空の守り
この話を書いているとき、今更ながらロールスロイスが2ストの航空エンジンを試作していたことを知りました。帝国人造繊維のエンジンも、あの領域まで到達するかも……?その前に話が完結しそうな気もしますが。
日露の緊張が高まる中、制空第6連隊の加藤建夫は、最近受領した新型機で領空の哨戒を行っていた。
(八七戦はすごぶる良い機体だ。あいかわらず胴体が細すぎて操縦席が窮屈だが、八年式の横転の速さはそのままに速度がすこぶる向上している)
彼の駆る八七式戦闘機は日本航空技術廠が"白鷺"と同時期に開発し、川崎航空機が生産する最新鋭戦闘機である。歴代の帝国人造繊維開発機にあやかって"長元坊"という公式愛称がつけられていたが、この時期はもっぱら"八七戦"と呼ばれていた。
日本航空技術廠 八七式戦闘機1型甲 "長元坊"
機体構造:低翼単葉、引込脚
胴体:PBT系GFRPセミモノコック
翼:テーパー翼、PBT系GFRPセミモノコック
フラップ:鷹司=奈良原フラップ(ファウラーフラップ)
乗員:1
全長:8.0 m
翼幅:10.0 m
乾燥重量:1200 kg
全備重量:1800 kg
動力:帝国人造繊維 "C222B" ターンフロー式強制掃気2ストローク空冷星型複列18気筒 ×1
離昇出力:950hp
公称出力:850hp
最大速度:510 km/h
航続距離:1850 km
実用上昇限度: 9500 m
武装:八年式航空機銃×4(機首固定×2、翼内固定×2)
史実の隼を一回り小さくした様な機体である。"白鷺"とは異なり、GFRPの母材樹脂は東洋レーヨンがライセンス生産する熱可塑性樹脂であるものの、難燃剤が配合されていて耐火性には配慮されている。また、航続距離延長のために機体各所に詰め込まれた燃料タンクは"白鷺"同様20mmのニトリルゴムで被覆されており、防弾性も考慮されていた。そして、史実前倒しで採用された引込脚と合わせて、わずか──と言ってもこの当時では十分すぎるほどの大馬力エンジンであるが──公称850hpのエンジンで最高速度500km/hの大台を達成したのである。
(露助が本当に戦争する気なのかどうかわからんが、もしもう一度日露戦争をする気ならば朝鮮から爆撃機を飛ばしてくるだろう。八七戦の量産が間に合って本当に良かった)
数々の新機軸を盛り込みつつもこの機体は取り立てて問題が発生していない。なぜかと言えば、話は八年式戦闘機が制式化された後の1920年にさかのぼる。
「雪鷺の高性能をみよ!速力も火力も申し分がない」
「それに比べて八年式戦の情けないことと言ったら。速度は雪鷺とほとんど変わらないし、爆装できない分使い勝手も悪い」
このとおり、雪鷺の性能があまりにも当時としてはずば抜けていたため、主に陸軍航空隊を中心として戦闘機不要論が巻き起こっていた。
「なあ耀子、あの馬鹿どもどうにかならんのか」
「彼らにつける薬は一から作らないと無いんですよ……」
未来のエースを育成するべく日々奮闘している山階宮武彦は、機材を融通してくれる義妹と深刻な顔をして悩んでいた。
「空気抵抗は速度の二乗に比例します。速度が上がれば上がるほど、前面投影面積が大きい双発機は不利になっていくのですが、今くらい『低速』では、馬力が稼ぎやすい分双発でも単発機と遜色ない速度が出てしまうんですよね」
史実の日本で戦闘機不要論が本格化するきっかけとなった九六陸攻の速度レンジも、雪鷺と同じ大体300km台である。零式艦戦、一式陸攻の世代になると、前者は500km/hの大台に乗るが、後者は改良を重ねてエンジン出力を上げても、400km/h後半がせいぜいであり、これによって戦闘機不要論は急速に淘汰されることになった。
「そうなると、もっと飛行機が発達して、全体的に速くなれば奴らも目を覚ますだろうということか。幸い、日本の周辺は平和なようだが、パイロットの育成は長い目で見なければいけない。すでに爆撃機のパイロットができる者でも、戦闘機に乗れるようになるにはある程度の時間がかかるだろう。今の状況が、将来戦闘機パイロットの不足、ひいては制空力の不足として日本の国防に悪影響を与えなければいいのだが」
