咎めと青
ある日、お茶会があった。月に一度、旦那様主賓で様々な方を招いているらしい。朝から召使いは大忙しで準備をする。いつもより早く起きて、念入りに掃除して、この屋敷で働くことに誇りを持って動く。
前日ゼシルに足を引っ掛けられ転んだので私は顔に擦り傷を作ってしまった。ユトは上手く彼女を回避したらしくピンピンしている。曰く、ゼシルが出てくる角は大体決まっているので慣れれば予測出来るとのこと。
昼頃から続々と人がやってきて火の車。皆手際良く場を回していく。
お嬢様のドレスは主賓らしく美しく、しかし派手過ぎない品の良いものだった。フリルやレースがふんだんに使われているのにそう感じるのは、彼女が着るとそれら全てが蝶の羽のように儚く見えるからだろう。旦那様も特注衣装に身を包み、絵画から飛び出してきたような美男美女兄妹がそこにいる。
やはり旦那様は当主としては若いようで、ご来賓の方々と比べると一年代くらいは違うように思える。……というか、来賓に若い人が少ないのだ。
夫人はいるが令嬢の姿は見えない。今回はそういう茶会なのだろうか……?
「こんにちは、ここのメイドさんですよね」
茶髪の少年に話しかけられた。服装からして、どこかの付き添いで来た召使いだろうか。青い瞳をこちらを向けている。私は焼きたてのスコーンをテーブルに置いてから答える。
「はい、どうかなさいましたか?」
「随分のんびりしてらっしゃいますね」
「はい?」
……一瞬、何のことを言われているのか分からなかった。こんな見ず知らずの少年に指摘される筋合いはないし、私の仕事は完璧に近いものだ。そもそもこの少年は自分の主から離れるなんて、何を…………。
───────いや待て。
次の一秒で全細胞を震わせて理解する。違う、この少年は、茶会での私の動きを言っているのではないのだ。上手く返事をしようとしたが、言葉が喉につっかえて息も吐き出せない。冷や汗が背筋を伝い、周りが全てゆっくり動くように感じる。
「それだけ暇そうなら、お喋りする時間もありそうですね。ちょっと抜け出しませんか」
「えっ……あっ」
手を掴まれ強引に連れ出されて、会場からぐんぐん遠ざかっていく。反射的に腕を引っ込めようとしたが、骨を握りつぶしそうな握力相手には到底無理な事だった。
途中誰ともすれ違わなかったのは、この人の計算なのだろうか。声も髪の色も背も何もかもが違うが、瞳の色だけは変わらない。
青い瞳の猟犬。
歩いて、歩いて、歩いて止まり。パッと離した手を挑戦的に差し出す。
「ここでいい。五分──この茶会でお前が姿をくらましていられる時間だ。…………手短に色々聞かせてもらおうか」
「何故、貴方様が……!?」
愕然とした。そこにいるのは可愛らしい少年召使いなどではなかった。
──セルザリス帝国密偵部隊隊長、その人だ。隊長直々に現場に来ることなんてあるのか、聞いたことがない。私の密偵活動が想定より進んでおらず痺れを切らしたのか? 私はエミューの役から下ろされるのだろうか? 色々な考えが頭の中で渦巻く。震えながらスカートを握りしめる私を青い瞳が見ている。
「…………なんだその有様は。中途半端に自分が出てしまって引っ込みがつかなくなっているんだろう。駄目だな」
「ま、待ってください私まだやれます! 必ず成功させます、ですから……!」
「声が大きい」
思わず自分で口元を抑える。そうだ、場所をわきまえろ。もし誰かに聞かれでもしたら、その後何があろうとアウトだ。隊長が話を始めるくらいだから、本当に近くにはいないのだろうが。
「別に……クビにしに来た訳じゃない。お前みたいなケースよくあることだ。様子見だよ」
「……本当ですか?」
「ああ。──ただ、このままでいられても困るから話をしに来た。鳥でも良かったが……丁度良いタイミングで茶会があったからな。この目で現場を確認したかったのもある」
隊長は私の少ない報告書と、たった十数分会場にいただけで現状を的確に分析してしまった。
今回の茶会は、茶会とは名ばかりのオークション会である可能性が高い。客は皆仕事のできる召使いを品定めしている。勿論顔や、年齢といった質も考えているだろう。隠語で値段が決められ、後日納品される。人身売買の証拠を掴むなら納品の前後が絶好の機会だ。
それから、グラムラウトには十分警戒をするようにと。隊長は彼の存在にすぐ気付いていた。私は今日のように人が多い日では彼の姿を全く捉えることは出来ないのに。
