米の国民離れ
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時は少し遡って1931年の12月。新聞を見ていた耀子はその内容を見てため息をついた。
「どうしたんだい耀子さん」
「……もうちょっと、ちゃんと勉強しておけばよかったなあって思っているとこなの」
「今回は何の話?」
答えになっていない答えを返されたので、芳麿はもう一度耀子に質問する。
「今年の東北はお米が凶作だったらしいじゃない。私がもう少しそのあたり詳しければ、もっと被害を減らせただろうなって……」
「あー、うーん……」
子供たちも居るのでヘタなことは言えないが、芳麿は未来の日本で東北が代表的な米どころであることを知っている。冷害による凶作はたびたび発生しているので、それを克服できる稲の品種があるということも妻から聞き出していた。とはいえ、去年ようやく貴族院議員になった芳麿と、議員以外の活動が多忙な信輔では農業分野に介入するのが難しく、「水稲農林一号」の開発を史実より早めることはできなかったのである。
「あとはそうね……耀之、響子、唐突だけど、お米は好き?」
「え?」
「別に嫌いじゃないですけど……」
話を聞いていなかった響子は返事を返せず、話は聞いていたが、何故その質問をされたのかわからなかった耀之は自信なさげに答えた。
「ほら、うちってほぼ食卓に並ぶのが洋食じゃない? だから、ジャガイモとか、輸入小麦で作ったパンとかを主食に出されても何も思わないじゃん。でも、一般家庭はそうじゃないみたいで……」
「それは確かにそうだね。お米、特に白米を食べることに、日本人は結構なこだわりがあるのが普通だよ」
現代人であり、食卓もそれに近いものが並ぶように気を付けている耀子にとって、ひたすら白米を食べ続けるこの時代の日本人の感覚は、理解しがたいところがある。東北で凶作になっても、工業化を推進して地元住民の経済状況を改善させておけば、とりあえず飢えることはないだろうと考えていたのだが、話はそう単純ではなかったのだった。
「小さいころ、軍人さんたちの脚気を予防するために、糠漬けを出すことを提言したんだけど、なぜそうしたかという裏の理由をすっかり忘れていたわ。私も焼きが回ったわね……」
「裏の理由?」
子供二人が食いつく。
「良いけど、なんでそんな食いついてるの」
「学校で習うの」
「子供のうちからお国に尽くしたお母さんと信輔おじさんのお話」
「ええ、そんな文脈なの……」
そんなことになっているとは知らなかった耀子は狼狽した。
「まあいいわ。脚気って、要はビタミンB1……オリザニンの欠乏症だから、オリザニンが豊富な食べ物さえ食べていれば治るの。お母さんと信輔おじさんが実験をする前は、麦飯や玄米を食べるのが有効とされていたわ。実際、ちゃんと効果もあるのよ」
「でも、軍人さんたちは、脚気の原因はばい菌だと思い込んでて、麦飯や玄米を食べようとしなかったんですよね」
「玄米はおいしくないけど、麦はおいしいのに」
耀之が話を続け、響子は自分の好みの話をする。なお、末っ子の馨子はまだ幼いので話についていけず、ぐずらないように耀子の膝の上でテキトーにあやされながらおとなしくさせられていた。
「実は響子の着眼点は悪くないのよ。簡単に言うと、あの当時の玄米や麦飯はまずかったの」
「え、そうなの!?」
響子が驚く様子を見て、自分もあの当時びっくりしたよなあと、耀子も懐かしい気持ちになる。
「玄米はともかく、麦飯がおいしくなったのは欧州大戦がはじまったあたりからでね。それまでの麦飯は『貧乏人が食べるまずいもの』として、日本人からは嫌われてたのよ」
「昔は押し麦がなかったから、米と麦を混ぜて炊くと、麦が生煮えになってしまったんだよね」
耀子の思い出話に対し、芳麿が援護射撃をした。
「え、麦の粒が平べったいのって、元からじゃないんだ」
