【閑話】プ□ジェクト×-1
某番組が復活するということなんですが、X上では程度の低い皮肉ばかり言われていたので、勢いで書いてみました。自分の筆力が足りず、ハーメルンでやれと言われそうな文体になっていますが、ご容赦ください。
書籍版発売中です。詳しくは活動報告をご覧ください。よろしくお願いします。
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番組は、現代日本のどこかの道路の映像と、独特の淡々とした語り口のナレーションから始まった。
「自動車」
「最高時速100km/h以上で疾走するこの乗り物は、現代社会を生きる私達にとって、欠かせないものとなっている」
「しかし、自動車がこの速度で走るためには、整備された舗装路が必要だ」
ここで、悪路を跳ねながら走る自動車のモノクロ映像に切り替わる。
「今でこそ、ほとんどの道路が舗装されている」
「しかし、20世紀前半までは、舗装はおろか、道路すら整備されていない地域が数多くあった」
こんどは"鷹司"耀子のモノクロ写真が映し出される。
「道無き道を行き、野も山も越えていける、日本向けの自動車が必要だ」
最後に、現代の道路を走る初代ジムニーが映され、オープニングへと移行した。
「これは、現在まで続くロングセラー車を開発した、人々の物語である」
オープニング主題歌はもちろん例のあれである。身近なところにあったはずのきらめきのようなものが、人知れず消えていく、その儚さを高らかに歌い上げた名曲をバックに、キーワードが画面上に次々と映し出された。
「大正4年」
「半官半民の新興財閥」
「維新以来の才女」
「技術者の不足」
「新人ばかりの設計チーム」
「手探りでの開発」
「ラリー・モンテカルロへ」
オープニングが終わると、初代ジムニーがスタジオまで入ってくる。
「写真では大きく見えますけど、近づいてみてみると意外とちっちゃいんですねぇ」
女性アナウンサーが感心したような声を上げると、ジムニーを運転していた男性司会者がエンジンを止めて下りてきた。
「これが1920年のラリー・モンテカルロを制した日本初の量産自動車、ジムニーです。当時誰も注目していなかった四輪駆動機構を搭載してね、冬の峠道をすさまじいスピードで走り抜けていったというとんでもない自動車だったんですよ」
「プ□ジェクト×~超越者たち~、今回は日本初の量産自動車開発と、世界の壁に挑んだ人々の物語です」
画面はスタジオから再び再現映像に移り、ジムニーの開発秘話が語られる。
「大正2年」
「半官半民の新興財閥、帝国人造繊維の入社式が、ひっそりと行われていた」
「当時の日本は、高等な機械を扱える技術者が不足していた。財閥とはいえ新興勢力である帝国人造繊維に、好き好んで入ろうとする者は、ほとんどいなかった」
「この会社を実質的に率いるのは、維新以来の才女と謳われた技術者、鷹司耀子。当時16歳の少女だった」
『技術部門はわずかに1個小隊、50人に満たぬ新兵に過ぎない。だが諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している。ならば我らは総力50000人の軍となる』
「この入社式にいた新入社員、蒔田哲司。気が引き締まるのを感じた」
「入社後、蒔田が初めて任された仕事は、オランダの零細自動車会社『スパイカー』の四輪駆動機構の調査であった」
『すこし先の話になりますけど、日本の道なき道でも平気で走れる自動車を普及させたいんです。そのために、この四輪駆動機構は間違いなく欠かせないものになると考えています』
「鷹司は、とても少女とは思えない強い熱意を持った瞳で、蒔田に言った」
『まずは他社の四輪駆動機構をうちで再現できるようになるまで、分解調査をしてください』
「蒔田が期限を訊ねると、鷹司は苦笑しながら答えた」
『来年から私が大学に行ってしまうので……まずは1年くらいかな。ゆっくりじっくり取り組んでください』
「翌日から、蒔田の戦いが、始まった」
「東京工業高等学校、今の東京工業大学を卒業していた蒔田ではあったが、設計の現場経験は当然ない」
「帝国人造繊維 発動機開発部の豊川順彌と辻啓信が、エンジン開発の傍ら、蒔田の指導にもあたった」
「そして、彼らの受け持つ航空機と歩兵戦闘車用のエンジン開発も、受験勉強中の鷹司自身が開発を主導していた」
「技術者の数が、全く足りていなかった」
「それでも、苦心の末、翌年には四輪駆動機構の図面が出来上がった」
「仙台の鷹司に図面の複写を送ったところ、このような返事が返ってきた」
『すべての部品について、その設計意図を合理的に推測できていますか?』
「蒔田は、衝撃を受けた」
『自分が今までこの四輪駆動機構の調査をしていたのは、オリジナルの四輪駆動車を設計するためだ。スパイカーが何を考えてこの構造にしたのかを推測できていなければ、独自の自動車を作ろうとしたときに応用がきかない』
「初心に帰った蒔田は、再び四輪駆動機構の調査に打ち込んだ」
「大正3年になると、豊川と辻の抱えていた仕事にケリがつき始め、蒔田はより充実した指導を受けられるようになった」
「そしてその年の8月。大学が夏休みに入り、一時的に東京に戻ってきていた鷹司から、(豊川、辻、蒔田の)3人は新たな仕事を受け取った」
『そろそろ、四輪駆動車の設計を始めましょう』
「その場の全員の胸が、高鳴った」
「鷹司は仙台でまとめた要求仕様書とコンセプトアートを広げ、開発しようとしている自動車について3人に説明した」
「道無き道を行き、野も山も越えていける、頼れる相棒」
「自分以外無二の存在、自無二」
「日本人が作った、日本の国土のための自動車を作る挑戦が、始まった」
ここでいったんスタジオに視点が戻され、当時の日本について説明がされる。
「ということでどんな荒地も走れる自動車の開発が始まったわけですけれども、当時の状況としては実際どうだったんでしょうか」
「この時の日本はまだ欧米に追い付こうと近代化に邁進していた時期で、自動車を量産できるような技術力も工業力もなかった時期なんだよね。それでも、帝国人繊は飛行機用のエンジン開発に成功して、それを搭載した爆撃機と歩兵戦闘車を陸軍に配備させ始めていた時期ではあった。つまり、人も物も足りないなりに、帝国人繊は基礎を固めてきていて、軍需の次は民需だと、そういうことで、自動車開発に踏み切ったと言われてます」
「はい。いよいよ本格的な自動車開発がスタートするわけですが、数々の困難が帝国人繊を襲います。彼らはどうやって、それを乗り越えてきたのでしょうか」
長くなりそうなのでここでいったん切ります。
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