閑話:産地直送の新鮮なサプリメント
担当編集から大量の改稿点を指示されて手が回らないので、今回は手癖で書けたネタです。
「今日はこのくらいにしておくか……」
ハワード・フィリップス・ラヴクラフトは、キリの良いところまで原稿を書き終えて、この日の執筆活動を終了することにした。
「お疲れ様です、ラヴクラフトさん」
デスクの対面に座っていた小栗虫太郎が、日本語なまりの英語でラヴクラフトにねぎらいの声をかける。
「ありがとう。小栗もほどほどにしておけ」
「お心遣いに感謝いたします」
そうして彼は四海堂印刷所を後にし、帰宅の途に就いた。
(まったく、人生とはわからないものだな。まさかアメリカ人の私が、日本で売れっ子作家になり、住処まで移すことになるとは思いもしなかった)
東京の街を歩きながら、ラヴクラフトは日本に来ることになった昔に思い出に思いをはせる。きっかけは一通の手紙だった。
「日本から?僕に何の用なんだ」
妻と別居してしばらくたったころ、ラヴクラフトに一通のファンレターが届いた。差出人は小栗虫太郎。そう、四海堂印刷所の所長にして、この世界の日本ではTRPGのリプレイ作家として一世を風靡している小栗虫太郎だ。
「……自分の会社の出資者から、僕の書いた『ダゴン』を渡されて、それがすごくおもしろかったと……」
もちろん、出資者とは耀子の事である。彼女はTRPGを日本で流行らせている中で、今の時期はラヴクラフトが存命であることを思い出し、知己を得た作家に手当たり次第ラヴクラフト作品を布教していたのだ。
「そうか、僕の作品は日本でも読まれるようになったんだな……」
そういって彼は小栗のファンレターを机の中にしまい込む。このときはただ、自分の名が遠く離れた日本でも知られていることに、ささやかな幸福感を感じただけであった。
「……また虫太郎からの手紙か」
しかし小栗が一通目のファンレターを出してから、日本の伝奇作家やリプレイ作家たちが次第にラヴクラフトへ手紙を出すようになる。現代日本で最も有名なTRPGが「クトゥルフの呼び声」になっている通り、この時代の日本でもラヴクラフトの作品は高く評価されたのだ。
「僕の作品を翻訳して日本で売りたい!?」
小栗はそこからさらに一歩進み、作家仲間の間だけでなく、日本の一般大衆にラヴクラフトの才能を知らしめようと考えたのである。
「そうか……自分の作風がアメリカ人の口に合わないことはわかっていたが、ああいうのが日本人は好きなんだな……」
日本は海洋国家であり、その文化には彼が嫌悪してやまない海のあれこれが密接にかかわっている。アジア人に対してはそこまで差別的感情を抱いていないとはいえ、アメリカでは自分の作風を受け入れてくれる者が少ないという実感もあって、複雑な気持ちを抱いた。
「都合のいい日付を連絡すれば向こうから来てくれるらしい。折角だし、前向きな返事をしてみるか……」
この時から、彼はアメリカの出版社だけでなく、日本の四海堂印刷所にも、自分の作品を売り込むようになる。当然、日本では知名度の高い小説家がこぞって彼の作品を推しているため、自然と日本での売り上げがアメリカでの売り上げを上回るようになっていった。
そして、決定的だったのが、実に50年以上前倒しになる「クトゥルフ神話TRPG」の製作である。日本でラヴクラフトが有名になったことを確認した耀子は、少々複雑な気持ちを抱きつつも「作者本人による真のCoC」を作って売ることを決意し、小栗とも相談して四海堂印刷所でラヴクラフトを雇うことにしたのだ。
「今度は日本で一緒に働かないか、と来たか……」
引きこもり気質なラヴクラフトは、いくら自分の作風を受け入れてくれる国とはいえ、遠く離れた極東の島国に行くのはさすがに気が進まない。
「とはいえ、黒人だらけのニューヨークの街は正直嫌いだしなあ……」
黒人や東南アジア人を強烈に蔑視していたラヴクラフトは、結婚を機にニューヨークに移り住んだこともまた失敗だったと思っている。悩みに悩んだ末、彼は小栗と耀子の提案を受けることにし、別居していた妻と離婚して日本に移り住むことになった。
(あの時は本当に苦渋の選択という感じだったが、今はどうだ。相変わらず海産物を好んで食うのはどうかと思うが、大体の人が僕の作品を喜んで読んでくれる。明らかに日本に来て正解だった)
自宅のカギを開けながら、ラヴクラフトは自分の仕事に確かな手ごたえを感じることを思い返す。
(最初にやったTRPGの世界観設定の仕事は会心の出来だったし、それにふさわしい評価を得られている。そのあと出したリプレイもかなりの売り上げがあったし、何より四海堂印刷は十分すぎるくらいの給料をくれるから、生活が楽で執筆に集中できる。これほどありがたいことはない)
思う存分作品を書き、ファンと交流できる今の生活をかみしめながら、帰宅したラヴクラフトはゆっくりと自宅のドアを閉めた。
思いついてからしばらく寝かせておくと、具体的な検討をしていなくてもかきやすくなるものなんだなあ。