メタルファティーグ
金属は専門外だから、史実を紐解くしかやりようがないのじゃ。すまんな。
「いただいた試料を分析しましたが、結論から申し上げますと、ほぼすべて疲労破壊でしたな……」
陸軍から調査を依頼された東北大学の市原通敏がそう結論付けると、原の隣にいた耀子がぐっとガッツポーズをして見せた。
「山階さん、自社の分析結果と一致したからってそう喜ばなくても……」
「部下の手柄は私の手柄、私の手柄は部下の手柄なんですの。ごめんあそばせ」
「鷹司……いや、今は山階耀子さんでしたか。噂通りの愉快なお方なようですな」
耀子が原をいじって遊んでいると、市原が愉快そうに二人を見る。
「あまり自慢にならないのですが、東北大学の伝説の女と言ったら私……とは限らないんですよね」
「……あー、牧田先生とかいますからねえ」
「私は自分がお世話になったので黒田先生最推しですが、丹下先生もなかなかのつわものですし、それに比べて私なんてただのペーペーですよ」
原は「それ悪い意味では?」と言いたい気持ちを必死でこらえた。そのあとの耀子の発言を見る限り、その判断は正解だったらしい。まあ、原が迂闊なことを言ったところで、耀子は気にせず自虐に走ったのだが。
「私も最近シュタウディンガー先生とノーベル賞を取った黒田先生こそが東北大学を代表する女性だと思いますが、それはさておき、このトーションバーは疲労強度が足りてないんでしょうな」
「はい。例えば……これとかわかりやすいですよね。外周側に起点となったらしいラチェットマークがいっぱいついてて、それが中心部に向かって進展していって、最後に残った中央が延性破壊してねじ切れてると」
耀子は配られた資料からわかりやすいものを見つけ、自分の見解があっているかを確認する。
「それで正解ですよ。大学で培った観察眼は、今でも衰えていないようですな」
「上に立つものと言えど、このくらい出来ないと部下に示しがつきませんから」
そういって耀子は苦笑した。上の人間が技術的な口出しをすることには良し悪しがあるのだが、帝国人繊はまだまだ管理職が技術面の監督もしないと回らないのである。これでも昔はほぼ耀子一人で回していたような部門もあったため、だいぶ良くなったのだ。
「しかし疲労破壊ですか……単純に材料を太くすればいいというものではありませんからね」
原が難しい顔をする。
「材料表面の硬度を上げるのが定石ですが、もう高周波焼き入れはされてるんですよね……あとは鍛造とか……鍛造……」
バネの専門家である市原と言えど、すぐには思いつかないようだったが、自分の言葉から何か思い当たるものがあったらしい。
「ショットピーニングとかどうですかな」
「ショットピーニング?」
「最近イギリスで開発された、鋼の球を高速で叩きつける表面処理ですね。対象物の表面に圧縮残留応力が入るので、疲労強度の向上が期待できるんです」
市原と陸軍の提携に耀子はかかわっていないため、彼女は彼が何者なのかをよく知らない。しかし、史実における「正解」に辿り着いたところを見るに、只者ではないという認識を耀子は持った。
「あとは……セッチングでしょうか」
「セッチング?」
今度は耀子が聞き返す。
「バネが使われる方向に冷間加工することです。これも疲労強度の向上につながりますな」
「あー、あらかじめねじっておく奴ですか。そんな名前がついてるんですね」
これも史実においてとられた解決策の1つだ。外来語の「セッティング」と紛らわしいためか、耀子は用語としての名前を憶えていなかったようである。というか「ストライク」と「ストライキ」や「ブレーキ」と「ブレイク」のように、英語の綴りは全く同一であった。
「そうなると、バネ屋さんには鍛造設備とショットピーニングの設備を整えてもらわなければいけないわけですか」
「トーションバーが実用化できれば、戦闘車や突撃車でも使いますよね?ショットピーニングはバネ以外にも使いますし、導入させても損はさせませんよ」
下請けの負担を気にする原に対し、耀子はそう言い切った。
「それに、ショットピーニングに関してはさらに発展させたものも作ってもらいたいですしね」
ところ変わってこちらはチェコ、タトラ社の会議室。少し前、タトラとオーストリア政府は自国の大衆車であるT47の発表会を行ったため、ここで反響をまとめている。
「良いニュースと悪いニュースがあります。良いニュースとしては、先日の発表会から『T47』に関する問い合わせが我が社に殺到していることです。首都ウィーンはもちろんのこと、潜在的顧客の居住地はプラハやブダペシュト、南方ではカッタロ辺りから発売を催促する電話や開発を応援する連絡が届いているとか」
