【外伝】西蔵門戸
久々にあの人たちの登場です。
新彊軍を脱落させた後、チベットは中華民国戦線に全力を注いでいた。それはチベット民族が住む地域(彼らの言うところの"旧領")を支配下に置きたいというのもそうだし、対中国では列強の支援を得られないため、全く手を抜けないという意味もあった。
「あそこが雅安……」
「西蔵門戸とも言われる茶葉の名産地だな」
「バター茶に欠かせない茶葉はチベット平原で栽培できないから、ガンデンポタンはぜひともここを獲りたいだろうね」
眼下の雅安の街並みを見ながら、チベット陸軍の女性戦車兵であるミカ、ツェテン・ダワ、キャロリンは各々の感想を述べた。新疆戦では士官学校生だった彼女たちは晴れて少尉に任官され、今や各々が1両の戦車を預かる車長になっている。しかもそれが日本から導入したばかりの十二年式中戦闘車1型乙だというから、軍部の期待と目論見がうかがい知れるというものだ。
「雅安を奪取したら、成都はもう目と鼻の先です。あっちも取ることになるのでしょうか」
「そうなる前に停戦するつもりで政府は動いているらしいが、異民族に対する蔑視もあって、どうなるかは不透明だ」
日本軍がシベリア鉄道を爆撃した結果、ロシアから中華民国やモンゴルへの支援も途絶した。その結果、長年チベットと争い続けて体力をそがれていた中華民国は、ついに財政が破綻しつつある。それでもなお「異民族如きに譲歩するなど末代までの恥だ!」と叫ぶ強硬派が居るのだから始末に負えない。
「誇りで飯は食べられないのに、酷い話」
くだらない理由でずるずると戦を引き延ばしている中華民国政府をキャロリンが皮肉る。前線では給料の支払いが遅れ始めており、彼らの士気が低かったのも、チベット軍が前線を押し上げることができた一因であった。
「それなら奴らの誇りとやらをぺしゃんこにしてやるまでさ。そうだろう?ミカ、キャロ」
「……そうですね。私、今度こそちゃんとした休暇が欲しいところだったんです」
「ミカに賛成。こっちも歩兵不足が深刻化しつつあるし、ここらで圧勝して奴らの鼻っ柱をへし折ってやる必要があると思う」
三人は決意を固めた後、自分の小隊に戻っていった。
準備の完了したチベット軍は、まず南側から雅安を攻撃する。十二年式中戦車を正面に押し立てて、広いとは言えない戦闘正面を兵器の性能差でじりじりと押し上げていった。
「まだかな……」
キャロたちは雅安の北側にある蒙頂山で待機している。南側を主攻と思わせて、中国軍が引き寄せられたところを後ろから殴りつけるためだ。
「……頃合いだな。全車戦闘準備。蒙頂山を駆け下りて町と町の間を抜けるぞ!」
山頂から戦況を観察していた旅団首脳部から出撃命令が下る。各車両の運転手がエンジンを始動し、一帯はにわかに2ストエンジン特有の爆音に包まれた。
≪全車突撃!敵軍の背後を蹂躙し、退路を遮断せよ!≫
≪了解!≫
≪了解!≫
≪了解!≫
無線で指示が飛ぶや否や、各車長がやかましく応答し、自車を突撃させていく。
「私達も突撃します!前進!」
ミカも自車を走らせ、山を駆け下りていった。
「砲手!まずは一発前方の敵歩兵陣地に砲撃!弾種榴弾!躍進射!」
「遠すぎないですか!?」
「同士討ちさえしなければいいから!」
砲手が驚愕するが、周囲の僚車も似たようなことを考えていたらしい。敵軍の頭を下げさせるため、テキトーな狙いで敵陣を砲撃している。
「操縦手、一旦停止! 砲手は動揺が収まり次第射撃して!」
「ええいままよ!」
ミカ車の砲手も覚悟を決めて適当な目標に向けて砲撃した。案の定狙いからは外れたが、目標が大きかったので敵陣地自体には命中したようだ。
「次は正面の機銃陣地!弾種榴弾!躍進射!」
「激しくぶれてて分かりません!」
