未だ兄弟同士で殺しあっているのか
何ともきな臭い情勢の中、親子の問答が続きます。
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「そうそう、せっかくだから中国情勢の方も話しておこうかしら」
一通りため息をつき終わった耀子は、清と中華民国の状況についても話させてほしいと息子に言う。
「まあ、せっかくですので……」
今年でようやく13歳の耀之にとって、堅苦しい政治の話はそんなに好きなものではない。しかし、華族家の長男であることから避けては通れないことは自覚していたし、両親からの英才教育でなんとか慣れ始めてきたのも事実だった。
「じゃあまず中華民国の状況だけど……実はあの国も大恐慌の影響はそこまで受けてないのよね」
「そういえばそうですよね。諸外国、何なら清はあれだけ経済が混乱していたのに、中華民国からはそんな話を聞かないような」
アメリカの資本が大量に入っていた清では、それらが損切のために一斉に引き上げられたため、経済的に大きな混乱をもたらした。この虚を突いて急成長した地元有力者や日本の財閥も現れたものの、まだまだ立ち直るまでには至っていない。そんな経済的に弱っていて、アメリカの庇護も受けにくい状況だからこそ、中華民国は清への圧力を強めているわけだが、それでは中華民国はどのようなからくりで世界恐慌の影響を緩和しているのだろうか。
「あそこはね、銀本位制だから……なんかこう、世界経済との間に、銀の価格っていうワンクッションが入る感じなのよ」
「我が国も維新前は銀本位制だったと聞きますが、中国は今でもそうなんですね」
「そう。中国の通貨価値は、金の価格との力関係で決まってくる。そして、今は金本位制各国の通貨の信用がなくて、金の価格が上がっているから……」
「銀の値段が相対的に下がって……あれ? 中国通貨の価値も下がる?」
耀之が疑問を呈す。
「でも中国通貨の信用は別に下がってないから、今まで通り使われるでしょ? わかりづらいんだけど、基本的に通貨って価値は低く、信用は高いほうが都合がいいのよ。一般的に信用されている通貨は他所に買われて価値が上がるから、まず両立することはないんだけどね」
「ええっと……?」
いわゆる「円安だと輸出が強くなりやすい」という話なのだが、直感に反するので子供にはわかりづらいだろう。
「確かに、貨幣の価値が高いと、外国の物を買うとき、少ないお金で済む。だから、出費を抑えることができるよね。輸入とか、外国企業の」
「はい。ですので、貨幣の価値は高い方がいいと思ったのですが……」
「でもさ耀くん、輸入っていくらやってもお金が減るんだよ。逆に、輸出は安くてもとりあえず外貨を稼ぐことができる。」
「それは……たしかに」
母の会社が、革新的な商品の輸出によって大きくなったことは、息子も様々なところから聞いている。
「そして、貨幣の価値が低いと、外国から見れば少ないお金で商品が買えるのよ。売り手側は一切値段を変えてないから、もうけは変わらないのにね」
「だから貨幣の価値自体は低い方が、一度の取引で稼げる外貨が減ったとしても、安値を武器に輸出を促進することができて、結果的に得られる外貨は増えるということですか」
「大・正・解」
そういうと耀子はまた息子の頭をわしわしと撫でた。
「……というわけで話を戻すけど、大恐慌で金の価格が上がったから、中国圓は信用そのままで安くなって、輸出が増大したの。他国の購買力が下がっていることを考慮しても、まあトントンくらいにはなっているみたいね」
「それで、清との国力の均衡が崩れていて、アメリカも積極的に介入できない今なら、満州を取り戻せるんじゃないかと思っているんですね」
ようやく最初の話に戻ってくることができ、つくづく国際情勢は複雑怪奇だと耀之は思う。
「それに、清にはまだ清自身が稼いだ外貨が残っている。一方の中国政府は長年続いたチベットとの領土紛争で大量の負債を抱えているでしょ?」
「それを清から奪った外貨で清算しようとしてるんですか……」
華族らしくない罵詈雑言が出てきそうだったため、耀之はそこで黙った。
「まず動機としてはそんな調子。ちなみにチベットは講和条約を結んだばかりだから、今回は後ろからつつくことはせずに静観せざるを得ないみたいね」
「そうなんですか。では我が国の対応は? 清はエチオピアよりはるかに多くの資源と工業力を持っていますし、我々との経済的結びつきも深いですから、何もしないわけにはいかないでしょう」
