閑話:ローマの休日
先週はすみませんでした
お祭りが終わった翌日。耀子はイタリア各地で野鳥の採取や観察を行っていた芳麿と合流し、ローマ周辺での調査を手伝うことになった。
「え、そんな、悪いよお」
一応言い出しっぺは自分なのだから、後片付けも手伝わせてくれという耀子。
「それを言ったら私の方が悪いですよ耀子さん。あなたにイタリア行きを決意させるため、わざわざ旦那様をだしにしたんですから。しばらく耀子さんをお返ししてあげないと、私の方に罰が当たってしまいます」
「……それは確かにそうかも」
などと言ったやり取りがあり、耀子は芳麿たち鳥学会の人々と合流して鳥類のスケッチを行うことになったのだった。
「カーオブザイヤーおめでとう耀子さん」
「ありがとうございます芳麿さん」
合流して早々、芳麿は耀子たちの挙げた快挙をたたえる。
「ついに日本の車が世界で最も優れていると認められる日が来たのか……僕らが生まれたころは、アメリカから輸入した車両が少数走っていただけだったのにね」
「ウィズキッドが本当に世界一だったかというと、多分そうでもないのだけど」
なぜカーオブザイヤーをとれたのか分析済みである耀子は、芳麿の言葉を聞いて苦笑した。
「あれ、そうなのかい?」
「簡単に言えば、イタリアのモーターショーで投票を行ったからウィズキッドが選ばれたのよ。もしパリだったら3CVが圧勝したでしょうし、ベルリンだったらType1かT47が取ったでしょうね……」
浮かない、とはいかないが、複雑な表情を浮かべた耀子はそんな言葉を口にする。
「モーターショーを開催した場所によって結果が変わるということは……来場者投票の力がそんなに強かったということかな?」
「ざっくりいうとそうなの。出展された車の完成度が軒並み高くて、有識者票が思ってたより割れていたから」
この時のカーオブザイヤーは、1票が重く試乗なども行ってから投票先を決定する有識者票と、1票が軽いモーターショーの来場者による人気投票によって決定されている。なんだかんだ言ってどの大衆車も完成度が高く、欠点も明確だったため有識者票が割れてしまったのだ。
「それで来場者による人気投票が、事実上の決選投票になってしまったということか」
「そんな感じ。だから、この結果を受けて日本、帝国人繊の車作りが世界一に選ばれた、と結論付けるのは早計なのよ」
日本の新聞各紙はさっそくウィズキッドの快挙を熱狂的に報道しているが、案の定「欧米恐れるに足らず」という論調が散見されている。簡単に浮かれてしまうマスコミ連中に、耀子は今回も呆れていた。
「しかし、なぜイタリアの人たちは耀子さんのところの車を気に入ってくれたんだい?」
「まあ、よくわからないところもあるけど……基本的に、イタリアの人は操縦性を重視する傾向がある。だから、足が柔らかすぎてふにゃふにゃロールしたり、重心が高すぎてひっくり返りそうだったり、そもそも車体が大きくて取り回しにくかったりする車をあまり好まないの。国土が凸凹していて、徒歩移動が結構辛いから、積載力がなくてもまず人が乗れて移動できることそのものに需要がある」
「うーん、その話を聞くと、FIATの車でもよかったんじゃないか?」
耀子の話を聞いて、芳麿が疑問を投げかける。確かに、500も適度な固さの足を持っていて、重心が低そうで、車体が小さい車である。
「そう。チンクは人気投票2位だった。あのダンテ・ジアコーサがデザインしたんだもの、当然よね」
なぜか上機嫌そうに耀子は答えた。
「うーん、そうなるとますますわからないな……」
「両者の明暗を分けたのは……装備や見た目の豪華さなの」
「なんだか身もふたもない理由だねえ」
この時点の日本の工業力は、イタリアのそれを上回っている。つまりその分国民の経済力が高く、購買力に期待できるので、「豪華な大衆車」を用意できるのだ。
「でもまあ、うちの車は正直後出しじゃんけんなところが多くて……極限まで価格を削った車より、多少原価を盛っても見た目が豪華な車の方が売れるって言うのを、私は知ってたから……」
史実でも、価格低減のために簡素化を推し進め過ぎたため、ターゲット層の支持を得られず販売が伸び悩んだ車はいくつもある。何ならFIAT 500自体も、史実での発売開始当初はあまり人気がなく、スクーターを高価下取りするという力技で販売台数を伸ばしていたくらいだ。いくら従来の車と比べて安いと言っても、絶対的な値段はまだまだ庶民にとって高いのである。高い買い物であるなら、それ相応に豪華な見た目をしていてほしいのが、庶民の心理なのだ。
「あー、そっちの方か。もしかして、申し訳なく思ってたりする?」
「今更よ。ただ、世間が思っているほど私がすごいわけではないから、ちょっと引いてるだけ」
耀子の認識としては、史実の失敗を鑑みて、多少の原価上昇を許容してでも内外装を豪華に仕上げるように指示した、というだけの話である。実際には、具体的にどのあたりにメッキ加飾を入れると最小限のコストアップで豪華に見えるかデザイナー陣と一緒に頭をひねって考えたし、メーターの配置やシートの質感などにも意見を出しているのだが。
「なるほどね……まあ、宗教みたいにならない限りは放っておいていいんじゃないかな」
「そのこころは?」
「人望はあるに越したことはない」
「まあ、それもそっか」
何とも言えないむずがゆさを覚える耀子であったが、いざというとき国に対して行使できる影響力は高いに越したことはない。耀子はそう思うことにした。
「カモメが多いわね……」
「キアシセグロカモメだね。このあたりでは一般的な海鳥だよ」
民家の屋根の上に止まっているカモメを見て、二人はそんな会話を交わした。キアシセグロカモメに見た目が酷似しているただのセグロカモメもいるのだが、この鳥は地中海沿岸には居ないため、容易に区別がついたようだ。
「あ、なんか別の鳥が近づいていくよ」
「あれはズキンガラスだね……何をする気だろうか」
芳麿が興味深めに眺め出したのを見て、耀子は急いでスケッチ道具を取り出した。
「……あのカラス、カモメにちょっかいかけてる?」
「ズキンガラスの生態はほとんどハシボソガラスと一緒だからね。ああやって『遊ぶ』ことができるだけの知能があるんだと思うよ」
耀子がズキンガラスとキアシセグロカモメの様子をせっせとスケッチしていると、やがて堪忍袋の緒が切れたらしいカモメがカラスを追い払ってしまった。
「……怒られちゃったね」
「うっとうしかったんだろうねえ」
2羽のほほえましい光景を見て、二人は思わず顔をほころばせる。まるで嵐が来る前のような、平和で静かなひと時であった。