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友達ごっこ

「エミュー、お茶会のこと内緒にしててごめんね。何回もしてるんだけど、『秘密』だったから……」


「ううんいいよ。ユトの焼いたブリオッシュ、世界で一番美味しかった。あれは秘密にしたくなる味だね」



 夕方。私たちは同じベッドの隣に座ってお話をする。思い返せば、今でも舌の上をはちみつが流れていくようだった。これがオレンジティーとも良く合う。お嬢様との長い雑談は貴重な機会なのでしっかり思考を巡らせていたが、直前の緊張をユトが解してくれなければそうはできなかった。結局、お嬢様は何の情報を漏らすこともなかった。流石に口が堅い。



「グラムラウトさんはいつも食べないの? あんなに美味しいユトのお菓子と紅茶を?」


「そうなの! いつもドアを開けてくれるんだけどね、そこから動かないの。一回でいいから食べてくれないかなぁ、そしたらきっと次も食べたくなっちゃうのに。顔が溶けてユルユルになっちゃうんだよ」



 私はあの仏頂面がふにゃふにゃになるところを想像して、思わずブフッとなる。確かに私も気張らないと頬が落ちそうだったけれど。



「あっ!? なんで笑うの!」


「ふふ、想像したら面白くて……」


「私は本気だよ! だってあの人いつ見ても同じ顔なんだもん。幸せ〜って顔して欲しくない?」


「……そう?」


「そうだよ!」



 ユトはムッと頬を膨らませた。私はそれも可笑しく思う。日を重ねるごとに、夜の会話は情報収集から他愛ないものを変わっていく。きっと良くない変化だ。



「随分彼のことを気にかけるね。私はああいう人はそっとしておく方が良いと思うけど……」


「なんかこう……ぐああってしない? あの人別に怖い人じゃないんだよ、人嫌いなわけでもね。ただ目つきが鋭いから怖がられちゃうの。だからこう……自然に笑えるようになれば皆もっとあの人のこと分かってくれるんじゃないかって思うとぐああってなるんだよね……」


「ぐああ……?」


「ぎゅおおでもいいよ」


「よく分からないけど……何? ユトはグラムラウトさんのことが好きなの?」


「ほ」



 一瞬で耳が真っ赤になる彼女を見て、適当に言ったことが当たったのだと確信する。驚いた。ユトは万人に優しく、恋愛には疎いほうだと思っていた。あの男のどこに惚れたのだろう。

 ユトはごみょごみょ早口で言い訳を飛ばしたがもう遅い。私が何も言わずにいると勝手に自白を始める。



「うん……好き……あっでも内緒にしてよ!? お嬢様や本人には勿論、誰にも! メイド長にも!」


「うんうん」


「あの人ね、いつも暗い所にいるんだよ。廊下の影とかね、最近見つけられるようになったんだけど。こっちが気付くと水でいっぱいの重いバケツとか、運んでくれる時もあるよ。路地裏出身のメイドがお嬢様の護衛に恋なんて、夢見がちにも程があるけど、せめて一回くらい笑った顔が見たいなぁって……思っちゃう……っていうか……それが私のお菓子でだったら……なんて……」


「……」


「お嬢様と私の間にはきっと越えられない高くて分厚い壁があって、違う世界に住んでいるんだと思う。同じように、きっとあの人も私とは違う世界にいて、その壁を超えることはできない。でも小さな覗き孔がどこかに空いてないかなって毎日壁の前を歩き回っちゃうんだよね、たはは」



 私は彼女の言葉に聞き入っていた。私とユトだって違う世界に生きている。私も今、覗き孔を探しているのだ。貴方と友達になりたくて。


 私は無責任なことを言った。



「きっと笑ってくれるよ。ユトの思いは絶対伝わる、伝わらない訳が無い。ユトの恋は、叶うよ」



 自分を悪魔だと思った。

 私は全て知っているのに。この屋敷の中の全ては嘘であり、召使いは違法に売られ、感情どころか命さえもが踏みにじられること。

 そして、『死んだヒヨコの目』のグラムラウトは、恐らく全てを知っていること。

 任務の為に知らない演技をしたわけではなかった。()()()()()()()()()()()彼女の喜ぶことを言おうとしたのだ。


 それなのに、言うな私に「ありがとう」も「大好き」も。微笑むな、抱きつくな、ベッドの上で跳ねるな。罪悪感が私の笑顔をズタズタに切りつけた。



「私エミューみたいな友達がいて本当に良かったな」


「私たち友達? 本当に?」


「えっ違うの? 私は初日からその気だったのに」


「そっか。……そっかぁ」



 ユトが友達だと思っているのはエミューだ。私では、エリュシュカではない。そもそもエリュシュカはまだユトと知り合ってすらいないのだ。

 私は貴方と友達になりたい。私が貴方と友達になりたい。


 その時、ドアが開いた。ゼシルだ。



「……?」



 ゼシルは眉間にシワをよせ、震えるほど強く手を握りしめていた。そして、私に向かって牙を向くように口を開きかけ、閉じ、目をそらす。



「……ゼシル?」



 ドアに背を向けるようにして私に抱きついてきたユトが彼女の存在に気付く。そして私から離れ時計を確認すると毛を逆立てて飛び跳ねた。ユトは祖先に猫がいると思う。



「わぁ、もうこんな時間! 呼びに来たの? すぐ行くから先に戻ってて!」



 私もつられて時計を見れば、それはユトの仕事の時間から十分も過ぎている頃だった。話し込みすぎた。足がもつれそうなほど大慌てでユトは部屋を出ていく。またね、と子供みたいに無邪気な笑顔で振られた手が名残惜しい。

 遠ざかる足音が聞こえなくなってから、紙とペンを取り出す。


 一昨日も昨日も報告を出せていない、今日こそ書かなくては。そう思うのに、ブリオッシュの味だとか、他愛ない会話だとかそんなものしか浮かばなくて。涙が零れそうになる。


 密偵隊、失格だ。


 …………。



 ──そういえば、()()()は元気だろうか。


 悲しくなっていたらふと、密偵隊で見かけた少年のことを思い出した。自分が密偵であると意識しようとして、一体どこまで過去を遡ったのか。


 ──愛想が悪くて、そのくせ腕っぷしだけは異様に強い、嫌われもの。何度か声をかけたことがあるが一度も返事をしてくれたことがなかったな。グラムラウトと断られ続けるユトを見ていたら何となく彼のことが頭をよぎったのだった。


 ただの気まぐれだったから、私はすぐに声をかけることをやめてしまったけれど。確か今、彼は私なんかよりもっと重大な任務に行っていたはず。


 きっとあの子は私よりずっとずっとずっと有能だ。あの子だったらこんな任務にあっという間に終わらせたのだろう。

 私はエミューになりきれてすらいないというのに。かといってエリュシュカでもない。



「情けない……」



 私がこの館の闇を暴かなければならないのに、私が強くあらねばならないのに。友達だなんて言っている暇はないのに、どうしてこんなにも私は意志が弱いのだ。


 紙を丸めて、髪を掻き乱して、神に救いを乞うたとして、答える声はない。


 私は一人だ。

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