翼よあれが何とかの灯だ
飛行機もちゃんとやってますよ、というお話です。
この世界の兵頭精さんはたぶん結婚してると思うんですが、相手が全く思いつかなかったため旧姓で表記しています。
2023/1/8:河原鳩の重量が軽すぎたので修正
時は少し遡って1931年のこと。立川飛行場に1機の双発機が着陸した。高翼単葉の全FRP機という、この世界の民間機ではそこそこみられる形態である。
「……本日の飛行も異常なし。おつかれさまでした」
操縦席の兵頭精が、副操縦席の佐藤文子に挨拶した。
「精さん、本日もありがとうございました」
「文子さんも筋がいいですね。これなら旦那さんと肩を並べる日も近いですよ」
精は帝国人造繊維の開発している旅客機「河原鳩」のテストパイロットをしており、テスト飛行と販売用のデモンストレーションのため、いくつかの長距離飛行に挑戦していた。
帝国人造繊維 AL11P "河原鳩"1型特甲 長距離飛行仕様
機体構造:高翼単葉
胴体:エポキシ樹脂系GFRPセミモノコック
翼:ウイングレット付きテーパー翼、エポキシ樹脂系GFRPセミモノコック
高揚力装置:ファウラーフラップ、スラット
乗員:操縦士2名
全長:21 m
翼幅:28.0 m
乾燥重量:5100 kg
全備重量:11400 kg
動力:日本航空技術廠 寿 2型乙改 空冷星型単列9気筒OHV4バルブ ×2
離昇出力:820hp/2200rpm
公称出力:700hp/1800rpm
過給機:石川島重工 遠心式スーパーチャージャー1段3速
プロペラ:日本楽器製造 PBT系AFRP製2翅無段階選択ピッチ
最大速度:330 km/h
航続距離:11000 km
巡航高度: 6000 m
この長距離仕様機は当然ながらベースグレードとなる輸送機仕様と異なる点があり
・燃料タンクの大幅な増設
・エンジンの改良
・推力式単排気管の装備
・ピストンスカートにフリクションロスを低減させる樹脂コートを施工
・プロペラがAFRP(アラミド繊維強化樹脂)製
・右翼側エンジンが逆回転仕様(プロペラトルクを相殺して操縦士の疲労を軽減)
・航空機関士席の削除
と言った改造がされ、航続距離は4倍以上に増強されている。
「あはは、まあ無茶振りには慣れてますから……」
「そういう割に上達は早いと思いますけどねえ」
今までの記録飛行では文子の夫である佐藤章を相方として挑んでいたが、今回挑む「太平洋無着陸横断」については精を機長とし、文子は副操縦士として操縦席に座ることになっていた。というのも、山階一家のチベット行きが決まったとき、佐藤章に加えて文子も飛行機の操縦ができたほうがいろいろ都合がいいということで、1年以上かけて操縦士の資格を取らされたのである。
「そうですか……」
「秘書課からうちに異動してほしいくらいですよ。人手は多くて困ることはないですからね」
帝国人繊の航空機テストチームは、史実の女性飛行士や、若くして事故死するはずだった飛行士を囲いこんでいる。御国航空練習所が健在なため、国内のパイロット人口は史実の倍以上に及んでいるが、この前のロシア戦争で国民の国防意識が高まったことにより、ほとんどが軍に行ってしまうのだ。
「まあ……考えておきます……」
秘書課の仕事が気に入っている文子は曖昧な返事をする。パイロット稼業も悪くはないのだが、文字通り「地に足が着いている」仕事の方が性に合っているようだった。
記録飛行当日。機体とスタッフは神山練習飛行場に集結していた。この飛行場は舞鶴鎮守府の管轄下にある海軍の施設で、現在の山形空港の母体である。この地が出発点に選ばれたことは、帝国人繊の山形県と陸海軍に対する影響力を如実に表していると言えるだろう。
「まずは生きて帰ってきてくださいね。精さん、文子さん」
見送りに来た耀子が無線で呼びかけた。
