車開発に向けて得られるものが少ない」
「そこで鷹司は、できる限りジムニーに転用できるコンポーネントで、バイクを作るように指示を出した」
「1000ccの2気筒エンジンを500ccの単気筒エンジンに半減させ、変速機も、シフトフォークやドッグクラッチなどは、開発中のジムニーから流用したのである」
「こうして開発したバイク『GT500』を陸軍に貸し出し、性能評価を依頼すると、数々の不具合が明らかになった」
『市場に出す前なら、不具合は多いほど良いのです。気づいて対策できますからね』
「開発状況を伝えられた鷹司はこのように豊川らを励まし、焦らずじっくり取り組むように促した」
「生産担当の鈴木や、車体担当の蒔田らも、お互いに知恵を出し合いながら、地道に不具合対応を続けた」
「ようやくGT500のすべての不具合を対策し終えた時、欧州大戦は、もう、終わっていた」
「蒔田が四輪駆動機構の分析を始めた時から、3年後の事であった」
ここでもう一度スタジオに視点が戻る。
「スタジオには鷹司耀子の長男で、帝国人繊ミュージアム名誉館長の山階耀之さんにお越しいただきました。山階さん、今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
3人があいさつした後、女性アナウンサーが79歳の耀之に質問を投げかける。
「山階さん、こちらのGT500ですが、どういったバイクだったのでしょうか」
「今このスタジオに運び込んである個体、ということでしたら、私の父である山階芳麿がですね、陸軍時代に市場評価試験の一環として通勤などに使用し、退役後に払い下げられた一台でございます」
「GT500というバイクそのものの事であれば、これは現在のくろがねGTシリーズにも引き継がれております『大いなる余裕』をコンセプトに作られたバイクでして、車重に対してトルクがあり、あの当時としては長時間運転しても人もバイクもヘタリにくい、そんな高性能なバイクでしたね」
途中で編集によるカットをはさみつつ、耀之が質問に答えた。
「ありがとうございます。山階さんは、このバイクに何か思い出はありますでしょうか」
「母が自動車を愛していたように、父はバイクが趣味だったんですね。ですから、私が小さい頃は、まさしくこのGT500で通勤してましたし、私自身も、後部座席にまたがってドライブに連れて行ってもらったりしましたよ。私自身の思い出ではないのですが、陸軍時代はあまりにGT500を乗り回しているせいで、近隣住民から『カミナリ宮様』なんてあだ名がついてたみたいですね。ほら、バイクってバリバリ音が出ますから……」
「はー……芳麿さんは鳥類学者として知られる方ですが、バイク好きの一面もあったんですね。ありがとうございます。……さて、必要な基礎研究を終えた帝国人繊は、いよいよジムニーの試作に乗り出します。そして、車両が出来上がったことを聞いた鷹司は、ある目標を掲げました。ご覧ください」
場面は再び再現映像に戻る。
「大正6年、4月。ついに、ジムニーの試作車が完成した」
『寸法はあってるはずだが、図面で見るよりも小さく見えるな』
「組みあがった試作車を見て、鈴木が言った」
『小さい日本人にはちょうどいい大きさでしょう。走行テストもやりやすそうです』
「鈴木の一言に、蒔田はそう返した」
「テストを行うのは、試験部の滋野清武。フランスで航空免許を取得した、テストパイロットだった」
『自動車は自動車で、また違った難しさがある』
「テストコース代わりの品川市街地を運転しながら、滋野はそんなことを感じていた」
「ジムニーの試作車にも、故障が頻発した」
「開発チームはありとあらゆる不具合対応に追われていたが、それでも、パワートレインはGT500の開発を通じてある程度不具合を対策していたたため、マシであった」
「同年9月、東北大学を卒業した鷹司が、東京に戻ってきた」
『ジムニーに乗せてほしい』
「帝国人繊に復帰した鷹司は、まるで以前乗ったことがあるかのようにジムニーを乗りこなし、次々と不具合を指摘した」
「蒔田らは、戦慄した」
「また、鷹司が図面に向かって不具合を修正している間、滋野は秘書課の新入社員にジムニーの運転を教えることになった」
「千坂文子。東北大学にいる間、鷹司につけられていた護衛兼使用人の少女だった」
『ジムニーを、ラリー・モンテカルロに出しましょう』
『女性の運転手でラリーに勝てば、日本だけでなく、欧州で注目を集められます』
「鷹司は、賭けに出た」
「ラリー・モンテカルロは、欧州大戦前の1911年から今日まで行われている格式高いレースである」
「ゴールであるモナコ公国の周辺は山に囲まれており、冬場に開催されることもあって非常に過酷なコース設定がなされていた」
「鷹司はそこに目をつけ、ジムニーの走破性を欧州各国にアピールしようと考えたのである」
『出るからには、勝ちましょう。やれることは、やりましょう』
「この言葉通り、鷹司はあらゆる手段を使った」
「まず最初にやったことは、ルールの整備。この当時のラリー・モンテカルロはスタートが決まっておらず、コースもあいまいだった」
『競技である以上、各参加者は公平なルールの下で競い合うべきです。ゴールだけでなく、スタートもコースも統一しましょう』
「実際、前回大会ではドイツチームが1位入選をはたしていた」
「しかし、タイム以外の評価点でフランスチームが総合優勝したため、各国からは不満が出てていた」
「鷹司はそれをうまくまとめ、運営にルール整備を迫った」
「また、車とルール以外にもう1つ、大事なものを開発させた」
「タイヤである」
「開発したばかりの軽量で頑丈なアラミド繊維『テクノーラ』をカーカスに使用し、この当時では他に例を見ないブロックパターンを採用した、世界初の本格的なオフロードタイヤ」
「これを、自社から社員を出向させてまで、鈴木商店が作ったばかりのタイヤメーカーに作らせた」
「そして、最後の1手が」
「『試走』と『ペースノート』である」
「あらかじめラリーが行われるコースを試走しておき、直線の長さやコーナーの難易度などを記録することで、ドライバーが運転操作に集中できるようにする方法だった」
「ドライバーが運転中にペースノートを読んでいたら本末転倒なため、これを読み上げるコ・ドライバーが必要である」
「それに抜擢されたのは、試験部の佐藤要蔵。飛行機にあこがれ、意を決して上京し、帝国人繊の門をたたいたヒコーキ野郎だった」
『俺は、飛行機に乗りたかったんだがなあ』
「佐藤がぼやくと、鷹司は」
『大丈夫。両方乗せます』
「と、言い放ち、本当にコ・ドライバー教育と、パイロット訓練の両方をこなすスケジュールを組ませた」
「敵わないと、佐藤は思った」
「佐藤のコ・ドライバーとしての指導は、鷹司が直々に行った。実質的なオーナーとして帝国人繊を切り盛りする傍ら、自らハンドルを握って佐藤にペースノートの作り方や読み上げ方を指導し、その最中に感じ取ったジムニーの不具合を設計チームに報告して、場合によっては自ら図面に向かって対応する」
「それが、このときの鷹司耀子という、令嬢のしていたことであった」
「そして、1920年12月」
「滋野を団長とする帝国人繊ラリーチームが、フランスへと降り立った」
「ラリー・モンテカルロの本番は、翌年1月へと迫っていた」
今度こそ次で終わらせます……
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