堕獄を笑う
「お世話になりました」
あの後、何を話しかけてもゼシルが答えることは無かった。小さなトランクを持って旦那様とお嬢様に頭を下げる姿を、私は掃除の手を止め、ただ遠目に見ている。彼女の為にできることは何も無かった。嫌われていたから、他の召使い達が泣いてお別れを言いに来てくれるでもない。メイド長に押され歩いていく背中はあまりにも孤独だった。
私も最後まで見送ることはしなかった。周りから見て私はいじめられっ子だったのだから、そこまでするのは不自然だ。
──私はこれから絶対に証拠を掴む。その為に来たの。だから……──
「だから……の先は、なんて言うべきだったのかな」
何を言っても無駄だったろう。今日消えるゼシルの運命を変えることは不可能だったのだから。彼女だって私の言葉を必要としていなかったはずだ。いや、必要としていないどころか逆鱗に触れるかもしれない。昨晩わざわざ私に怒りをぶつけに来たくらいだ。もしここが人身売買のない普通の屋敷だったとしても、ゼシルと私の仲は悪かっただろう。
しかしゼシルのおかげで気付けたことがある。昨晩のやりとりで私が得たのは精神ダメージだけではない。
ゼシルは人身売買と並べてキーワードに『地下室』と言った。
ならば私は何としてでも早急にそれを見つけなくてはならない。呆気に取られて流してしまったが、彼女は私の知らない情報を持っていたのだ。もう終わらせよう。ゼシルのことで少しでも胸を痛めたなら、尚更に。
何の為に地下に隠し部屋があるのか? と言えば、まず間違いなく闇商売のあれこれを隠す為だろう。売買記録や顧客リストが管理されている可能性が高い。
問題は、その入口がどこにあり、どうやって侵入するかということ。
まず確認すると、この屋敷は横に広い二階建てである。一階には食堂や物置状態の部屋、使用人達の寝室など。二階には旦那様とお嬢様の部屋、執務室、メイド長の部屋も。もし屋敷の中に隠し階段があるとする時怪しい部屋はほぼ二階にあるのだ。食堂はほぼ常に人の目があるし、物置部屋に旦那様お嬢様がよく行っていたら不審……まして使用人室はない。
よくある隠し扉の目印としてはズレのある本棚や壁の模様に紛れたスイッチなどが挙げられる。
一応のこと、二日も使って一階の部屋を捜索したがそれらしいものは見当たらなかった。当然だ、こんな誰でも入れる部屋で偶発的に地下室への入口を見つけられたら困るだろうから。
ならやはりお嬢様や旦那様の部屋だろうか? 基本的にこの二部屋はメイド長が掃除しているし、身の回りの世話もユトのように気に入られた召使いしか出来ない。しかし二階……。
「あっ、エミュー」
ドキッと心臓が口から飛び出そうになった。ユトが手をひらひら振ってとたとた近付いてくる。考え事をしている時に話しかけないでほしい。私が笑って「どうしたの?」と返せば、彼女は照れくさそうにした。そしてそっと耳元で囁いてくる。
「あのねあのね、エミューに一番に言いたくて来たんだけどね」
「うん」
良い事があったのかな? 今日の彼女は庭の掃除当番だったはずだから、可愛い花を見つけたのかもしれない。いやグラムラウトを見かけたのか? もしくはコックにおやつを分けてもらったか、夕飯の献立が好物だったか……。
ともかく、廊下を走っていたらメイド長に怒られるだろうに。カンカンになって説教するメイド長の姿が目に浮かんだ。ユトは可愛くて良い子だが、少々お転婆だからよく小言を言われる。同じように叱られるといっても、ゼシルと違ってメイド長や皆に好かれているから優しいものだが。それでも止めに入ってあげなくちゃ、一度小言を言い始めると長いのがメイド長の困り所だ。
「私、別のお屋敷に移ることになったの!」
ビシッとガラスが割れるような鋭い音で作り笑顔に亀裂が入る。
「こないだのお茶会でね、私を是非雇いたいって言ってくれる人がいたんだって! お嬢様やエミューと離れるのは辛いけど、お給料も上がって、今よりもっと弟たちに仕送りしてあげられるだろうって!