「そのうえで、できればあのくそったれで 身の程知らずな新聞社から、賞金10万円を分捕ってきてください」
この年の初め、某新聞社が太平洋無着陸横断に10万円の懸賞金をかけていたのである。この新聞社は偏った物の見方で記事を書いたり、煽情的な見出しでミスリードを誘ったりするようなことを繰り返しており、耀子自身もその標的になったことがあった。
ちなみに、この懸賞金は別に耀子や帝国人繊を煽りたかったわけではなく、ちょうど史実でもこのころに富豪や大企業が太平洋無着陸横断飛行に懸賞金を付けるのが流行っていたためである。
「おうとも! まかせといて!」
「あはは……頑張ります!」
二人はそう答えると、離陸のためのチェックシートを追い始めた。その他もろもろの準備が終わると、いよいよ離陸を始める。ほとんど段差のない、ぬるっとしたフォルムの機体が爆音とともに滑走路を疾走し、空へと舞い上がっていく。
「バルタイを巡航に、過給機を三速に切り替え」
「ヨーソロ」
上昇を完了し、巡航高度に到達したのを確認した精は、バルブタイミングを巡航用のミラーサイクル仕様に切り替え、過給機の変速機を、高高度かミラーサイクル運転時しか使用できない三速に入れた。
「今回もちゃんと離陸できましたね」
「うちのメカニックは優秀ですから、こんなところで壊れる程度のへまはしませんよ」
巡航体制に移行でき、文子はほっとする。
「予定ではこのまままっすぐキング郡国際空港を目指して、大体36時間後に到着することになっています」
「雷雲を迂回したり、飛行経路から外れたりがあると思いますから、そう簡単にはいかないと思いますけどね。まあ、私が居れば大丈夫ですよ。大船に乗った気でいてください」
精の言う通り、道中ではそこそこのトラブルがあり、二人は決断を迫られることが何度かあった。とはいえ、機械的なトラブルはほとんどなく、39時間の死闘の末にシアトル上空まで到達することに成功する。
「心配されていた霧も出ていないし……行けそうですね」
「フラップとスラットを展開しますよ。それから脚も出してください。着陸します」
「ヨーソロ」
疲労を精神力で押さえつけ、二人は機体を着陸態勢に移行させた。燃料の大部分を失ってずいぶんと軽くなったずんぐりむっくりとした機体は、そっと滑走路の上に降り立ち、やがて完全に停止する。
「……管制塔へ、駐機場を案内してください」
無事に着陸できたことで一瞬緊張が切れたものの、文子は滑走路の上に居座っていては邪魔だということを思い出し、管制塔に誘導を要求した。誘導に従って機体をタキシングさせ、駐機場に機体を止めると、エンジンを停止させる。
「……終わりましたか」
「終わりましたね……」
39時間以上、二人は交代で機体を操縦し続けていたのである。疲れ切っているのも当然だった。
「まずは機体を降りましょうか」
「そうしましょう。喜ぶ気力もありませんから……」
いつもは男勝りで溌溂としている精も、このときばかりは受け答えをするのが精いっぱいであったという。
二人の記録飛行が無事に終わり、日本とシアトルはお祭り騒ぎになった。世界初の太平洋横断を、日本人が成功させたニュースは瞬く間に全世界を駆け巡り、大部分の人間に驚きを、一部の人間に悔しさを届けることとなる。
なお、後日耀子を含む帝国人繊の代表者が某新聞社に懸賞金の受け取りに行ったが、彼らは自分たちが耀子の恨みを買っていることに素で気づいていなかった。このため、どうして彼女が妙に勝ち誇ったような顔をしているのかよくわからなかったという。イエロージャーナリストにとって大衆を扇動することは息をするように行われることであり、それが悪事であるという認識が全くなかったのだった。
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