第一次自動車聖杯戦争
大乱闘自動車デザイナーズともいう
「諸君。親愛なる帝国臣民諸君。我々は長く厳しい戦いを乗り越え、強欲なる世界の敵からついに旧領を取り戻した」
講和の内容が確定した日、ドイツ皇帝は自国民に向けて勝利演説を行った。
「さらには我々が解放した領土からポーランドという得難い友邦を建設することができ、前大戦での負債は完全に返し終えたと言っていいだろう!」
民衆が興奮して叫ぶ。前半こそ苦しい戦いを強いられ、一時はさらに領土を削られる羽目になった。それでも粘り強く耐え抜いたため、こうして逆襲が成功したのである。
さすがに、まだ一次大戦の賠償金と戦費が山ほど残っているため、負債を返し終えたというのは言い過ぎなのだが。
「しかし諸君!激しい戦闘により、取り返した旧領も、友邦ポーランドの国土も、ともに激しく荒廃している」
ポーランドはベラルーシの一部と合わせて独立することになった。ドイツとしては完全に自国の領土として組み入れたかったのであるが、イギリスの横やりによってドイツの保護国という立場に収まっている。ドイツ自身戦時中にポーランド人レジスタンスの協力を得ており、彼らの声を無視できなかったというのも大きいだろう。
「さらに、我が国の勢力圏は東西に大きくなりすぎてしまった。友邦ポーランドはメーメル川よりさらに東まで領土が続いており、マース川流域からそこまで行くには大変な苦労が要るだろう」
東西に長いことは、対ロシア戦において縦深を大きくとれるということでもある。でもまあ、そんなことは戦時にしか役に立たなくて、平時には「辺境」が生まれ、そこが国の発展から取り残されてしまうという欠点でしかない。
「其処で我が国は、東西に横断する速度無制限で直線的な自動車専用道路『アウトバーン』を建設し、それを起点に自動車の往来がしやすい一般道の建設を行うことにした!」
演説の熱の入りようとは裏腹に、民衆は少し落胆したように見える。鉄道なら切符を買えば自分たちも乗ることができるが、自動車なんて高級品を買えない自分達ではその恩恵にあずかることは難しいように思えた。少なくとも、このときまでは。
「あわせて、諸君ら一般帝国臣民でも購入可能な自動車を開発し、一家に一台自動車がある社会を目指すことをここに宣言する!もちろん、購入可能とは、単に権利があるという意味ではなく、諸君らの収入でも家計に大きな負担をかけることなく買うことができるということだ!」
民衆がどよめく。そんなことができるのか、ただの絵空事なのか、さっぱりわからなかったからだ。
「優秀な我が国の自動車メーカーダイムラーベンツは、政府の内示に答え、さっそくこのような素晴らしい模型を用意してくれた!諸君らにもお見せしよう」
そんな皇帝の声とともに現れたのは、あの「ビートル」そっくりな実物大モックアップだったのである。
「えー、ドイツ皇帝がなんか言ってましたがー、いつでもどこでも誰にでも、この地上を自在に移動する喜びを与えてきたのは私達であるという自負がありまーす」
ドイツ皇帝の演説から翌日、日本では帝国人繊が緊急記者会見を開き、耀子が少々不機嫌そうに語り始めて記者たちの笑いを誘った。
「とはいえ……我々の誇るジムニーが、中古のT型フォードより安いかと言われると、首を振らざるを得ません」
ここで中古のT型フォードが出てきているのは、日本の中流家庭でも無理なく所有できる自動車の代表格だからである。さすがに1930年代にはあまりの性能不足ですでに生産終了しているが、バカみたいな数が生産されて在庫がだぶついており、バカでも運転できるほど操作が簡単で、バカらしくなるほど元値が安いため、首都圏では庶民の足として親しまれている。
T型フォードが使えるほど道路事情がよいのはなぜか。それは関東大震災からの復興工事の中で区画整理が行われ、被災した地域では道幅4m以下の狭い道路が全廃されたためである。最低でも片側1車線、両側2車線以上のコンクリート舗装道路が標準となっており、別にジムニー程の走破性がなくても十分走ることができるのだ。
「ですので、真の大衆車とは何物かということをドイツ皇帝、いや、世界の皆様にお教えするべく、帝国人造繊維、並びに三共内燃機とサプライヤー各社は、その総力を挙げて十分な性能を持ち、十分に安価な自動車を開発することを宣言します」
耀子はドイツ──というかダイムラーベンツに真っ向勝負を挑むことを宣言したのである。いくら相手がポルシェ博士でも、こちらは蒔田鉄司や鈴木俊三といった優秀な設計士に、佐々木達三という優秀なデザイナーを抱え、鈴木道雄が鍛え上げた優秀な生産技術部が居るため、負ける気がしなかったのだ。
また、同日にはオーストリア皇帝も自国の自動車メーカーが大衆車の開発に尽力していることに触れ、さらにアウトバーン計画に便乗して自国の領土にも高速道路を枝分かれさせてもらうことに言及。以後、イタリア、フランス、イギリス、アメリカの自動車メーカーも、次々と大衆車の開発競争に参加することを宣言し、後世の日本で「第一次自動車聖杯戦争」と呼ばれる時代が幕を開けることとなった。
世界の自動車メーカーはどのような車両を投入してくるのか。我らが帝国人繊は史実の車両か、はたまたオリジナルなのか。そのあたりを楽しみにしていただければ幸いです。