市場活性化投資作戦
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海軍軍縮会議は時折暗礁に乗り上げかけながらも、妥協を重ねて年明けの1933年2月には条約が締結された。この軍縮条約では、今まであいまいだった艦種についての定義を定め、それらに持たせた役割ごとの保有トン数を各国ごとに制限することで軍縮を成し遂げようとしている。まず、軍艦の役割については、以下の3種に分類されることとなった。
主力艦:戦争の勝敗を決定しうる強力な艦船
護衛艦:主力艦の護衛をはじめとする補助的な任務を担う艦船
哨戒艦:主に単独で哨戒活動を行い、通商破壊や自国領土の警備に用いる小型の艦船
哨戒艦の分類は、イギリスの主張にフランスが同調し、日本が助言して定められたものである。欧州各国のような植民地を抱えている国は、そういった海外領土を巡回警備するための巡洋艦を欲しており、これの建造に「巡洋艦枠」を使われてはたまらないという思いがあったのだ。巡洋艦のうち、「警備用巡洋艦」については制限を緩くするという案もあったが、但し書きが多くなりすぎて可読性が低下するという主張が日本側からなされたことから、やることは正反対ながらも行動パターンが似通っている潜水艦と一緒に、独自のグループを作ることで決着がついた。主要な各艦種とその役割については以下のように定まった。
潜水艦:哨戒艦
・排水量2000t以下
・主砲口径13cm以下、門数2門以下
・喫水を積極的に操作し、最上甲板を自ら水没させることができること
駆逐艦:護衛艦
・排水量2000t以下
・主砲口径13cm以下
砲艦:哨戒艦
・排水量5000t以下
・主砲口径19.1cm以下
・魚雷投射能力、航空機収容能力、機雷敷設能力を持たないこと
軽巡洋艦:護衛艦
・排水量8000t以下
・主砲口径15.5cm以下
重巡洋艦:主力艦
・排水量15000t以下
・主砲口径25.4cm以下
戦艦:主力艦
・排水量無制限
・主砲口径45.7cm以下
航空母艦:主力艦
・排水量40000t以下
・主砲口径15.5cm以下
・飛行甲板長300m以下
特に揉めたのは重巡洋艦と航空母艦の役割である。日本は両者を共に主力艦であると主張したが、アメリカは両方とも護衛艦であると主張し、真っ向から対立した。
「わが軍は先の戦争で艦載機により多数の主力艦を沈めている。また、装甲巡洋艦は10インチという主砲の口径から考えると、中小国との戦争では十分戦争の行く末を決める火力を持っている」
「日本軍が艦載機で沈めた艦船は、そのほとんどが港湾内で出港準備中だったもので、外洋を走り回っている艦船にも有効打が出せるかは未知数だ。また、装甲巡洋艦程度の火力では、今ここにいる国々を屈服させるには力不足である」
しかし、結局このアメリカの反論は他の参加国の賛同を得られず、重巡も空母も主力艦扱いにすることで決着がついたのである。これまでのアメリカの振る舞いが反感を買っていたということもあるし、イギリスの外交力が光ったというところでもあっただろう。
そしてついに、各国が保有できる役割ごとの排水量が定められたのだった。
主力艦保有比率──米10:英10:日7:他2
護衛艦保有比率──米10:英10:日7:他2
哨戒艦保有比率──米4:英10:日3:他3
正面戦闘力で言えば米英は同等であるが、植民地の警備などに割ける戦力はイギリスが圧倒的に上、ということになり、イギリスとアメリカは満足することができた。日本は当初目標の対米10割を大きく割り込んだが、米英の保有トン数が想定より高くなり、現在計画中の主力艦すべてを竣工させてようやく超過できる状態になったため、対米7割で妥協することにしている。
「やっちまったなあアメリカ……」
「やっちまいましたね……」
条約締結の新聞記事を見た耀子と芳麿は、二人でそうつぶやいた。
「現在建造中の軍艦はすべてキャンセルだから、主力艦だけでもサウスダコタ級の一部がこれで建造中止になる。満額は当然支払われない」
「それから旧式戦艦群が大量にお払い箱になる。一部はブラジルあたりに買われるだろうけど、大半はスクラップだろう。そうなると鉄が供給過多になって、価格が下落する。製鉄業の収入も減る」
「造船業と製鉄業の業績は悪化し、そこに連なる会社も次々と金払いが悪くなる。そうなれば待っているのは……」
「世界的な恐慌。そうなんだね?」
「はい」
2月という時期もよくなかった。3月の決算でこうした軍縮関係の特別損失を出す企業が続出し、市場に不安が広がり始める。
「……いきますかね」
「はい。お願いします」
「鈴木商店大番頭金子直吉、一世一代の大勝負をごらんあれ」
