転生という名の途轍もない現象の前には、一人の人生など風の前の塵に過ぎないのかもしれない
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ゴルムドのホテルに1泊した翌日。耀子たちは70㎞ほど北に進んだところにあるチャルハン塩湖(正確には塩湖群)の周辺で本格的な調査を始めた。ここからは車の近くにテントを張り、野宿をしての調査になる。この日の調査自体は順当に終わり、焚火を囲んで食事を楽しんだり、適当な身の上話をしたりして過ごした。
そんな日の深夜の事。
(うー、トイレトイレ……)
今、小走りで野外トイレに向かっている彼女は、新興財閥の社長をしているごく逸般的な侯爵夫人。さらにおかしなところを上げるとすれば、はるか未来の令和の時代を生きた前世の記憶があるってとこだろうか。名前はご存じ山階(旧姓:鷹司)耀子。
(あー、間に合った……ただでさえこの時代の衣類は脱ぎ着がしにくいうえに、今はいっぱい重ね着してるから余計危なかったよ……)
寒さのあまりお腹を壊した彼女は、なんとか野外トイレに辿り着き、しばらくそこで腹痛に悶えていたのだった。
ようやく腹痛が収まり、何とかトイレから出ることができた耀子は、往路で全く気にすることができなかった夜空に目が留まる。
「綺麗……」
彼女の眼前には、令和の時代には決して見ることができそうにないくらい、見事な星空が広がっていた。勿論、今生でも夜空自体は飽きるほど見ているのだが、空気が薄く、東京に比べると開発も進んでいないゴルムドの星空はそれをさらに上回る美しさである。
「星屑と言えばあの歌よね……どうせ誰も起きてないし、今なら歌ってもいいかな」
そういうと彼女は、前世で好きだった音楽グループの、星屑にちなんだ曲を歌いながらテントへと戻り始めた。あのグループが活動し始めるのは21世紀に入ってからだから、彼らの歌声を聞くことはもはや二度と叶わないだろう。そんな彼女を、そのテントの方向から見つめる者が一人。
「『そんな不確かなものを』……うわあ!?」
彼女を見つめる人物──カヤバ・ミカ・サカダワ中尉にぶつかる直前に気づいた耀子は、驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた。歌に熱中して目を閉じていたため、前を全く見ていなかったのである。
「ぼ、ボンソワール、マドモアゼル。そんな浮かない顔をして、何事かお悩みかな……?」
気まずさからおずおずとミカの機嫌を伺うように話しかける耀子。普段のミカなら、当たり障りない答えを返して、そのまま耀子と一緒に布団に入っただろう。
「……実は、ちょっと、眠れなくて……」
ただ、今の彼女はとある事情から情緒が不安定になっていたのと、耀子の台詞に感じている妙な懐かしさから、ついつい彼女に甘えたくなってしまったのだった。
そのあと、ミカから語られた眠れない理由とは、何度も見ている悪夢にうなされたというものである。夢の中のミカはオンラインゲームなる競技の大会に出ており、長方形の板に映っている戦車を操って、敵戦車を撃滅するという内容だった。どうやら相手はロシアのチームのようで、自分たち日本のチーム──チームメイトの言語が日本語だったから、ミカはそのように推測した──は相当苦しい展開に追い込まれたが、ミカとともに行った最後の総攻撃が奏功し逆転、そのまま勝利を決めたようである。
「あれ、そこまでなら普通のいい夢だと思うんですけど」
ミカの話を聞きながら、耀子は必死に自身の心の昂りを抑えている。彼女の語った夢の内容は、どう聞いても耀子が前世で熱中していたことがあるオンラインゲームの決勝大会だ。
「はい。ですが、この後夢の中の私は死ぬんです」
「へ?」
「あそこの私は内臓に持病を抱えていて、無理をして大会に出場していたみたいなんです。なので、試合に勝って気が緩んだ瞬間、その報い……いや、代償を支払うことになってしまいました」
「つまり、いきなり持病が悪化して、そのまま亡くなってしまう展開だったんですね。それは、不意打ち的で怖いなあ……」
とはいえ、耀子の関心はすでに夢の中のミカが死ぬことより、彼女の出ていた大会の方に向けられている。ミカが夢の中でプレイしていたゲームが、耀子の知っているものなのか探るため、彼女の担当車両を聞くことにした。
「ひとつ聞きますけど、夢の中でミカさんが担当されていたのはどんな車両でしたか?」
「ぬるっとした車体の上にへんてこな砲塔が載っていました。今の戦闘車よりずっと太い主砲を、2、3秒くらいの間隔で4連射できたのを覚えています」
へんてこな砲塔とは、主砲ごと砲塔が上下する揺動砲塔のことだろう。こうしたオートローダーと呼ばれる車両は個人技に優れたプレイヤーが担当するものだから、今の彼女がチベットで戦車エースを張っているのも納得がいく。そして、大会に使われる4発オートローダーというと、耀子には1車両しか思いつかない。
「その車両の名前、AMX50B、だったりしません?」
「!?」