「そう。あれは押し麦と言って、蒸気で柔らかくしながら押しつぶして平べったくすることで、火が通りやすくしてあるやつなの。そうなっている麦が普及し始めたのが、さっき言った欧州大戦が始まる直前くらいからだったのよね」
「どうやら、押し麦そのものは日露戦争の前くらいに発明されていたらしいんだけど、その時は手作業でしか作れなかったから、あまり普及しなかったらしいよ」
「へぇ~」
子供たちは話がどんどん逸れて言っているのも忘れて素直に感心する。
「そして、軍人さんに限らず、まずいものなんてできれば食べたくないよね。そりゃあ麦飯の導入に反対するわ」
「軍の仕事は大変だし、遊ぶこともほとんどできないから、食事がほぼ唯一の楽しみなんだ。まずい食事しか出ない軍隊生活なんて、体の前に心が壊れてしまうよ」
耀子の語りに、曲がりなりにも軍隊生活を送ったことのある芳麿が、実感のある補足を行った。
「そこでお母さんは考えたわけです。オリザニンが豊富で、なおかつ白米によく合う付け合わせであれば、軍人さんたちも喜んで受け入れてくれると」
「だから漬物、それも糠漬けだったわけですね」
「そういうこと」
大体の仮想戦記では麦飯を何らかの手段で強引に普及させることが多い。そんな中で、耀子が糠漬けの配給優先度を白米より上に持ってこさせることで脚気対策としたのは、当時の耀子の乏しい影響力だと、麦飯を押し通すのは難しいという考えがあったからだ。
なお、現在の日本軍の輜重部隊には、一部冷蔵車が配備されている部隊がある。その場合は脚気対策に糠漬けの他、豚肉を使うこともできた。
「……で、その話が東北の凶作と何の関係があるんだっけ?」
「あ、ごめん芳麿さん。そうそう、私が何を言いたかったかって言うと、日本人って、飢えてなくても白米が食べられてないと不満を抱く人が多くて大変だなって思ったって話」
「なるほどそういうことか」
冒頭でものべた通り、今の東北地方では農作物が凶作となっても直ちに飢餓状態になる国民の数は史実より少ない。これは米沢の帝国人繊を起点に東北の工業化を推進し、モノカルチャー経済を脱却しているのが大きな理由である。また、前年の1930年は平時なら米価が値崩れするほどの大豊作であったが、ロシアと戦争中で米の需要が高まっていたため、単に農村が潤うだけで済んだという幸運もある。
「今の世の中でも『お米が食べられないならパンを食べればいいじゃない』と言ったら殺されかねないみたいなのよね。好き嫌いせず残さず食べなさいって、お母さんに教わらないのかしら」
「私はパンも好きだけど、おいしくないものはおいしくないもん……」
耀子の小言に響子がふくれっ面で反応した。
「あと、白いお米がもはや祀られるレベルでありがたがられているというのもあるよね。それだけ、我が国は貧しい時代が長かったというか……」
「お金をやりくりして飢餓対策をしてくれた立憲政友会には悪いけど、こればっかりは時間が解決するのを待つしかないのでしょうね……」
原敬が暗殺されず、立憲政友会が特に大きな失態も犯していないため、この世界の日本では立憲政友会がずっと政権与党を務めている。耀子が新聞を見てこの話を始めたのは、飢餓対策への批判から立憲政友会が支持率を落としているという記事を見たからだ。
「『白米を食べさせろ』って、近隣で食糧生産力に余裕がある国が清しかないんだから、ジャポニカ米が手に入るわけないでしょ。そんなことも知ら……ないか。そうよね、知らなくて当然よね」
「そうだね。だから耀子さんの言う通り、時間が解決するのを待つしかないんだろうね」
こうした反省もあり、この年に開発された水稲農林一号の普及活動は、史実よりも大きな予算をつぎ込んで大々的に行われた。また、根本的な生産力向上のために帝国人繊から農機具メーカーへ金銭や試作用の発動機を提供する取り組みが行われ、久保田鉄工所、山岡瓦斯商会、井関農具商会の三大メーカーが飛躍するきっかけとなったのである。
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