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太陽に囀れ

ペラ回しまぁーす!

「まさか今生でも鳥人間コンテストに出る羽目になるとは思わなかったよ」


 耀子は自室でため息をつく。前世の彼女──当時は"彼"だった──は学生時代飛行機屋を目指していたのである。その第一歩として大学では鳥人間サークルに属し、毎年機体作りを手伝っていたのだが、まさか転生してから自分で機体を設計することになるとは思っていなかった。


「前世では結局飛行機屋にはなれなかったけど、まさか今生のこのタイミングで、しかも設計を任せてもらえるなんてなあ……CADもCAEもないこの時代にできるんだろうか……」


 しかし物理より有機化学のほうが圧倒的に得意だったのが運の尽き、機械系ではなく材料系の学科に進んだため、大学院を卒業するころには航空業界のCFRPブームが過ぎ去り、就活に失敗してしまった。代わりに車体の軽量化に限界を感じていた自動車メーカーに拾われたが、社会の厳しさと無茶な開発日程の前に打ちのめされ、体調を崩していき……というのが彼女の前世である。その時の経験が今生でも役に立ってしまうというのは、まさに人生塞翁が馬ということだろうか。


「まあ菊池さんも言ってたけど、できるかなじゃなくてやるしかないんだよね……数学的なことは会社のみんなと横田さんに頑張ってもらって、私はコンセプトアートと図面作りに専念しよう。今の私は女学生だし、まだ許してもらえるさ」


 などと無責任なことを言いながら耀子は学習机に向かう。


「"まずは絵を描け。良い絵は必ず良い製品になる……"」


 今から48年後、多くの日本国民に愛された名車スバル360を完成させる百瀬晋六の言葉をかみしめながら、耀子は鉛筆を走らせた。




 一方の生産本部も苦労していた。


「長さ5mのGFRP板が欲しい?」

「そんなでけぇ金型ねえぞ」


 製造上一番の問題になったのが、主翼を縦貫する最も重要な骨「桁」である。設計側の要望としては、この桁をGFRPの一枚板とし、構造計算の簡易化と軽量化を図りたいというものであったが、当時の帝国人造繊維にはこれだけ長尺なFRP板を製造できる設備がなかったのである。


「素直に短い板を継ぎ合わせちゃだめなのか」

「リベットの分重くなるし構造計算も大変になるからできればやりたくないと……」


 集められた職人たちは一同に渋い顔をする。金型も使わずに長尺の平板を成型しろというのである。しかも空を飛ぶ乗り物に使うのであるから反りも少ない方がよい。彼らの頭にはうまくいくイメージが浮かばなかった。工場内に重苦しい雰囲気が漂い始める中、一人の若者が口を開く。


「お客様の欲しがるものなら、どんなことをしてでも応える。それが俺たちの仕事だら」


 生産技術部の鈴木道雄であった。浜松──この当時は浜名郡芳川村──から遠路はるばる米沢までやってきた彼は、編み機を改良して特許を取得するなどめきめきと頭角を現し、弱冠23歳にして係長に抜擢されている。


「……そうだな、道雄さんの言うとおりだ」

「ああ、なんだかんだいって、頑張ればできるもんだ」


 職人たちの顔に笑顔が戻る。改めてこの困難な課題に取り組むため、彼らは知恵を出し合い、汗を流した。




 1911年5月24日、約束通り1年と少しで、帝国人造繊維はGFRPの特性を生かした試作機を完成させ、試験飛行のために所沢飛行場に持ち込んだ。


帝国人造繊維 TP11X"鳶"

機体構造:高翼単葉、牽引式プロペラ

 胴体:鋼管フレーム(コクピット部はナイロン板とポリカーボネート板で被覆)

 翼:ウィングレット付き矩形翼、GFRP/ナイロンフレーム羽布張り

  翼型:DAE21(のようなもの)