まぁ、これよくあることなんだ。お嬢様は私たちみたいな人間を救ってくださるけど、部屋には限りがあるでしょ? だから皆こうやって巣立って行くんだけど……ゼシルと一緒のタイミングってなんかヤダなぁ。どうせならエミューと一緒に行きたかったな」
「……………………」
「三日後にここを離れるの。だからそれまで、夜とかいっぱいお話しよう! お嬢様がまた秘密のお茶会も最後に開いてくれるって言うの、私これまででいっちばん美味しいお菓子作るから!」
「そっか」
私は笑った。「寂しくなるなぁ」とか「お菓子楽しみにしてるね」とか。必死に口角を上げて取り繕った。友人の幸せを祝うように、明るい未来を想像して。三日後か、早いな。メイド長も最後の粗相くらいは大目に見てくれるのではないだろうか。いや、あの人は真面目だからむしろ「他所へマナーのなっていない子をいかせるわけには」と言うか。
今晩は何を話そう。二人きりの部屋だから多少声が大きくても大丈夫、笑っても隣の部屋の子達は許してくれる。お茶会楽しみだな。ユトは何作っても美味しいから。クッキーやパイも良いけれど、蜂蜜たっぷりのブリオッシュもまた食べたいな。ねぇ、それで良いんだよね。
笑え。
泣くな、泣くな、泣くな泣くな泣くな。
「…………エミュー?」
ユトはヘイゼルの瞳を不思議そうにぱちぱちした。暖かくて優しい色、太陽の下の草原みたい。曇りのない光が眩しくて、私は彼女に縋り付くのだ。まるで蛾のように。
私はユトを骨が軋むほど強く抱き締めた。
「ユト!!」
「わわわっどうしたの? 私が居なくなるから寂しい?」
「あのねユト、あのね……!!」
「うん?」
貴方は騙されていて、これから売られる。召使いなんていうのは名ばかりの奉仕をさせられて、消耗品として捨てられていくんだよ。給料なんて勿論出ない、今だって貴方の弟たちには一銭も届けられていないって知っている? 違法な売買だから、これから先貴方の行方は誰も分からないことになり、誰も守ってくれない。きっと適当に夜逃げとか病死したことになって、二度と太陽の下を歩けなくなる。事実上貴方はこれから死ぬんだよ。
「………………遠くへ行っても、頑張ってね………………」
「……うん、ありがとうエミュー。泣かないで、一生会えなくなるわけじゃないんだから。文通とかしようよ、ね?」
私は抱きついたまま頷いた。ぽんぽんと背中を叩いて慰められて、その度に心が硬くなっていく。真実は告げない。教えて何になる、ただこの三日間を地獄に変えるだけじゃないか。逃げろなんて無責任なことは口が裂けても言えない。
こんなだからゼシルは私を罵ったのだ。私は彼女の友達に相応しくない。
私たちは随分長いことそうして抱き合っていた。仕事が滞っていることを不審を思ったメイド長が探しに来るくらいだ。
二人揃って説教を受けた。メイド長は長く持ち場を離れていたユトより私を気にしている様子だった。私は何も知らないフリをする。ただ友達と離れ離れになることを悲しむ少女だ。メイド長もカマをかけるようなマネは出来まい。
本当はもっと一緒にいたかったけれど、「ちゃんと仕事をこなしなさい」と離されてしまった。罰で今日の夕飯が減らされなければ良い。ユトは食べることが好きだ。頬張る姿が可愛い。
「る、らら、るら」
持ち場は一階廊下だったが、踵を返し階段を登った。鼻歌を歌いながら。