サムライの血
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この日は日没まで街中の野鳥観察にいそしみ、夜はちゃんとしたホテルに泊まることになっている。野宿しながらの調査は明日からだ。
「ほら耀子さん、あそこにカラスがいるだろう?」
「ん……? ああ、鳥はいますけど、カラス……? くちばしが赤いような……」
「ベニハシガラスっていうんだ。日本にはいない鳥だけど、アジアからヨーロッパにかけて広く生息している立派なカラスだよ。割と標高の高いところにいるとは聞いていたけど、チベットにもいるんだね」
山階夫妻は双眼鏡も駆使しながら野鳥の観察を行い、特に耀子はスケッチもこなしている。
「……」
「お暇でしょう?」
石油を含む鉱業によって栄えているゴルムドは、住民も裕福でよからぬことをたくらむ者も少ない。そうなると、護衛役の二人は暇になってしまうのだ。
「その方がいいですよ。平和な証拠ですから」
「それもそうですね」
近寄ってきた文子が、暇そうながら周囲を警戒しているミカの隣に座る。
「観光ガイドまがいのことをして勤務扱いにできるんですから、これほど楽な仕事はそうないです」
「あら、それはそれは光栄なことですわ」
「光栄……?」
「わがままな客だと思われていなくてよかったという意味です」
耀子さんはそういうの気にしますから、と文子は付け加えた。
「こう言ってはなんですが、意外と小市民的な方なんですか?」
「そうですよ。公爵令嬢で侯爵夫人だというのに、身分をかさに着て威張るどころか、むしろ相手に遠慮させていないかよく心配しているぐらい華族らしくない方ですね」
「そんな方が、なぜ軍に護衛を……?」
スケッチが終わったのか、次の鳥を探して耀子たちが徘徊を始めたので、ミカと文子も折りたたみいすを畳んで二人の後をついていきながら会話をする。文子が言う通りの人物像であれば、耀子はわざわざ他国の軍人を護衛に呼びつけるような真似はしたがらないはずだ。それとも、あちらの柔和な夫の方が、実はそういう質の人間なのだろうか。
「まわりがおっかないからですよ。『チベットの砂狐』の1人であるあなたならご存じかもしれませんが、戦闘車や突撃車、ついでに航空機のエンジンはおおむね帝国人繊が設計したものです」
「……日本でもその名前は通じるんですか」
ミカは恥ずかしそうに頭をかいた。
「新聞に載ってましたからね……話を戻すと、航空機用の軽量素材も、もっとさかのぼるならストッキング用のナイロン糸も、みんな帝国人繊が開発したものです。当然、その開発を指導したのは、あそこの耀子さんですよ。今も技術者として第一線で活躍されていますから、まだまだ何かすごいことをしてくれる可能性があります」
「つまり、その才能が何かの拍子に失われてしまったら、大日本帝国にとって大きな損失になる。だから、周りがうるさく言うので仕方なく、その辺のチベット人ガイドではなくて、チベット陸軍に護衛をお願いする羽目になってしまったというわけですね」
なんとなく、ミカはどこへ行くにも仰々しい行列ができてしまうダライ・ラマ猊下のことを思い浮かべてしまった。彼の場合、何度か実際に暗殺された記憶があるので、どうしても厳重な警戒を敷きたくなってしまうというのもあるのかもしれない。
「ご理解が早くて助かります。耀子さんのみを守るだけなら、私だけでも大丈夫ですけど、さすがにチベット語は話せませんので……」
「やはり、あなたはただの秘書ではありませんでしたか。一般人とは何となく雰囲気が違いましたので」
「あ、わかります? 軍人でこそありませんが、一応ジャパニーズサムライの末裔なんですよ」
耀子たちがまた何かを見つけたのかスケッチの準備を始めたので、文子も折りたたみいすを広げながらミカに向かっておどけてみせる。
「サムライ、侍ねえ……」
「?」
「いえ、以前幼馴染に似たようなことを言われたことがあるなあと。父は士族でも何でもない家の人らしいんですけどね」
自分も椅子に座りながら、どこか遠い眼をしたミカがぽつりと言った。
「幼馴染、ですか?」
「同じ『チベットの砂狐』のオールコック・キャロリン・トーギャー中尉です。私と反対側にいた欧州人っぽい顔つきの子が映っていませんでしたか?」
ちなみに、このとき写真中央に写っていたのは、チベットの地方豪族の娘であるキナー・ツェテン・ダワ中尉である。ミカとキャロリンの二人よりも年上で、当時二人が乗る車両の車長だったこともあり、中央を押し付けられたのだった。
「あー、確かにいましたね。そういえばあなたの幼馴染だとも書いてありました」
「少し恥ずかしい話ですが、私、どうも戦闘中昂ってしまう癖がありまして……それが相手に失礼な気がして嫌だと言ったら、敵にも敬意を払うサムライの血筋だからかな、と」
ミカは戦闘が好きだ。クルマを操り、敵戦車の弾薬庫を撃ち抜いて吹き飛ばす瞬間は心が躍る。だが同時に、真剣な命のやり取りを楽しんでしまう自分が嫌いでもあった。
「そういうキャロリン様は……お名前から察するに、紅茶紳士の血が流れているんですかね?」
「正解です。あの子に変な日本語を教えるのが昔から面白くて……まあいいや、話もそれたことですし、さっきのは忘れてください」
「……そうですね、触れたくないことに触れてしまい、すみませんでした」
「いえいえ! 完全に私の自爆ですからお気になさらず」
そうして世間話は別の話題に移り、チベットの食文化や日々の暮らしについての会話にシフトする。その間も山階夫妻は場所を移動しては鳥類を観察し、時折子供たちが佐藤章とともに戻ってきてその様子を眺め、日が暮れたところでようやくホテルに行くことになったのだった。
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