  フラップ:スプリットフラップ

全長:8.3m

全幅:10.2m

乾燥重量:120kg

 全備重量:220kg

発動機:グラーデ製 2ストローク空冷V型4気筒 16馬力

最高速度:70km/h

乗員:1名


 主翼は相当切り詰められているが、見る人が見れば、マサチューセッツ工科大学の人力飛行機「ダイダロス」の影響を強く受けていることがわかるだろう。耀子は前世で慣れ親しんだダイダロス型の構造をほぼそのまま転用し、設計にかかる時間を短縮したのである。桁の製造も、鈴木らが引抜成形法を開発して解決をみた。だが、今この場には耀子以外にダイダロスを知る者がいないため、どちらかというとエンジンの影響もあって「一回り大きいグラーデ単葉機」という風に見えている者が多かった。


「分厚い主翼だ……張線無しで荷重を受けるためだろうが重そうだな」

「あの見た目でグラーデ単葉機と重量は大差ないらしいぞ」

「なんだと」

「主翼から垂れ下がっている板はなんだ」

「フラップというらしい。主翼の揚力が増大して離着陸が容易になるんだとか」

「空気抵抗が増えそうだな」

「翼下面にぴったりくっつけることができるらしいから、離陸して速度が乗ったらしまうんだろ」

「なるほどそうくるか」


 観衆が思い思いに機体を見た感想を言い合っているなか、機体周辺では最終チェックと操作方法の確認が行われていた。


「ずいぶんがっしりとした機体だな……本当はもっと強力な発動機を積めるんじゃないか」


 操縦を担当する徳川好敏大尉はそうつぶやく。今回、エンジンには2つの選択肢があった。


・ノーム製「オメガ」 4ストローク空冷回転星型7気筒 50馬力

・グラーデ製 2ストローク空冷V型4気筒 16馬力


前者はフランス機でよく使われている回転星型(ロータリーレシプロ)エンジンである。星型エンジンであるためエンジンの全長が短くて済み、出力もグラーデ製エンジンの3倍以上ある。しかし、耀子はあえて後者のグラーデ製エンジンを選択した。これは、回転星型エンジンを使うと、

・エンジン本体が回転している影響(ジャイロ効果)で癖のある操縦特性になる

・オイル漏れが酷く、パイロットにオイルが降りかかる

・この形式のエンジンは一次大戦後に廃れるため、技術を盗む価値がない

といったデメリットがあったからである。

 ただし、徳川の予想通り、この"鳶"は100馬力級のエンジンに対応する機体強度を持っており、現在載せているエンジンに対して頑丈すぎるのは確かであった。


「繰り返しますが、フラップの出し忘れ、しまい忘れにはくれぐれも注意してください。フラップを出さないで着陸しようとすると、揚力が足りなくて良くてハードランディング、悪いと墜落します」

「了解」


 設計主任(ということになっているし、実際、構造計算とかは彼が主になって行っている)の東京大学教授横田成年と徳川の念入りな打ち合わせがおわり、いよいよ試験飛行の準備が整った。


(飛んでくれ、頼む)


 耀子は祈る。今まではずっと、未来知識でほぼ確実に成功することをやってきた彼女だったが、今回の仕事は半分以上手探りで進めてきた。何より、人の生き死にがかかっているのである。そんなに信心深いわけではない彼女も、今回ばかりは祈らずにはいられなかった。


 エンジンが始動され、2st特有の乾いた音が所沢に響き渡る。1分ほどの暖機の後、機体を押さえていた人々が離れ、エンジンの回転数が上がると、機体は滑るように加速していき、ふわりと空へ舞い上がった。


