締めの一手
英露が開戦した時、イランには3つの勢力が存在していた。もともとイランを治めていた親英派、それに対抗する親露派、どちらにもなびきたくない独立派である。以前のべた通り、イランではイギリスの干渉になすすべがない無力な政府に憤り、民衆が蜂起していた。この3勢力が国を割って争っており、親英派が東西を、独立派がテヘラン周辺からカスピ海南岸にかけての地域を、そして残りを親露派が支配している。
とはいえ、ここまではイラン人同士の殺し合いでしかなかったのだが、ロシア戦争が勃発すると状況は一転する。戦争でタガが外れた両国はこの地域に正規兵を投入し、その結果親英派はロシアに蹂躙され、イランから叩き出されることとなった。東側はパキスタンのパンジグル周辺で、西側は旧イラク国内(このときは英国の委任統治領だった)のティグリス川沿いでようやく戦線が膠着し、それでもイギリス側の損害が日に日に拡大していくという状態である。
「イギリスがここで勝ってくれていたら、我々はもっと楽ができたのだがな。ふがいないものだ」
中東派遣軍作戦参謀に任命された石原莞爾は、揚陸地点に向かう輸送船の上でそう独り言ちた。
「無理なものは無理だろう。ロシアからは地続きなのに対して、イギリスからは海を挟んで何千kmも離れているんだぞ?」
そんな彼に、親友の阿南惟幾が話しかける。
「もう少しいうと大体4300kmだな」
「それだけ離れているのなら、ロシアの方が増援も補給もはるかに楽なはずだ。むしろ良く今の線で持ちこたえていると思うよ」
「俺ならもう少しうまくやる。少なくともアバダーンは持たせられた」
石原はイギリス軍への蔑視を隠そうともしなかった。
「……石原さんなら本当にやれそうだから始末に負えないなあ。スエズを通ってハイファから砂漠を突っ切るなんて作戦を立てるやつはかなわんよ」
日本軍は動かせる機甲戦力全てを輸送船に乗せ、当時はイギリス領である地中海沿岸の港町ハイファに揚陸。砂漠を突っ切ってイラク北部に集結し、そこからロシア軍を奇襲的に攻撃してイランとアゼルバイジャンを分断することにしたのである。
「どこぞの貴婦人が陸軍の機械化に熱心だったものでな、せっかくなので今回も使わせてもらうことにした」
「陸軍将兵は鷹司の親子に足を向けて寝られないよな、特に末娘の方」
帝国人造繊維が陸軍の機械化を支えているというのは、今どきの陸軍関係者ならだれもが知っていることだ。天上天下唯我独尊と言った感じの石原でさえも、阿南に次ぐ人物として鷹司信煕・山階耀子兄妹には一目置いている。
「必要なものを必要なときに必要な数だけ用意する。どこで身につけたのか、あのご婦人はどうもそういうことが得意らしい」
「数と言えば、我が軍の兵站を支えるエルフはすさまじい輸送車だよな。性能もさることながら、多少損耗したところですぐに補充が届くあの量産性は本当にありがたい」
この世界の初代エルフは、石川島造船所がジムニーのコンポーネントを使って作るキャブオーバートラックである。2回のマイナーチェンジを経て、エンジンが三菱内燃機製造のユニフロー式ディーゼル「UA4V20D」に換装されており、動力性能はそのままに経済性が向上していた。さらに足回りをウィッシュボーン-横置きリーフ独立懸架からリーフ車軸式懸架に変更しており、ユーザーからクレームがつきがちであった過積載耐性と悪路耐久性を大幅に向上させている。
「なんにせよ、ここまでおぜん立てしてもらえば、負ける方が難しいだろう。どれだけ綺麗に勝つか、犠牲を抑えるかというのが俺の仕事になる」
「大きく出たな」
「そうか?俺じゃなくても、それこそ阿南さんが指揮すれば負けるわけがない戦だぞこれは」
さも当然といった風に石原が言う。
「買いかぶり過ぎだ」
「そんなことはないと思うのだがな……」
「まあいい。石原さんがやれるだけの準備をしたんだ。後は現場が一発ぶちかましてやるさ」
阿南はそう言って苦笑した。
「くしゅん!」
今日は四輪車両開発部の方に顔を出している耀子が、唐突にくしゃみをした。
「……?花粉が舞い始めた?」
「花粉?」
「あ、いや、こっちの話」
まだこの時代には花粉症は一般的なアレルギー疾患ではなく、耀子も別にアレルギーもちではない。
「それはともかく、やっぱりそろそろ大衆車が必要よね……」
「日本も豊かになったとはいえ、まだまだジムニーには手が届かない方が多いですから」
そのジムニーを手掛けた蒔田鉄司が言った。
「ジムニーは『道なき道を行く』という使命がある以上、どうしても四輪駆動と頑丈なラダーフレームが必要です。現状でもここまで簡素化しているのかと感動したくらいですよ」
木村改め鈴木俊三がそう続ける。
「装備面でも華奢なものを採用できないから、今の高級志向な自動車市場では、正直これ以上のシェア拡大は難しいと……ジムニーコンポーネント自体は今も絶好調だから、事業としては収益が出てるけど、ねえ」
「やはり、完成車を売ってこその自動車事業という思いはあります。営業を担当している鈴木商店さんにも申し訳ないですし」
3人は腕を組んでため息をついた。ただ、耀子はどんな車を作るべきかというビジョンが大体出来上がってきている。前世の日本で慣れ親しんだ軽自動車に類するものを作ればいいのだ。ただ、そのためには大型プレス機の追加導入をはじめとする設備投資だったり、軽自動車規格を制定するロビー活動だったりが必要で、とても戦時中の今できることではない。
「……うん、やっぱり我が国にも大衆車は必要だね。T型フォードみたいな「走ルンです」じゃなくて、小さくて安くて本格的な自動車が要る。要求仕様作るから、蒔田さん達でプロジェクトチームを立ち上げて。必要に応じて航空の方から人を引っ張ってもいいよ」
「わかりました」
「精一杯やらせていただきます」
とはいえ、こういう時間のかかるプロジェクトだからこそ、腹をくくって先手を打つ必要がある。耀子は覚悟を決めると、国産大衆車の実現に向けて動き始めることにした。
この世界のジムニーは発売当初四独サスでしたが、色々あって史実通りのリーフリジッドモデルが登場したようです。
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