公爵令嬢のため息、あるいは侯爵夫人の諦観
作者もどうしたらいいのか困っていたりします
年が明けて1929年になったが、日本における銃後の生活は変わらない。
政府は勤労と奉仕を呼びかけ、軽重を問わず工場がフル稼働する。若者が動員されて、工場へ、あるいは戦場へ送られていった。
「はぁ~……」
窓のない休憩室で、山階耀子は伸びていた。戦場から次々と上がってくる不具合報告に対処するため、彼女自らその対処に追われていたのである。
「自分が経営者になってわかるこの気持ち……わが国には圧倒的に技術者が足りないよぉ……」
工場の人間は少し教育すればいくらでも養成できる──正確に言えば、その程度の人間で回せるように工場を作ってある──のだが、不具合対応は最終的に機体の改設計を必要とするため、大卒クラスの人材が必要となる。史実よりましとはいえ、まだまだ高等教育を受けている人間が少ない日本では、重工業界内で大卒の人間を奪い合っていた。当然、必要数が確保できないため、高卒クラスの人間を徹底的に教育して配属する、なんてことも行われている。
「これでもうちはマシな方だって聞きますけどね。空技廠とか、泊まり込むための設備がどんどん充実していっているみたいですよ」
伸びている耀子に、航空技術本部設計課員の伊藤音次郎が声をかけた。
「へぇー、そのうちホテルが開けるようになるんじゃない?日本航空技術ホテル。……娘が喜びそうね」
「中島さんなら案外乗ってくるかもしれませんよ」
「その時にはぜひとも響子を連れて行ってあげたいわ。折角だから義兄一家も誘ってあげたほうがいいかも」
「それはいろんな人たちが心労で倒れてしまうので……まあ、慎重にやられた方がいいと思いますね」
もちろん、ここで耀子が言っている「義兄一家」とは皇族の山階宮家の事である。現在の当主である武彦は日本の皇族で初めて海軍航空隊に所属し、周囲──義妹の耀子を含む──の反対を押し切って北九州防空戦に参戦、1機を共同撃墜し、新聞の1面を飾った。そんな根っからの飛行家である父の背中を見て育ったからか、長男の孝彦も空へのあこがれを強く抱いているらしい。
「そういわれてみればそうかも。家格って、ただ高ければいいってものじゃないのよね~」
「普通のお公家さんに言われたらむかっ腹が立つところですが、思わぬ苦労を強いられているところをたびたび見かける耀子さんにそう言われてしまうと、何も言い返せないですね」
さすがに30年も公爵令嬢や侯爵夫人をしていると、それ相応のふるまいが自然と出るようになっては来たが、逆にそんな行動を咄嗟にする自分に驚いたりもするなど、結局自分の中身は平民なんだなあと思う耀子でもあった。
「……戦争、どうなるかしら」
「勝つのは当然ですけど……どう勝つか、それが問題でしょうね」
伊藤が耀子の隣に座り、耀子も軽く背伸びをした後、背筋をただす。
「日本軍は初期の戦争目標を達成し、次の戦争目標としてチベットの支援に動いている。イギリスもフィンランドを確保してペトログラードに圧力をかけ、首都をモスクワに移転させることはできた」
「ですが、欧州戦線はジリジリと後退し、特に国力に劣るルーマニアは国境線のプルト川を抜かれそうだという話です」
石油の需要が史実より上がっているこの世界では、油田のあるプロイェシュティの発展が史実以上であり、ルーマニア軍の装備自体は史実より充実していた。しかしながら、一次大戦に参戦していなかったため実戦経験に乏しく、対戦車砲などの「必要な装備」が整っていなかったため、独墺と違って初期攻勢すら失敗し、以後防戦一方であった。
「ルーマニアが抜かれると、オーストリアは相当まずいことになるわね」
「ブルガリアをはじめとして、バルカン諸国から義勇兵が出ているほか、ドイツから兵器の供与もされているようです」
「あの状態でも他人の心配ができるなんて、さすが鉄血政策の国ね」
今回の戦争にも必死のやりくりを重ねて参戦したことを知っている耀子は、ドイツの生産力の高さに嘆息した。
「いえ、そのドイツはどうやらイギリスから兵器を供与してもらえるようになったらしくて、玉突き的にルーマニアへ武器を送ることができるようになったということのようです」
「……なんというか、使えるものは何でも使う腹黒紳士らしいわ。で、戦況はそんな感じだけど、これをどう終わらせるかよね」
極東戦線は死んだも同然であるが、肝心の欧州戦線がボロボロである。
「現状で和平しようとすると、少なくともフィンランドを見捨てることになりそうです」
「イギリスならやりかねないのが怖いところね……そんなことしたら我が国で暴動が起きそうだけど」
判官びいきな人間の多い日本では、二線級の装備と独立したばかりで乏しい国力を創意工夫でカバーし、大兵力を擁するロシアをたびたび打ち破っているフィンランドの人気がチベットを抜いて急上昇していた。もし、和平の対価としてフィンランドの独立を承認しないとなった日には、今度こそ日比谷に火が放たれることになりかねない。
「……チベットから進出してウラル以東を制圧してみる?」
「効きはするでしょうけど、効果が出るまでに何年かかりますかね」
ウラル山脈より東は資源こそ豊富なものの、工業力はさほどではない。長期的には有効だろうが、戦争が終わるまでにどれだけかかることか……
「カレリアからモスクワまで打通する?」
「遠すぎません?さすがに補給が追い付きませんし、首都を制圧したところでロシアが止まるとは思えませんよ」
「あとは……結局ちまちまと包囲殲滅を繰り返して野戦軍を撃滅し、ロシアの継戦能力を奪うくらいしかないか」
「『小高砂作戦』を繰り返して、捕虜と死体の山を積み上げるということですか」
高砂作戦とは、この世界の日本が一次大戦で行った戦略的包囲殲滅作戦である。パリ前面に突出したドイツ軍を「高砂族が首を刈るように」機械化歩兵の機動力を活かして南北から分断包囲し、殲滅したもので、包囲殲滅作戦と諸兵科連合攻撃のお手本として、今では各国の戦術教本に記載されていた。日本国内ではこれを題材にした戦時歌謡まで作られ、耀子も歴史の変化を実感したものである。
「そういうこと。あとは、そんな状況がどれだけ起きてくれるか、というところかしらね」
「ロシア軍は面で押すのが得意な集団だと聞きます。どれだけ突出してくれますかね」
「そこよねー……」
ゲームなら、ドイツにある程度引き込んでもらい、後背地に強襲上陸を仕掛けてそのまま分断包囲という選択肢が取れる。しかし、ロシア軍が侵攻してくるその土地にはたくさんの民間人がいて、彼らの身を考えると現実的な方法ではない。
まあ、石原なら……石原莞爾ならきっと何とかしてくれる……と思いながら、自分たちのできることをするため、耀子たちは仕事に戻るのであった。
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