高速で機動しているため、砲手がうまく指示に従えていない。90式以降の日本戦車のようにスタビライザーはついていないので、こんなものだろう。
「多分方位002ぐらい!」
ミカは砲手をしていた時の感覚から砲手の方角を指示する。
「見えました!」
「装填は!?」
「終わってます!」
ミカ車は前転しないようにブレーキをかけたあとに発砲、目標を撃破し、再度前進を始めた。
≪敵特火点撲滅!≫
≪進めー!根性見せろー!≫
通信を聞く限り、味方もうまくやっているらしい。この後もミカ車を含むチベット機動第1連隊は、敵陣地やトーチカを撃破しながら進撃し、中国軍の防衛ラインを突破して雅安防衛部隊の後背に回り込むことに成功した。雅安市内を通って南東方向へ流れていく川「青衣江」沿いに布陣していた中国軍は、突然背後に現れたチベット軍戦車隊を見て恐慌状態に陥る。
「今だ!同士討ちに注意しつつ総攻撃!」
対岸のチベット歩兵第6旅団長が叫ぶ。危険なはずの渡河攻撃はあっさり成功し、機動第1連隊と歩兵第6旅団が宗家溝で握手したことで、雅安は完全に包囲されてしまった。
「皆さんクルマにつかまってください! 防御戦闘中の機動大隊のところまで送ります!」
初動の混乱から立ち直った中国軍が、案の定包囲を破ろうとミカ達戦闘車第1大隊の後詰めである機動第1大隊を攻撃している。このため、当初の計画通り一部の戦車に歩兵を戦車跨乗させて、必要な場所に送り届けることになった。
「おお、やっぱり新型はでかくて乗りやすいな」
「西蔵の砂狐に送ってもらえるなんて、俺たちはついてるぜ」
「あはは……」
もう色々と間違っている歩兵の皆さんのコメントに苦笑しながら、ミカは彼らを振り落とさないように慎重に戦車を走らせる。戦力の移動は問題なく間に合い、雅安守備隊は包囲環脱出に失敗した後すぐに降伏。凄惨な市街戦は回避された。
「お疲れミカ~」
「キャロちゃんもおつかれ~」
「ミカ、キャロ、二人とも生きてるな」
「ツェダさんも無事で何よりです」
戦闘終了後、3人はお互いの無事を確認しあっていた。
「思ったよりあっさり終わりましたね」
「やっぱ給料はちゃんと払わないとダメだよ。中国軍がもっとやる気にあふれてたら、だいぶてこずったはずなのに」
やれやれといった調子でキャロリンが中国軍の動きを批判する。
「まあまあ、『器用な嫁でも米がなくては粥を作れない』というだろう?我が国は運よく石油資源を輸出して外貨を稼ぐことができているが、向こうにはないからな」
「一歩間違えばああなるのは私達だったかもしれませんからね」
そういってツェダとミカがキャロをなだめた。
「それで、ミカ、ツェダさん、今回私達は『圧勝』できたと思う?」
「相変わらず我が軍からするとうらやましくなるくらいの人数が捕虜になっていますので、これで民国が諦めてくれるとありがたいですね」
「今までの戦場は山奥の寒村だったが、今回は曲がりなりにも里山の麓の町だったからな。駐屯していた兵力もそこそこだったし、後は蒋介石の判断次第と言ったところか」
「漢人はとにかく数が多いから、あんまり捕虜にした人数で物をはかるのは良くない気がするけどねー……」
とはいえ、質で明らかに優れているチベット軍が、中国の穀倉と言える成都に迫っていることの重大さを、蒋介石らはきちんと理解していた。ロシア以外の列強各国から、チベットの独立を認め、停戦することを条件とする経済支援を提案されていたこともあり、1929年の夏、ついに中華民国とチベットとの間で平和条約が締結される。ドイツからの大攻勢を必死に捌こうとしていたロシアにこれを何とかするすべはなく、ほぼ全世界を相手にしたロシアの戦いは、いよいよ終焉の時を迎えようとしていた。
ワクチン3回目を打ちました。あまりしんどくないことを期待したいですね。