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ロシア分割

先週はすみませんでした

「それじゃあ、ロシアの状況を振り返ってみましょうか」


 1929年の暮れのこと。耀子は自身の事情を知る者たちを集めてこれまでの出来事を整理することにした。


「大きかったのはトルコの参戦だな。あれで完全に流れはこちら側に傾いた」


 信煕の言う通り、ロシアを取り巻く状況は加速度的に悪くなっていった。

 中華民国がチベットと停戦した時期に前後して、今まで息を潜めていたトルコがついに日英側で参戦したのである。


「陸軍としてはもう少し早く参戦してほしかったとは思いますが、一応間に合っているので及第点といったところでしょうか」

「トルコとしても、これ以上参戦を遅らせたら旧領をどうされるかわかったもんじゃないですしね」


 トルコ軍はロシア領内のトルコ人を一斉に蜂起させ、ロシア軍が後方をズタズタにされている隙に一気に進撃。アナトリア半島東部を奪還し、そのままバクーまで雪崩れ込んだ。


「あれでロシアは石油を自給する手段をほぼ失いました。機械化した陸軍による機動戦がトレンドになっている今の戦争では致命傷になる……と考えていいですよね?」

「それで良いと思います。ロシア軍はまだまだ歩兵主体の組織ですから、直ちに戦闘不能になるわけではありませんが……一発逆転を期待できるような大規模機動戦はもう期待できないでしょうね」


 全方位に戦線を作られてしまっているロシアがここから形勢をひっくり返すには、日本軍が朝鮮と沿海州で行ったような大規模包囲戦を成功させる必要がある。しかし、徒歩の歩兵では衝撃力も機動力も足りないため、一次大戦でドイツ軍がやってしまったようにうまくいかない可能性が極めて高い。


「ドイツ軍は順調に進撃し、ポーランドとベラルーシを押さえた。バルト三国もイギリスと一緒に占領し、そのイギリスは旧首都ペトログラードを包囲している。ラトビアで包囲したロシア軍をとり逃したのは痛かったが……」

「イギリスは欧州のほかにイランでも攻勢に出ていたからな。全力で戦えなかった以上、ロシア軍に包囲環を突破されるのも仕方ないだろう」


 ドイツによる夏期攻勢に連動し、イギリス軍も中東と北欧で攻勢に出ている。カレリアとコラ半島からロシア軍を叩きだし、フィンランド戦線が完全に片付いたため、ここにいた戦力を転用した形だ。エストニアに上陸したイギリス軍は、ペトログラードを包囲しつつ南下。東進するドイツ軍と合流してラトビアとリトアニアにロシア軍の一部を包囲することに成功した。中東でもイランを奪還し、完全に流れは日英側に傾いている。


「それでもうじうじ戦いを引き延ばしていましたけど、チベットやイギリスに中央アジアを空き巣狙いされて、皇帝が国民から退位を要求されるに至って、ようやく講和の席に着いたのがつい昨日……というわけですね」

「ようやくだよほんと。陸海軍が食いつぶしていく予算を見て、生きた心地がしなかったんだからねこっちは」


 大きなため息をつきながら信輔が愚痴を言った。彼がここまでの物言いをするということはあまりなく、それゆえ大きな心労がかかっていたことは想像に難くない。


「すまないね兄さん。いや本当に、すまないとしか言えないんだが……」

「ああうん、軍が無駄な金を請求してるなんてこれっぽっちも思ってないよ。ただ単にこの後どうやって財政を立て直すのか、鳥類保護政策が割を食わないか心配になっただけだから……」

「「ああ……」」


 さすがは鳥の公爵である。この期に及んでも鳥類の心配をしているのはさすがといっていいだろう。


「さて、講和条件だが、日本としては韓国からの完全撤退と沿海州の割譲、あと賠償金を請求する感じになると思うが、耀子としては何か思うところはあるか?」

「それが妥当だと思います。シベリア一帯とか要求しても、活用できませんし……」


 シベリアやカムチャツカ半島には、未開発の資源が大量に眠っている。しかし、日本国内の開発もまだ道半ばで、しかもこれから韓国や沿海州の管理コストまでかかるというのに、新しく秘境の開発をする余力は日本にはないだろう。

 韓国は後日改めて併合する予定である。新疆で起きたクーデターが世界規模の大戦に発展してしまった原因の一つに、韓国のロシア側に対する寝返りがあるのだ。正直朝鮮半島には一厘たりとも投下したくないのだが、外交権を縛ってもなお他国と共謀する国を生かしておく理由はない。国防上は自分たちの勢力圏に入れておかなければいけない土地である以上、併合し、飼い殺しておくしかないのだ。沿海州の割譲を要求するのも、完全に国防上の必要性に迫られてのことである。


「他国の動向は?」

「えーと、まずチベットはロシアに対して、賠償金と、新疆での陰謀に加担した者の処刑を求めるみたいだね。民国からは領土以外ぶんどれそうなものがないから、その分要求は厳しめになると思うよ」


 議会で配られた資料を見ながら信輔が答える。中華民国がチベットに対して屈服せざるを得なくなったのは、陸軍への給与支払いが滞り、士気が壊滅したからだ。そんな状態の国からさらに金をむしり取ろうとしても、踏み倒されるのがオチであろう。