ミカは混乱した。朧気ではあるが、自分の使っていた車両はそんな名前だったような気がする。しかし、なぜ目の前の、ほぼ初対面の女性は、自分の夢の内容をきちんと理解し、自分すら今の今まではっきりわからなかったことを知っているのか。
「その名前に、聞き覚えがあるんですね」
「……はい。でも、なぜ、あなたが知ってるんですか……? まさか……」
「そのまさかですよ。私もまた、あなたと似たような時代から、この時代に転生した人間ですので」
「……」
目の前のもこもこに着込んだご婦人──冬の砂漠はとても寒いのだ──は、長い間疎遠になっていた旧友と再会した時のように、大きな瞳をキラキラと輝かせながらミカの方を見ている。
「そうなん、ですか?」
「私の前世ではあの戦車ゲームで世界大会に挑めそうな女性プレイヤーなんていなかったから、厳密には違う世界線だと思うけど。でも、お互い似たような時代の似たような世界からこの世に生まれ変わってきたんだと思うよ」
奇妙な親近感がわいてきたのか、すっかり敬語を使わなくなった耀子。
「……耀子さんは、どのくらい前世の記憶が残ってるんですか?」
「んまあ、人が35年間覚えていられる範囲内かな。私が覚えている限りの未来の技術知識を事業化し、お国に貢献するために作ったのが、帝国人造繊維って会社なんだよ。大事なことはなるべく復習して覚えているようにしてるけど。他愛もない思い出とか、もうだいぶ思い出せなくなっちゃった」
「じゃあ……やっぱり、あれは前世の自分が死ぬときの記憶なんですね……私も耀子さんみたいに、明るかったり役に立ったりすることを覚えていたかったなあ……」
そう言ってミカはため息をついた。
「本当に覚えていないのかな。意識していない、あるいは忘れてしまっているだけじゃない? 例えばこの曲とか」
それに対して耀子は疑問を投げかけ、唐突に1曲の鼻歌を途中まで歌う。
「それは……!」
「あ、やっぱり聞き覚えある? これの続きを歌ってみて」
促されたミカは、記憶の糸をたどって耀子が歌った続きから1ループの最後までをやはり鼻歌で歌い切った。
「やればできるじゃん。まだこの世界でポーリュシカポーレが作曲されたなんて話は聞いたことないけど、私もあなたもこの歌を、この曲知っている。なんせ、あのゲームで戦闘前に散々聞いたからね」
ポーリュシカポーレは史実だと1934年に初演されたとされる軍歌である。それも、たたえる対象はこの世界線だと影も形もない労農赤軍であるから、この先この歌がこの世界で作曲される可能性は限りなく低い。つまり、この曲を知っていることが、未来から逆行転生してきた証拠になるのだ。
「はあ……」
「この調子なら、ほかにも学校の勉強に何となく既視感があったりとか、あるいは戦車で射撃する時に勘で定めた照準がばっちり当たったとか、そういうことが今まで結構あったんじゃない?」
「そういわれてみれば……確かにそうですね……」
思い返してみると耀子の言うとおりである。士官学校の一般教養課程(チベットは教育制度が未熟なため、士官学校では士官としての教育を行う2年間の前に、普通の勉学を学ぶための2年間が存在している)は1年で修了できたし、戦闘車に乗り始めてからも、射撃の腕では全学生の中でトップだった。今までは自分の才能によるものだとミカは思っていたが、実際にはおぼろげな前世の記憶が助けてくれていたということが今判明したのである。
「それじゃあせっかくだしこのままミカさんの記憶をどんどん刺激して……」
「今日はその辺にしようよ、耀子さん。明日に響くよ」
いつの間にか起きていた芳麿が、テントの出入り口をまくり上げて言った。
「あ、芳麿さん……」
「耀子さんの不思議な話についてこれるかもしれない人を見つけて興奮しているのはわかるけど、このままほっといたらあなた朝までずっとミカさんに話しかけてるでしょ。さすがに申し訳ないよ」
「はい、すみません……」
芳麿に叱られた耀子は、おとなしく芳麿とミカに頭を下げた。
「あの、芳麿さんはどこまで……?」
「義父、つまり、妻の父が亡くなった時に事情を聞いています。この件については口外しないので安心してください」
「あ、わかりました。こちらも、耀子様の事については口外しないことをお約束いたします」
ミカははっきりとした記憶を持たない転生者だが、耀子にははっきりとした史実知識がある。はたから見れば胡散臭い話で、十中八九嘘八百と切り捨てられるだろうが、念のため他国に渡せない情報であった。
「ありがとうございます。それでは、今日のところはこのくらいにして、もう寝ましょうか」
「はぁい」
若干不服そうに耀子が返事をした後、二人はテントの中へ入り、寝袋に潜り込む。この晩、ミカがもう一度悪夢にうなされることはなく、彼女は爽やかな翌朝を迎えることができたのだった。
胡散臭いクリストフ君の台詞、こういう時本当に便利。
チベ砂も更新しています。
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