手堅さと 凡庸さと かわいらしさと
お仕事が炎上していてなかなか執筆時間が取れない……
試乗コースはローマ市街地をうねうねと走った後、郊外に出て線形の良い道路を走ってから会場に戻ってくるルートである。短いながら、それでも一通りの車両評価は理論上できるように配慮されていた。
「思ったより乗り心地がふわふわしてる」
「突き上げるような感じはないですが、ちょっとダンパーが弱い気がしますね」
ローマの道路は未舗装路から石畳路、コンクリートまで、様々な路面状態のものが存在している。全体的に舗装状態は悪いため、サスペンションのクッション性が悪いと、乗員は激しく上下に揺さぶられることになる。
「タイヤが大きすぎるのか……? 走破性のためにタイヤを大きくしたら、バネ下重量も一緒に大きくなって、それをいなそうとするとこんな風に柔らかい脚にしないといけなくなった感じ?」
バネ下重量とは、名前の通りサスペンションから下の構造物の重量である。概ね、タイヤ、ホイール、車軸の合計重量だと思って問題ない。バネ下重量が重いと、路面が車体を突き上げる衝撃が強くなるため、乗り心地が悪化するのだ。
「そんな気がしますね。ゆらゆらしますけど、ちゃんと地に足がついている感触はあります。船とかこんな感じの乗り味ですよね?」
「ああそうかもしれない。……通訳さん、後ろはどうですか?」
耀子は後ろに乗せている通訳──現地で雇ったものではなく、れっきとした帝国人繊秘書課員である──に意見を求めた。
「わ、私ですか?」
「前と後ろで乗り心地が違うことって結構あるのよ。教えてもらえると嬉しい」
つまり、これからもこの通訳は後部座席についてのレビューを求められるということである。まったく専門外の事に戸惑った彼女であったが、社長の言うことに逆らうわけにもいかないので、とりあえず答えることにした。
「うーん……まず、足元は少し狭いかもしれません」
「足元が狭い……うちの車とどっちが広い?」
「明らかにウィズキッドの方が広いですね。車体はこちらの方が大きいのに……」
通訳は自分の言葉に戸惑いながら耀子の質問に答える。
「なるほど、これが耀子さんの言っていた『デザインの古さ』……そういわれてみると、前席もウィズキッドと比べて広く感じないですね」
「さすがに天井は……ウィズキッドよりヘッドクリアランスがあるけど、全体的にウィンドウが小さくてAピラーが立っているから、体感でも狭く感じちゃうのよね」
車体の強度を確保することを優先しているのか、工作上の問題なのか、Type1の窓ガラスは史実同様全体的に小さい。このあたりもまた、デザインの古さを感じる原因になっている。
「天井と言えば、男性だと後部座席は窮屈かもしれません」
「頭当たりそうな感じ?」
「はい」
容積効率の非効率からくる車体の大きさ。車体の大きさからくる空気抵抗の大きさ。それを何とか打ち消すためのヤーライ流線形状。それらの要素が組み合わさって、Type1の後席の居住性は案外良くないものになっていた。
「まあ、ちょっと前まで屋根がないような車も珍しくありませんでしたからね……」
「T47はこのあたりうまいこと処理してる気がするなあ。本当に良くも悪くも手堅い車って感じがする」
そんな会話を続けながら、ローマの街を走っていく。七つの丘の都市の名の通り、この街はアップダウンが激しいため、低速トルクの無い車では走りにくいのだが……
「力のあるエンジンですね。坂道でも踏めばちゃんと加速しますし、クラッチを雑につないでもエンストしません」
文子としては、Type1に特にパワーが不足している感覚はないようである。
「馬力が低いのは、やっぱり低速重視のセッティングだからだろうね。ギア比はどう?」
「悪くはないですよ。ハイギアな割りに4速しかありませんけど、低回転から力が出る発動機なので、こういう道でも問題なく走ってくれます。この先の郊外路程度の速度域でも、問題ないでしょうね」
エンジンが効率よく回る回転数は、吸排気バルブを開閉するタイミングや、バルブの開度の影響を受ける。平成以降の自動車用エンジンには、回転数に合わせてバルブタイミングやバルブリフトを変化させる機構──なかでもホンダのVTECは有名だろう──を搭載し、低速から高速まで気持ちよく回るようになっているものが増えてくるが、1930年代にそんなものは存在しない。転生者に率いられた帝国人繊は手動でバルブタイミングを変化させる装置を開発したが、それでは回転数の変動が激しい自動車向けエンジンには使えない。
なにより、バルブ周りの設定よりも、ボアとストロークの方がエンジン特性に与える影響力が強いのだ。ボアに比べてストロークが長ければ高回転域での性能が低く、逆にボアに比べてストロークが短ければ低速トルクが細いエンジンになってしまう。二輪車と四輪車を両方ともやっているメーカーが、二輪用のエンジンを四輪に流用しないのは、二輪用エンジンはあまりにもショートストロークで高速重視の特性をしており、四輪車用としては扱いづらすぎるからだ。
「うちのエンジンは高速寄りすぎたかもしれないね」
「それは……そうかもしれないですね……」
現代の自動車用エンジンは、最大トルクが4000rpm前後、最高出力が6000rpm前後で発生する物が多い。その感覚で耀子がエンジンの仕様を決めてしまったため、技術の未熟さもあってより低回転なエンジンが多いこの時代では、ややピーキーな感覚を与えてしまうかもなあと思った耀子であった。
Type1の試乗を終えて、耀子達は会場に戻ってきた。
「不満点はあるけど、手札を有効に活用して作られた車なのは改めてわかった」
「その不満点が全部『思想が古い』に由来してますからね」
郊外路であるが、1.5Lの排気量と、豊富な低速トルクを生かして、案の定苦も無く巡航している。高速道路まで出ていったわけではないので本当の高速域でどうなるかはわからないが、100km/hぐらいまでは余裕があるだろうと文子は読んでいた。
「こうなると気になってくるのがT47よね」
「発動機は一緒で見た目も大きさも似ていますからね。2速も増えた変速段がどこまで効いてくるか……」
T47はアウトバーンからアルプスの山岳地帯までを走るため、前進3速後退1速の遊星歯車式主変速機と、2段のフルシンクロメッシュ副変速機を組み合わせて前進6速もの変速段を持っている。この6段変速はT47の数ある売りの1つで、この試乗会でも多くの業界関係者が殺到する原因になっていた。
「あとデザイン思想の新しさからくる内部容積の広さもね。容積効率が互角で車格に劣る以上、居住性では間違いなくうちの車は完敗だろうなあ」
その代わり、数々の凝ったメカニズムがT47の価格を押し上げている。ただでさえ自動車ローンの普及により現実的な採算ラインを設定できた結果史実の1.5倍の価格で売られているビートルより、さらに2割ほどの高値が付いているのだ。ここまで来ると、長きにわたる量産を経て設備費や開発費の減価償却され、価格が下がりまくったジムニーと大差がない。ウィズキッドや500、3CVに至ってはそこそこの価格差がある。ジムニーよりもお求めやすい自動車を提供するつもりでウィズキッドを開発した以上、T47を大衆車と呼んでいいのかは微妙なところがあった。
長々やってすみませんでした。次からもうちょっと巻きます。