「それから、欧州各国はドイツ、オーストリア、トルコの旧領回復と、ルーマニアへのベッサラビアの割譲、フィンランド、ポーランド、バルト三国の独立の承認、あとイランからの完全撤退を要求するんだって。あ、当然賠償金の請求もするってさ」

「これも賠償金の金額次第だが、おおむね妥当なところだろうな」


 武彦の言う通り、あまりにも順当な要求であった。どこぞの感情的なカエル野郎と違って、腹黒紳士やジャガイモ狂いはまだ理性的な議論ができるらしい。


「耀子さんとしては、特に介入するところがなくて腕の振るいがいがない感じかな?」

「いや、むしろ面倒がなくてありがたいなあと思ってるところですよ。私があれこれ策謀しなくても、日本がうまく立ち回ってくれるなら、それに越したことはないんです」


 それに、今のこのメンバーでは、政府中枢に干渉しにくいという問題もあった。


 耀子本人の影響力は、鈴木商店をはじめとする財閥や東北大学、日本航空技術廠などの国営研究機関に行使することができる。一個人としては破格だが、ほぼ経済や工業技術の分野ばかりで、政治的なあれこれは期待しにくい。一応陸軍情報部にも顔が利くが、史実で何かしら事件を起こした要注意人物をマークしてもらう程度だ。


 陸軍には信煕、海軍には武彦がいるが、彼らはまだ上司から目をかけられているとはいえ下っ端のほうで、確実性が低い。もっとも、武彦については「空の宮様」として国民に顔が売れており、彼が運営する御国航空練習所の卒業生も国内各所に散らばっているため、想定以上の影響力を発揮できる可能性がある。


 信輔は現役の貴族院議員であり、史実よりも積極的に議員活動をしているため、トキなどの一部鳥類を史実よりましな状態で保護する実績を上げている。また、同じ生物畑の人間として昭和(今上)天皇と個人的な知己があり、何度か御進講も行っているようだ。そのため天皇に一番近い人物というと実は彼なのであるが、持っている権力としては一貴族院議員にすぎない。それに、彼もまた学究の徒であるため、鳥類研究の時間をこれ以上削ってまで議員活動に集中してもらうのははばかられた。


 芳麿も信輔と似たり寄ったりである。とはいえ、彼の役割は、多忙な信輔の鳥類研究を手伝いつつ、自分の研究も進め、さらに耀子を精神的に支える「縁の下の力持ち」であり、外部に影響力を及ぼすことはリソース的に難しいだろう。


「今のところ、海軍で政府に不満を持っているやつがいるとは聞かないな、信煕殿、そちらは?」

「陸軍でも今のところ日本をどうこうしたいという噂は聞いていない。尻尾を出していないだけかもしれないが、経済は好調だし、軍部の予算も、十分とは言わないがそれなりに出ているからな」

「あれで十分じゃないんだ……」

「まあまあ信輔お兄様、軍への支払いは結局のところ民需に回りますので……」


 貧すれば鈍するとはよく言ったもので、日本の立ち回りが本格的におかしくなったのも、世界恐慌への対応を誤って日本全体が貧乏になってからである。裏を返せば、日本が苦境に陥っていない以上、おかしな動きをする可能性は低かった。


「……それじゃあ、特におかしな動きをする国や勢力もいないみたいだし、今回も特別な動きはしないということで……」

「そうですね。政治的な動きよりも、戦訓の分析と、それに応じた技術開発や兵器生産の見直しのほうが大事かなと思います。例えば多砲塔戦()車みたいなおかしなものを作ろうとしてたら、阻止しないといけませんので教えてください。開発費と鉄鋼の無駄です」


 後日、ロシアは交戦した各国からの要求をおおむね飲み、講和が成立した。今回の一件でロシア皇族の支持は完全に失われたため、ニコライ2世は退位し、一族はデンマークに亡命する。以後、ロシアは大統領制の国家として再スタートを切るのであるが、今まで専制政治に慣れていた国民が民主主義に適応するのは容易ではなく、安定した政権が確立されるまでにはかなりの時間が必要となった。

いつも感想ありがとうございます。今話もお気軽に書き込んでいただければ幸いです。

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挿絵(By みてみん)

本作世界のチベットを題材にしたスピンオフがあります。

チベットの砂狐~日本とイギリスに超絶強化されたチベットの凄腕女戦車兵~ 

よろしければご覧ください。
― 新着の感想 ―
[一言] 史実の沿海州だと原住民20万人がシベリア経由で中央アジアに移住させられ5万人が到着したとか。 それでも彼らが言うには人口を倍にした日帝より優しい待遇らしいです(白目)。 ロシアには原住民を半…
[一言] 朝鮮半島って史実でも思ったけどいろんな意味でめんどくさいね
[一言] 半島はいっそ日本の敵対勢力が入り込まないよう守るのから、敵対して害をもたらすようになったら潰す為の戦場にするよう方針転換した方が良いかもです 身内にして懐に入れると確定でロクでもない事になり…
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