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秩序を穿つ

 三日なんてあっという間に過ぎる。七十二時間の内十八時間は寝ていたので、実質二日と少し。一日が三十時間くらいあればいいのに。


 私は目覚めると一つ、大きく伸びをした。今日でユトとはさようなら。もう二度と会うことはないだろう。髪を梳かし、顔を洗う。召使いの服に袖を通し、手鏡を覗く。三度まばたきをして確認したが、顔色は悪くない。大丈夫、鏡の中の私はとても良い目をしている。


 しばらくしてユトがむくりと起きる。眠そうに「おわよう」と言うから「おはよう」と返した。彼女が今日着替えるのはお嬢様が用意してくれた服だ。この屋敷の召使いの服で行くわけにも行かないが、ユトは余所行きの服を持っていなかった。ゼシルの時は何も無かったというのに良い待遇だ。お嬢様に気に入られていただけある。平民用の素朴な物だが腕の良い仕立て屋が作ったのだとすぐ分かる。生地もしっかりしているし、縫い目は早々ほつれないだろう。

 彼女の荷物は一つの鞄に既にまとめられている。後は皆に挨拶をして、時間になったら出るだけだった。人気者の彼女の出発は大勢に見守られることとなるだろう。しかしそんな日でも仕事はあるもので、時間が来るまではいつも通り。


 廊下を歩いていると、珍しくグラムラウトとすれ違った。



「…………」


「…………」



 お嬢様が旦那様とお食事を取っている。仲睦まじい美男美女はナイフとフォークを扱っているだけでも彫刻品のよう。私には二本の細い茨のツルが互いに絡み合っているように見える。共依存した脆い悪魔だ。二人はとても静かに食べる。マナーがカンペキなのはもちろんのこと、会話がないのだ。磁石のように離しても引っ付く二人はおしゃべりも好きだが、食事だけは例外である。


 お皿を片付けに厨房へ行ったついでに、一角を貸して貰えるように頼んだ。クッキーを作るのだ。ユトが後で食べられるように。快く了承してもらえ、いつもユトが秘密のお茶会用にお菓子を作っていたところへ案内される。窓から青い空が見える。白雲がのろのろ流れていく。暖かくて過ごしやすい日になるだろう。空気は少し乾燥している。

 高く鳥が飛んでいた。一見普通の鳥に見えるが、私と密偵隊を繋ぐ連絡用の個体だ。随分お世話になった。折角来てもらっても報告書を持たせてやれないこともぼちぼちで、色々苦労をかけたものだ。三人部屋なのであまりかまってやれなかったが、ナッツでもあげれば良かった。鳥番には嫌がられるだろうが、それくらいのお礼はしたい。


 廊下の床を磨いていると、潜入初日を思い出す。ユトが気合を入れて教えてくれた。手だけ使っていてはダメなのだとか。腰を使ってしっかり力を入れる。汚れた水は横着せずこまめに取り替えて、隅っこの隅っこまでしっかり拭く。初めて屋敷の中を見た時、塵一つない素晴らしい掃除に感心したが、ユトをはじめとする、この屋敷を大事に思う召使い達の熱心な仕事の賜物だったのだろう。

 あの時はただの情報源としか思っていなかった彼女のことをこんなに大切だと思う日が来るとは思わなかった。今では私がこの屋敷で二番目に床磨きが上手い。



 影が最も短い正午。次第に玄関に人が集まっていく。もう時間か。部屋に戻るとユトが待っていた。鞄を足元に置いて、ベッドに腰掛けている。私も隣に座った。いつも夜、寝る前に話したように。ゼシルはすぐ背を向けてすぐ寝ようとするので、話が盛り上がると舌打ちをされた。うるさくしてごめんと思う一方、止めることはできず。ユトがわざと声のボリュームを上げてゼシルと喧嘩になったこともあった。その時は、流石に隣の部屋からもうるさいと苦情が来たけれど。でも昨日で終わり。

 さぁ、

 最後に贅沢なお喋りをしよう。

 皆がユトを待っているのに、私が彼女を独占している。悪いことだ、でも許してほしい。



「ユト、その服似合っているよ」


「ありがとうエミュー。すごく良い服だよね。弟たちにもいつかこんな服を着せてあげられる日が来るように、私これからも頑張るから」


「うん」


「私がいなくなったらエミューが床磨きナンバーワンなんだからね。ちゃんと後から来た子に伝授してね」


「うん」


「これからは秘密のお茶会のお菓子はエミューが作ると思うけど、砂糖は使いすぎちゃダメだよ。厨房の皆は許してくれるけど、旦那様にバレちゃう」


「うん」


「配膳の当番もゼシルと私が抜けたらエミューの回数が多くなるよね。旦那様達がお食事の最中は私語厳禁。絶対だよ、じゃないとメイド長が後からうるさいの」


「うん」


「…………それから、グラムラウトさんのことよろしくね。あーあ、結局一回も食べてもらえなかった! 一回もだよ? 一口くらいいいじゃんね」


「うん」


「エミュー、離れていてもずっと友達でいてね。私、貴方に会えて良かったよ」


「……うん」



 時計の針が進む。「もう行かないと」。そう言って立ち上がったユトの服の裾を掴んだ。彼女はちょっと困った顔をして、手を差し出してくれるのだ。「一緒に皆のところまで行こっか」と。どこまでも優しい人。その手を取って立ち上がる。



「あのねユト。私も貴方に会えて良かった。毎日がすごく楽しくて幸せだったの」



 空いている手をポケットに突っ込んで話を続ける。彼女のヘイゼルの目に映る私の目は真っ直ぐだった。良かった、今初めて本音で貴方と話している。初めて、『エリュシュカ』として貴方と向き合っているんだ。



「貴方の友達だと胸を張って言える人間に生まれ変わりたい。だからその為に、今ある全てを賭けるよ」


「……エミュー? どうし……むぐ!?」



 私はポケットから素早く取り出したハンカチでユトの鼻を抑える。帝国の秘密研究室の特注麻酔薬を染み込ませてある。少々、強力すぎて害のあるものではあるが仕方ない。じたばたしていたユトはすぐにだらんと手足の力が抜けて動かなくなった。上手く気絶してくれた。彼女のポケットにそっとクッキーを入れてやる。お詫びだ。起きた時、食べてくれてら良いな。


 私は密偵隊。隠密に行動すべきであって、問題を起こすの言語道断。大義の為には時に少数を見殺すことも必要で、決して個人の思いを外に出してはいけない。……今全て破った掟だ。

 国の平和の為に首を落とされたあの子とは比べ物にもならないほど落ちこぼれ、いいや、ここまで来るともはや密偵隊の裏切り者だな。国益を損なう反逆者だ。


 深呼吸する。



「始めよう。あの子みたいに器用に何でもはこなせないけれど、私はあの子に出来なかったことを成し遂げるんだ」



 私がそう呟いた時、屋敷のどこかで爆発音が鳴り響いた。

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