「ああいう人間は活用できれば良い駒にもなる。寂しさにつけ入れ、さもなくば遅かれ早かれ奴は任務の障害になるだろう」
寂しい? その一つの形容詞が嫌に耳に引っかかった。隊長はグラムラウトの何を見て、彼が寂しさを抱えていると判断したのだろう。……やはり目か、特徴的なのはそれだけだ。しかしあの眼光は、人を殺したことがある人間のものであってそれが寂しいとは───────
「…………?」
「どうした」
「隊長、どうして彼のような人間の目を『死んだヒヨコの目』などと言ったのですか?」
「は?」
これは、任務と何の関係もない質問。
下手をすれば全く話を聞いていなかったと思われても仕方ない阿呆な質問だ。しかし私には大事な事だった。
初めてグラムラウトに見られた時、獣のように鋭く恐ろしい光に心臓が止まると思った。人を殺してしまった人特有の光だ。それは本来死んだ雛鳥のイメージとはあまりに乖離したもの。
この矛盾がどうしてか引っかかる。放置してはいけない気がした。
急に言葉尻が強くなった私の圧力に、隊長は二度まばたきした。予想外の方向から殴られたと言いたげだ。隊長が困ったような顔をするのは珍しいことだった。この人も、普段はあまり表情の変わらない人だから。
呆れてはいるが、咎めないでくれるらしい。
「今重要なことか?」
「はい」
「…………色々、思うことがあって口に出た言葉だ。あの時の心情を今全て語るにはもう時間が無い。殺人鬼とヒヨコの共通点を探してみろ。それが答えだ」
「共通点……?」
「もう五分だエリュシュカ。最後に言っておく。俺たちは大義のために動いている。その為に個人を切り捨てることは多々あることだ。それが他人であっても自分であっても」
特大の謎を残して隊長は早口に話をまとめにかかった。
「お前は勘違いしているのかもしれないが、売られた召使いを助けることは最初から考えられていない。
この任務は情報が広まらない内に裏で片をつけるのが目的だ。色々知ってしまった召使いは、同じく裏で片付けられるものなんだよ。この屋敷にいる人間も、取引に応じている人間も……誰一人として助けたいなどと思うなよ。
お前の任務は物的証拠の回収、肝に銘じろ」
「はい」
ユトとの関係も全て見透かされている。これは事実上の最後通告だ。私がこれからも迷い、任務に支障をきたすようなら……私は使い道のないゴミなのだ。殺人鬼とヒヨコの謎も考えたいが、そんな余裕はないかもしれない。
隊長はまた少年召使いに戻ってしまって、私たちは会場へと戻る。私も切り替えよう、暗い顔をしていては怪しまれる。
隊長の計算した時間ギリギリだった。帰り道も誰とも会うことはなかった。
「そういえばメイドさん、知ってますか」
「何ですか?」
私もエミューのつもりで応答する。もう会場の中なのだから、変な話はしないだろう。自然に少し話して別れよう。きっとユトがお盆三個持ちとか挑戦し始める頃だろうから。
「対戦中だった南の国で国王が謀殺されたそうですよ」
「えっ……?」
今度は私が予想外のアッパーを食らった気分だった。
「下手人は英雄を語り王宮で富を貪っていた少年だとか。新しく就任した若王と皇帝陛下が終戦と同盟再建の調停をした際に、帝国軍がかの少年を探し出し捕え南の国に渡したらしいです。どこの誰か分かりませんが、おかげで一つ戦争が減ったというものですね」
「少年は……」
「広場で処刑されましたよ。よくあることです」
よくあること。
隊長は私にも最初同じことを言った。何故、彼がわざわざこの話題を最後に話すのか分かっていて胸の奥がぎゅっとなる。
ついこないだ思い出していたばかりの少年、彼は任務を大成功させたにも関わらず殺された。私もこの任務が終われば殺されるかもしれない。代わりはいくらでもいるし、元より私たちはいなくなっても問題がない存在に過ぎないのだ。そこにあるのは使えるゴミか、使えないゴミかの違いだけ。
身をわきまえろと、隊長は言いたいのだ。
友達だとかは作るだけ自分が辛くなる。殺されないにしてもいずれ来る別れは決して清々しいものではない。現在進行形で私は全員を騙し欺いているのだから。それをもっと自覚しろと、言われている。
──愛想が悪くて、そのくせ腕っぷしだけは異様に強い、嫌われもの。彼もきっと、友達なんて一人も作らずに、笑うことなんてもっとできず孤独な最期を迎えたのだろう。それが有能か。それが私のなりたかった有能な人間か。
私は微笑んで声を弱々しく絞り出した。
「そうですね、よくあることです」