そこにとどめを刺したのが、鈴木をはじめとする三菱や住友、さらには普段仲の悪い三井までも含む日系財閥からの米国株売り注文であった。参加者の大多数は耀子と鈴木商店、そして高橋是清の予想に賭け、恐慌前の損切を行ったつもりだったのだが、金子が大規模な空売りを仕掛けたこともあって想像以上にアメリカ人の不安をあおることとなり、連鎖的に売り注文が殺到する。
「なんだこれは……俺たちは何を見ているんだ……」
急降下していく米国企業の株式。呆然と見つめる人々。この世界の世界恐慌は、こうして半ば人為的に引き起こされた人災として、欧米に広がったのである。しかし、引き金を引いた当の日本は平和であった。その理由こそが、是清から出された「宿題」の答えだったのである。
時はさかのぼって軍縮会議が始まったばかりのころ、耀子は是清の家に呼ばれていた。
「お頼みしていた件の答えが出たとのことですが」
「うん。ただ、こんなおいぼれ一人で実現できる案じゃなくてね、ぜひとも耀子さんの力が必要なんだ」
のほほんとお茶を飲みながら是清は語る。
「耀子さんの言う通り、不況に陥ったときは、これまでの常識に反して政府支出を増やし、国内に流通する資金の量を増やすことが有効だと私も結論付けた。問題なのは金の増やし方だね」
「我が国は半ば金本位制を放棄しておりますし、お札をバンバン刷ればよいのではありませんか?」
日露戦争時の財政難で金本位制を放棄して以降、この世界の日本はずっと管理通貨制度を維持し続けている。日本の国力が史実より高く、イギリスとの関係が非常に良いため、円とポンドのレートを政府間で毎年協議して固定することができているためだ。
「それをすると必ず反対する国会議員が大量に出る。先ほど言ったように、不況の時は政府支出を抑制して、財政健全化に努めるのが今の常識だからね。彼らを説得していたら、不況対策が始まるまでに多大な損失が出てしまうよ」
「それでは、景気を立て直すのは余計困難になってしまいますね……そうなると、市場に流通するお金をこっそり増やさないといけないわけですか」
「そのとおり。さすがは耀子さんだね」
「それほどでもない」
是清に褒められても、耀子は謙虚にそう答える。彼女の中では、今でも彼こそが最強の経済通であり、師匠なのであった。
「というわけで、こっそりお金を増やす手段なんだが……思いついてしまったんだなあこれが」
だるまさんがいたずらっぽく笑う。
「通貨発行権を持っているのは日銀だけですよね? どうやってこっそりやるんですか?」
「実体のない会社をかませばいいんだよ。まず、我々のような事情が知っている人間が経営権を持っている会社を立ち上げ、ここから手形を振り出すんだ」
「ほうほう(梟)、それから?」
「その手形を、日銀で買い取るようにすればいい。そうすれば、手形が事実上現金として扱われるようになる」
「え、それだけ!?」
からくりから先に説明された耀子は思ったより単純なやり方にずっこけた。
「これが結構みんな気づかないもんなのさ。株券みたいな有価証券で支払するなんてことはよくあるし、日銀がその辺の企業の証券を買い取ることもまあある。その企業の信頼度が高ければなおさらさ」
「でもぽっと出の企業の手形なんて誰が信用してくれるんですか? 事情を知っている者同士で回すことはできそうですが」
耀子が当然の疑問をぶつける。
「そこで耀子さん、あなたの出番ですよ。あなたがこの会社の社長になってください。日銀から役員や従業員を出向させます。不安なら、三菱さんあたりからも人を募ればよい」
「あっ……! 私の協力が必要ってそういう……!」
要するに、有名人が会社役員をしていれば、たとえペーパーカンパニーでも信用を稼ぐことができるということだ。耀子はよくわかっていなかったが、この手法は史実のドイツで軍事費をひそかに調達するために実施されたメフォ手形と同様のもので、是清はこれを独自に思いつき、耀子に提案しているのである。
「どうかな?」
「いいでしょう。私が名前を貸すくらいで日本が救えるなら、いくらでも矢面に立とうじゃありませんか」
「いや、あんまり目立っちゃうとバレるかもしれないんで、適度におとなしくしててほしいんだけどね」
そういいつつも、だるまさんは楽しそうに笑った。
是清提案の「市場活性化投資作戦」によって、日本は一時的に金融政策の自由度を高めることができ、市場の資金量を補てんすることで不況の影響を吹き飛ばすことに成功した。これにより、日本国内は世界恐慌の影響を最小限に抑えることができたが、世界恐慌発生の経緯や日本の一人勝ちな状況から、アメリカから徐々に敵視されることになっていくのだった。
デスマーチではないのですが、修羅場の真っ最中ですので、来週の更新は絶望的です。
ゆっくりお待ちいただければ幸いです。
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