「飛んだぞ!」


 誰かが叫ぶ。呆気に取られていた人々はそれで正気を取り戻し、困難を乗り越えて初飛行を成功させたテイジン開発陣に盛大な拍手を送り始めた。


「やった!」

「飛んだなあ……」

「綺麗だろ?飛んでるんだぜ、あれ」


 帝国人造繊維勢も思い思いの感想を口にしていた。あるものは素直に喜び、あるものは呆然とし、あるものは茶化している。


「うまく行きましたね、鷹司さん」

「あ、菊池さん……」


 耀子は菊池の方を振り向く。


「……菊池さんは、ここまで全部お見通しだったんですか?」

「いいえ」

「じゃあなんで……」


 耀子は菊池に問う。今回はうまくいったからよかったものの、内心押しつぶされそうだったのだ。文句の1つでも言いたかった。


「我々の取り扱う商品は世界の多くの人にとって未知の材料です。彼らにはどう使えばいいのかすら見当もつかない。それではだれも買ってくれません。ですから、帝国人造繊維(われわれ)は常に世界へお手本を示してきました。そう、ストッキングの時からね」


 そういわれてみると確かにその通りで、66ナイロンの時もただ繊維を売り出したところでだれも買ってくれないと思い、ストッキングも内作することにしたのだ。ただ、あの時の耀子はまだ小さかったし、既存の機械を買ってくるだけだと思っていたから、現場の苦労がよくわからなかったのである。だから、この時の体験が帝国人造繊維の上層部から中堅にかけて「新材料を開発した時は、それを使った新製品もセットで発売して、世界に使い方を教えるものだ」という意識を根付かせていたことに気づかなかったのだった。


「でも、こんなに急ぐ必要はなかったんじゃないですか」

「そんなことはありませんよ。善は急げと言いますし、我々がのんびりやっているうちに、もっといい材料が出てくるかもしれないじゃないですか」


 技術は日々進歩する。耀子が歴史に介入したことで、基本的には技術開発が加速する傾向が出ていた。現にニッチツは帝国人造繊維のジアミン需要を追い風として東北地方に次々と化学プラントを建てているし、沖ノ山炭鉱組合は宇部新川に鉄工所を設立して株式会社化、宇部()産となっている。


「ですから、今が踏ん張りどころだと思い、この話を受けたわけです」

「……うちの会社、すごい人たちが集まってて、私がこんな上のほうに居ていいのかって、ちょっと不安になるときがあるよ」

「鷹司さんも十分すごいですよ。あなたがいなければ、そもそもこの会社は存在していませんから」

「まあ……そうですけどねえ……」


 耀子は微妙な顔をして、今や空高く飛んで行ってしまった"鳶"の方を見る。夏の兆しを見せ始めた5月末の風が、所沢の平原を吹き抜けていった。

桂ぁ今何キロぉ!?(ドボォ

というわけでついに主人公の出自が明らかになりました。タイトルのせいでだいぶミスリードしちゃいましたが、耀子は高分子屋といっても工学系、それも複合材料を専門とし、自動車業界に身を置いていたという、割と機械寄りの人物です。この設定は書き始める前から決めていたもので、彼女が材料だけでなく製品開発にもいそしむ一方、原料供給に手を出さない(実験的製法を知っていても工業的製法がわからない、反応は知っていてもプラントに具体化できない)のはそういうことでした。

とはいえ有機化学は無茶苦茶得意なので、無事に大学まで行って勉強をやり直せば、タイトル通り日本を化学立国に導くことができるでしょう……多分。

そんな本作ですが、今後ともよろしくお願いします。

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挿絵(By みてみん)

本作世界のチベットを題材にしたスピンオフがあります。

チベットの砂狐~日本とイギリスに超絶強化されたチベットの凄腕女戦車兵~ 

よろしければご覧ください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] GFRP、ああ、どれだったかのセレナのリアバネですね。 板バネに出来るなら飛行機の桁にも出来る罠。
[良い点] 仕事柄面白く読んでいます。 [気になる点] テフロンは発見するだけならモノマーの入っていたボンベを切り開けば中にあるので、逆行転生チート向きのネタですね。 と言いつつ20世紀初頭ではモノマ…
[気になる点] いくら空冷2stエンジンといえども 暖機一分はあまりにも短すぎるのでは無いかと愚考いたします 平成初期のエンジンですら、一分では安定しませんので 資料をもとに書かれているはずなので…
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