武彦の懸念は史実の日本だと実際起きてしまったものである。少し情報を与えただけでそれ以上の回答をよこす義兄に、内心敵わないなあと思いながら耀子は返答する。
「仰る通りでございます。ただ、急いては事を仕損じますので、地道に技術開発を進めていきつつ、制空権の大切さを教育していただく、と言うのが結局最良の"処方箋"でしょう……」
耀子はため息をつきつつ、このタイミングで静岡に工業団地を建て始めてしまったことを若干後悔した。
一方の日本航空技術廠もただ黙っていられるわけではなかった。
「やはり、冒険しないと諸外国には勝てても帝国人造繊維には勝てない……技術と経験を積んで、世界でも国内でも戦える機体を作れるようにならなければ」
中島知久平率いる日本航空技術廠の設計陣は発奮し、速度向上のためのありとあらゆる手段を研究し始める。
「まずは速度と火力で双発機を圧倒できればいい。運動性について考えるのはそれからだ」
日本航空技術廠では八年式戦闘機を改造しては様々な速力向上案を試し、得られた知見をもとに八年式戦闘機を改良しつつ、次期戦闘機の設計を進めていった。この中で彼らは、史実の中島飛行機にみられる設計手法を獲得していっている。
「しかし、なかなか雪鷺を圧倒できないな。こっちが必死に改良を重ねても、それは向こうも同じだから、なかなか速力差を広げられない」
「テイジンのA100は小さすぎる。確かに発動機は小さい方が空気抵抗が小さくできてありがたいんだが、あれはやりすぎだ」
排気量が小さく、シリンダー配置が星型複列10気筒であるA100系エンジンは、同出力帯の液冷V型エンジンとも張り合えるくらい直径が小さい。当時の帝国人造繊維が、大阪砲兵工廠が、豊田式織機が製造できる限界の大きさがその程度であったというわけでもあり、より技術力の向上した今となっては小型化が行き過ぎているともいえた。
「手持ちのエンジンが、少なすぎる……」
「寿はそのままだと頭でっかちになりすぎるし、神風は性能が低すぎるからなあ」
この世界の寿は今のところ、ほぼブリストルジュピターそのままのライセンス生産品である。このエンジンはネイピアや帝国人造繊維と言った"2スト勢"に対抗するため、戦前のOHVエンジンでありながら1気筒当たり4バルブを(実は史実通り)実現したブリストル渾身の4ストエンジンであり、日本航空技術廠がライセンスを取得したのも、4ストエンジンの技術を英国から導入するためであった。世界的に航空関連技術が進んでいることもあり、性能としてはむしろ史実のペガサスエンジンに近い。ただし、ストロークが190mmもある関係で直径1.4m以上の超大型航空エンジンと化しており、史実のマーキュリーのようにストロークを短縮するなどして小径化しないと、戦闘機に積むには大直径過ぎた。
「じゃあ外国から輸入するか?ネイピアのライオンとか」
「あれ液冷だろ?空冷発動機に慣れている我が軍の整備士に対応できるのか?」
なかなかしっくりくるエンジンが見つからないところで、帝国人造繊維から、当時開発中だった新型エンジン「C系」の売り込みがあった。これ幸いとこのエンジンを載せるように、6年かけてじっくり設計し不具合をつぶしてきた"次期戦闘機"の図面を書きなおしたのが、冒頭で登場した八七式戦闘機なのである。
「露助の戦闘機は400km/hがいいとこで、爆撃機に至っては300km/hにも届かないらしい。攻撃する時は、間違えて追い越さないように注意しないとな」
加藤の駆る小さな猛禽は、2スト特有の乾いた快音を響かせながら、大空を気持ちよさそうに飛んでいった。
史実では300km/h台で戦闘機の速度がうろちょろしているときに最高速度500km/h級の戦闘機を投入する暴挙。当然、他国の航空エンジン開発も史実より加速してはいますが……




