砂上の玉座
明けて1905年2月。ロシア満州軍の命運はもはや風前の灯火であった。
場当たり的な命令を繰り返し、消極的な作戦指揮でロシア政府の失望を買っていたクロパトキンは、汚名返上を賭して挑んだ沙河会戦で総兵力の半数を失う大敗北を喫し、ついにその職務を罷免された。
代わってロシア満州軍総司令官についたのは、猛将として知られるグリッペンベルクである。司令官交代の知らせを受け取ったクロパトキンは
「あんな老害に何ができる!」
と激昂したというが、少なくとも野戦指揮の経験は彼のほうが豊富であり、戦闘意欲も旺盛であった。
とはいえ司令官交代は遅きに失したといえる。沙河会戦の結果、満州における日本とロシアの戦力比は逆転してしまっていた。おまけに撤退の際に重装備を置いてきてしまう部隊が多かったため、砲火力ではもはや勝ち目がなかった。この時の日本軍の火砲のうち、実に1/4以上が鹵獲兵器だったというから、自分たちの兵器に焼かれるロシア兵たちの気持ちは察するに余りあるだろう。
さらにタイミングも悪かった。クロパトキンがグリッペンベルクと交代するちょうどその時期に、日本軍は進撃を再開、奉天からシベリアへの退路を遮断するべく包囲環を形成し始めていたのである。これは別に狙って行われていたものではなく、補給を受け、鹵獲品を整理し、大量のロシア兵捕虜を後送し終わったタイミングが、たまたま司令官交代時の空白期間に重なったということであった。
「コサック騎兵を使って日本軍の後方を脅かせ。奴らの足を止めさせるんだ」
初動で何もできなかったグリッペンベルクは急遽ミシチェンコ中将に騎兵4個師団を与え、これをもって日本の補給線を攻撃。そうして時間を稼ぐ間に戦力を整えて逆襲するつもりでいた。
しかし、この試みも、秋山好古少将率いる秋山支隊の活躍で失敗に終わる。彼は日本軍後方へ迂回突破を図るミシチェンコ軍団を偵察によって発見し、遅延戦闘を展開した。
「でかい馬に乗ってるからっていい気になりやがって!」
「こちとらてめえらをぶっ殺すために死ぬ気で訓練してきたんだ!」
数の差はいかんともしがたいものがあったが、ミシチェンコは秋山支隊が粘る間に続々と到着する日本軍増援を目にして作戦は失敗と考え、あっさりと撤退する。これは秋山支隊が頑強に抵抗したというのもあったが、ロシア軍のコサック騎兵は馬も装備もすべて自腹であり、士気に欠けていたことも原因であったとされる。
何とか退路だけでも確保しようとロシア満州軍は奮闘するが、総司令部指揮下にある将軍間の連絡がうまくいかなかったこともあり反撃は散発的なものにとどまってしまう。そもそも兵力でも火力でもロシア側が劣位であったというのもあって、日本軍はロシア満州軍の退路を遮断することに成功した。
グリッペンベルクは事ここに至っても徹底抗戦を志向。戦線を縮小してでも火力密度を高め、かくなるうえは市街戦をもって日本軍に出血を強いることを決断する。
「なるほど、奉天の露軍はあくまで抵抗するというのだな」
「常識的な判断だと思います。表面だけ見れば、時間は彼の国の味方……そのはずですから」
明治天皇に乗馬に連れ出された鷹司煕通中佐は、奉天市街に引きこもった露軍をそう評価した。歩兵でありながら乗馬を得意とし、家でも名馬を飼育するほどの馬好きである煕通は、同じく乗馬を趣味とする明治天皇と"ウマが合い"、こうして一緒に乗馬を楽しむ仲になっていた。
「だが、かの国は現在乱れておる。人心は荒廃し、重税が課され、男手は遠い極東へ連れていかれ……二度と帰ってこない」
「彼らは砂上の楼閣に住んでいるようなものです……いつ崩れるかわからない玉座の上でもふんぞり返っていられるその度胸は見事だと感心いたします」
ロシアでは長い事国民の権利が制限され、支配者層への不満が鬱積していた。その不満は暴力となって各地で噴出し、1903年にはロシア軍の1/3が、こうした不満の「鎮圧活動」に投入されたという。政府高官の暗殺も相次ぎ、内務大臣に至っては1902年と1904年の2回も"大臣死亡"のため交代している。
「王というのは難儀な商売でな鷹司よ。例えその首に刃が迫ろうとも、最期まで毅然とした態度でふるまわねばならぬ。そうでなければ、付き従ってくれた臣下に申し訳が立たないからな」
「……実のところ、最近かの国では、民心が皇帝から離れておりまして……」
ロシアの内政ががたがたである原因の一端は明石元二郎大佐に命じて各種スパイ工作を実施している日本にもある。彼はフィンランドやポーランドの独立派に対して資金や武器を融通し、サボタージュや破壊工作などを行わせ、ロシア国内を混乱させていた。
ロシアにとってさらに不幸だったのは、日本軍が沙河会戦に大勝したことで「血の日曜日」の発生が史実より3か月早まったことだ。憲法制定会議の召集、労働者の諸権利の保障、日露戦争の中止、各種の自由権の確立などを求めた平和的なデモ行進に対し、皇帝は武力弾圧で持って応じたのである。「それでも皇帝なら……皇帝なら何とかしてくれる!」と期待していた国民の忠誠は崩壊。各地でストライキが勃発し、支配者層とそれに加担するものが暗殺される「ロシア第一革命」が始まった。
「報告を聞いたときは、なんとむごいことをするものだと思ったわ。ああはなりたくないものだな」
「全面的に同意いたします……そういうわけですから、話を戻しますけれども、奉天で持久戦をするというロシア軍の決断は、むしろ講和会議を不利にする悪手であると愚考いたします」
「うむ……そうなれば鷹司よ。そちならばこの戦争、どう終わらせる?」
歴史が、決定的に動いた瞬間であった。
どうして日本の話を書いているのにロシアの内政の話を書かないといけないんだ……?




