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猛悪な夜

 密偵隊に入るより昔のことはよく覚えていない。はっきり分かるのは、劣等感や満たされなさといった悪い気持ちばかりで、両親の顔も住んでいた町の名前も朧げだ。密偵隊だけが私の居場所だったから、そこで認められて満たされたかった。

 必要とされたいと思うこと、きっと至極当然に誰もが願うことだ。問題は、密偵隊の方が普通とはかけ離れた世界だったこと。個を消し駒になることを望まれる環境で特別になることを願うのが、どれだけ愚かなことか。理解したつもりで、ちっとも分かっていなかった。


 私が死んだヒヨコの目という比喩を最初に聞いた時、矛盾は感じなかった。むしろ胸にストンと落ち着く言葉だったように思う。

 それは澄んだ光のことをいう。遠い遠い何かを見ているようで、実は何も映していない不思議な瞳の。


 日も変わる真夜中、一人起き上がり手鏡を覗き込む。私が映っている。夜闇は薄いカーテンの様に顔を暗く覆っていたが、朧月のようにぼんやりと二つの光が浮かんでいた。



「そうだ、かつての私も同じ目をしていた」



 昔の私は人を殺したことがあるのだろうか? 今の私も同じ目をしている。良くないことだ、エミューはこんな顔しない。

 私はベッドから足を下ろすと靴を履き、音を立てないようにそっと歩く。今日はお茶会の後も片付けで大忙しだったからユトは起きないだろう。少し夜風に当たってきたい。

 屋敷の表口は私では開けられない鍵がかかっている。厨房にある裏口に回った。外には警備がいるだろうか……私はそんなことを思いながら鍵を開ける。ドアの隙間から流れ込んだ風は冷たい。


 空には銀の星が煌めいている。屋根に寝そべって見れたら、きっと楽しい。私は何も言わず壁に背中を預けて前を向いた。風にあおられて、髪が顔にかかり時々視界を悪くする。いっそ何も見えなくなればいいのに。


 乱れた髪を手櫛で解いて押さえているとガチャリとドアが開いた。外の見回りがやってきたならともかく……中から来るとは。そこに立っていたのは予想していなかった人物だ。私は目を丸くする。



「…………ゼシル?」


「うわ、風つっよ……」



 彼女は私の声を無視した。ドアに寄りかかって耳に髪を掛ける。困った、そこに居られると私は中に戻れない。私は自然に微笑んで話しかけることにした。本当は一人になりたかったのに、ゼシルは何しにきたのだろう。



「起こしちゃった? ごめんね」


「元から寝てなかっただけ」


「そうなの? 今日大変だったのになんで寝てなかったの?」


「……………………あんたと話すためよ」



 ギロリと睨まれる。親の仇でも見るような目だった。息をするのも忘れてしまったその一瞬、油断していた私は胸ぐらを掴まれ引き寄せられる。



「ブス、あんた気付いてるんでしょ。全部」


「痛っ……急に何? 何の話?」


「人身売買、地下室……これ聞いてまだシラを切れる?」


「……は?」



 何故ゼシルが人身売買を知っている。いや、待て。例えゼシルが何らかの理由でそれに勘づけたとして……私が知っていることにまで気付くのはおかしい。ハッタリかもしれない。ヘタに認めるわけにはいかない、昼間用意周到な隊長が連れ出した時と違って今は周りに誰がいるかわからないのだから。

 私は困惑したフリを続けるつもりだった。



「何が『気持ちは伝わる』なのさ、何が『恋は叶う』って? そんなことを言った口でよく友達なんて言葉を吐けたわ」



 つもりだったのに。

 気付いたら、ゼシルの胸ぐらを掴み返していた。行動に遅れて感情が追いつく。

 ──私は正論を言われて悔しくなったのだ。ゼシルは至極真っ当なことを言っている。手を離さなければならないのに、まるで布と皮膚が縫い付けられたように動かない。ただ顔を真っ赤にして、言葉にならない音を口から漏らし手に力が籠るだけ。そしてそんな自分がまた恥ずかしくて舌を噛み切りそうだ。