食料自給率に乏しい日本は、肥沃な満州を抱える清から大量の食糧原料を買い付けている。
「こちらは軍事顧問団を派遣するんですって。えーと、団長は竹上常三郎大将ね」
「竹上大将といえば、ロシア戦争でチベット方面の日本軍を指揮されてた方ですね。複雑な地形での歩兵戦なら、今の日本軍では一番詳しそうです」
「ほかに有名な方は……あ、参謀に今村均とか牛島満とかいるわね。それから付属航空団の団長が加藤建夫さんなの。うわーすごいメンバーね……」
史実の名将オールスターの様相を呈している顧問団の人員を見て、耀子は子供のようにはしゃいだ。
「加藤さんはわかりますけど、今村さんとか牛島さんってどなたですか……?」
一方、加藤以外はこれと言って今までマスメディアに取り上げられたことがなく、この世界での知名度は低い。耀之は何故母親が興奮しているのかわからず、彼らについて尋ねた。
「あー、えーと、うん、信煕お兄様から、才能あふれる士官がいるって、話を聞いてたの」
さすがに息子には自分の転生の事を話すわけにはいかない。耀子は陸軍技術本部で主に車両の開発をしている兄の名前を出してごまかした。
「えーと、気を取り直して……乃木保典中将は参加者に入ってないのね。後はお兄様のところでよく試験をしている櫛淵さんとか、栗林さんもいない……なるほどなるほど。どうしてこの人事になったのかわかる? 耀之」
「ふむ……戦闘車や突撃車での戦いが得意な人が入っていません。清軍も中華民国軍も、あの手の兵器をほとんど持っていませんから、通常の歩兵戦に特化した人選になっているのかと思いました」
「うん。お母さんも同意見よ。お金がもったいないし、万が一中華民国が戦闘車を引っ張り出してきても、あの人たちなら見てから対応余裕でしょう」
さすがに頭をなでることはしなかったが、出来の良い息子を見て耀子は満面の笑みを浮かべる。
「せっかくなので聞きますが、お母様、イタリアとエチオピア、中国と清は、それぞれどちらが勝つのでしょうか」
「ん~難しいわね……特に難しいのは、この中で一番戦闘経験が豊富なのは中国ってところよ」
「あー確かに、長いことチベットと戦ってますから、将兵の経験で言えば中国の圧勝ですね。他はどの国も戦争を長いこと経験していません」
この世界の一次大戦は、イタリアが参戦する前に終結させてしまった。エチオピアはもちろん、清も最後に行った戦争は19世紀の物で、経験者はいなくなってしまっている。
「イタリア対エチオピアは、普通に考えれば国力に勝るイタリアが有利だけど、日英が義勇軍を投入するし、地形も防衛側に有利で、戦闘経験は五十歩百歩でしょ?」
「ですね……」
「それから中華民国対清は、人的資源以外の国力が拮抗していて、戦闘経験では中華民国が有利。だけどその穴埋めのために日本から軍事顧問団が派遣されるし、これまでアメリカ資本が入っていたから、装備の質では清の方が優れているの」
「たしかに……うーん難しいなあ……」
イタリア対エチオピアはまだイタリアが勝ちそうであるが、中華民国対清はお互いに勝ち筋があり、本当に先が見えない。
「あ、アメリカ資本と言えばアメリカ軍。清に居たアメリカ軍はどうなったんですか?」
「まだ一応いるけど、大恐慌で今までの2個師団から1個連隊にまで削減されてるみたい。だからこそ中華民国が挑発してるわけで」
「それもそうか……」
「それに、彼らも装備だけは優秀だけど、戦闘については日本軍から見ればずぶの素人。目が覚めるほどの活躍をするとは思えないかな」
アメリカ軍も一次大戦に参戦していないため、その時の戦訓はほとんど得られていなかった。海戦はもちろん、陸戦に関しても、史実以上に厳しい状況である。
「すごくよくないことを思いついたんですけど、戦争ってもしかして定期的にやった方が良かったりします……?」
「今の時代ではそうでしょうねえ……技術開発だって、既存品の改良ばかりでなく、全くの新規開発も10年間隔くらいではやっておかないと大変なことになるから……」
「命を守るために他人の命を犠牲にする……いやな真理ですね」
「うん。その気持ち、いつまでも忘れないでね」
そう言って耀子は、耀之の頭をそっと撫でた。
ちなみに、石原莞爾はこのとき体調を崩して入院しており、顧問団に加われませんでした。石原がいないため、阿南惟幾も抜擢されませんでした。
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