「大変結構じゃないか。それで、悪いニュースというのは?」
ヒトラーは機嫌よく報告の続きを促した。
「ヒトラーさん……その……」
「ドイツの一部の雑誌が、T47はダイムラータイプ1の模倣だと書き立てています。それを真に受けてクレームを入れる者もちらほら……」
その言葉を聞いたヒトラーは怒りに震えながら、絞り出すようにつぶやいた。
「これについて申し開きがあるものだけここに残れ」
部屋からは大部分の者が退室し、レドヴィンカとオーストリア側の担当者だけがこの場に残る。
「奴らの目は節穴か!あれのどこがタイプ1と似ているというのだ!バカにしやがって!」
机を叩きながら怒り狂うヒトラーの独演会が始まる。こうなるともうしばらくは手が付けられないだろう。
「確かにレイアウトは同系統のものだ。エンジンも後ろにあるし、何ならタイプ1と同じエンジンが積めるようにレドヴィンカさん達が配慮したからな!」
扉から漏れ聞こえるヒトラーの怒声を聞きながら、退室した技術者たちは、この後激詰めされるであろうオーストリア政府担当者に同情しつつ仕事に戻り始めた。
「もしかしてこれはダイムラーの仕掛けた陰謀なんじゃないか!?あいつら我が社がオーストリアのチェコの会社だからって下に見やがって、ああいう傲慢な連中は大嫌いだ!」
「ダイムラーから見れば一応御社も競合他社でありますので……」
そういってから政府の担当者はしまったと気づいたがもう遅い。
「うるせえ!大っ嫌いだ!とっとと潰れちまえ!バーカ!」
「アドルフ、それだとポルシェがまた路頭に迷ってしまうよ」
「それなら我が社で雇えばいいだろ!」
怒り狂うヒトラーはそういい放つと、デザイン用の鉛筆を机にたたきつけて叫んだ。
「ちくしょぉめぇぇぇええええ!」
あまりにもヒトラーが暴れて回るので、逆に冷静になった政府担当者は、今の状況は一次大戦のときにあったという「皇帝の激怒」に似ているなあなどとどうでもいいことを考え始めている。
「奴らはドイツを代表する自動車メーカーだと言って偉ぶっているが、単に起業するのが早かったというだけだ。その立場に胡坐をかいて見当違いな施策を繰り返し、技術者を疲弊させている!」
「その好例がそれこそ大衆車の件だろう。奴らならもっと早く手を出せたはずなのに、経営層が欲しくないからと言って今までほったらかしにしてきた!」
「なんとまあ視野の狭い連中なんだ!こんなことなら奴らから優秀な技術者を何人か引っこ抜いてしまえばよかった。ポルシェ博士のような人をな!」
そこまでまくしたてると、さすがに疲れたのか、ヒトラーは自分の席に座り込んだ。
「私は芸術大学には行っていない……だが自分一人で努力し、こうしてハンスに見いだされて、このT47をデザインしたんだぞ……」
大分時間がかかったが、ヒトラーの本心はここだろう。苦労しつつも自分が志した芸術の道を歩むことに成功し、その集大成とも言うべき車両を他人の模倣と言われたのだ。彼でなくても怒りを感じることは間違いない。
「なのになんだあいつらは……私のT47より、おっぱいぷるんぷるんさせた女の方が美しいとか抜かすんじゃないだろうな!?」
一度は落ち着いたかと思われたヒトラーがまたヒートアップし始めた。レドヴィンカは彼に聞こえないようにそっとため息をつく。
「あのヤーライ流線形に基づいた美しい曲面!私の要求に設計部門や製造部門が誠心誠意答えてくれた証なんだぞ。その程度も読み取れないやつはやがてみな報いを受けるだろう。そうだ、奴ら自身の血で償うことになる。自分たちの血でおぼれ死ぬような報いをな!」
そこまで一気に叫んだ後、今度はヒトラーがため息をついた。
「まあいいさ、努力が報われないことは慣れている……私はな……」
心底寂しそうに、ヒトラーがつぶやく。彼が時折見せる底知れぬ闇のようなものを見ると、もし自分がヒトラーを拾い上げなかったら、何かとんでもなく悪いことが起こったのかもしれないと、レドヴィンカはたびたび思っていた。
「だがチームの皆は別だ。せっかく作った車が他人の模倣だと言われて、果たして気分よくいられるのか……」
納得はいってないだろうが、何かしらの責任もまた感じているらしく、ヒトラーは申し訳なさそうにしている。
「嗚呼、会議の邪魔をしてすまないね。少しすっきりしたよ……皆を集めてくる」
ヒトラーはそういって、どこか寂しそうに席を立った。
ノルマ達成