「逆上? どこまでみっともないの」


「お願いだから何も言わないで」


「あんたって相当性格悪いよね。そんなに良いように見られたかったんだ。いっつも健気なフリしてさぁ」


「……やめてよ、分かっているから」


「本当に友達だと思ったんなら、ユトのことが大事だと思ったんなら止めなさいよ!!」


「それができたら、こんなに悩んでない!!」



 ゼシルは私を思いっきり突き飛ばす。


 どんっと受け身も取れず尻もちを着いた。起き上がろうとすると彼女は馬乗りになった。「離してよ!」と暴れた私の手首を捕まえて捻る。

 痛い。かーっと血が上った頭で頭突きしてやろうかと思ったが、真ん前に迫る彼女の顔を見てはっと熱が冷めた。



「…………あたしだって、ずっと知ってた」



 だって、彼女は今にも泣きそうだったから。



「兄貴が一年前にここに拾われた。けど仕送りも一度も来なかったし、手紙の一通さえも返ってこなかった。あんなに家族思いだった人が何の連絡も寄越さないなんてあるはずない」



 脳まで刺さる視線は今にも私の眼球を潰してしまいそうだ。ゼシルの目が微かな月明かりを受けて光る──死んだヒヨコの目になった。

 夜風で冷めた体に熱い血が巡る。掴まれた腕からゼシルの脈を感じる。どうして彼女が?



「兄貴の行方を調べるためにここに来た。それで、兄貴と仲が良かったっていう使用人から手紙をもらったんだ」


「手、紙……?」


「何がきっかけだったかなんて分かんないけど兄貴は直前で自分が売られることに気付いた。けれどその時点では止めようもなくて……当時仲の良かった使用人に真実を書いた手紙を託したのよ」


「…………」


「そのメイドもあたしが来てすぐいなくなった」



 ────ついに大粒の涙が落ちてきた。雨のように次から次へ、ゼシルの目から降って私の顔を濡らす。いつもいじわるな彼女の泣き顔なんて想像したこともない。恐らく、彼女の言葉に嘘はないのだろう。

 しばしの戸惑い、しかしゆっくり考えれば、これまでのゼシルの言動と今の発言が一致してくるのだ。


 涙と共に彼女の感情が染み込んでくる。

 悔恨、絶望、そして自己嫌悪。それらは、真実を知ってなお何も出来ないことへの嘆きだ。無力であることがどれだけ罪深いか、責めてくれる人すらない。売られると分かっていて仲良くするのは辛い。いっそ嫌われていたなら楽だろうか。なんて。


 私まで泣きたくなってきた。



「…………あんたがどこで気付いたかなんて興味無いし聞く気もない。ただ、あんた見てると腹が立って仕方ないのよ、私を見てるみたいで! 知っているくせに止めることも出来ないで、自分の傷を最小にする為に相手を犠牲にする…………!」


「…………ごめん……」



 きっと彼女は、誰にも近寄ってきてほしくなかった。そうすることで自分を守った。素行が悪ければ早々買い手は付かないし、ある意味この屋敷で生き残るためにゼシルは一番賢かったのだ。



「…………結局傍観者は加害者と変わらないのよ」



「あんたもあたしも人殺し」ゼシルは細い声でそう言うと私の上から退いた。自由になったはずの上半身は起こせなかった。ゼシルの代わりに彼女の言葉が私の上にのしかかっているのだ。

 否定したかったが、出来なかった。実際に何人も見殺しにしてきた女の台詞はあまりに重い。

 心に瀕死の重傷を受けながらようやく立ち上がった頃にはゼシルは裏口のドアノブを掴んでいた。話は済んだらしい。私はその背を「待って」と呼び止める。ゼシルは私を振り返らない。それでも意を決して、口を開く。



「私はこれから絶対に証拠を掴む。その為に来たの。だから……」


「あっそ。適当に頑張って。心底どうでもいいわ」



 ゼシルはもう待たない。ノブを回し、暗い厨房の闇へその身を溶かしていく。ガチャンと閉まった一枚板の向こう。私は次の言葉に耳を疑った。



「だってあたしの番、今日だし」

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