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楽しい秘密

「エミュー、ここでの暮らしには慣れたかしら」



 屋敷を掃除していると、時々お嬢様が話しかけてきた。

 潜入捜査一週間で気付いたこと、彼女が屋敷内にいることは珍しかった。お忍びと称し街へ出かけたり、お茶会に招待されている為だ。そろそろ婚約者ができてもおかしくない年齢、花の乙女の足取りは軽い。その花には毒がある訳だが。


 私は深く頭を下げる。お嬢様が私を気にかけるのは心配などではなく、品質管理の為だろう。彼女は私の髪をとって触ってみたり、血色を確かめる。



「おかげさまで随分仕事も覚えてきました……!」


「それは良かったわ。メイド長からも、貴方は手際が良いし、融通も利くと聞いているの。……あら、たんこぶがあるわね。どうしたの?」


「これは……その。ゼシルとぶつかりまして」


「……頭同士で?」


「はい……」



 私自身、何を言っているのかよく分からないが実際そうとしか言いようがない。まさか唐突に頭突きをされると、誰が予想できただろう。私は特別動けるわけではないから物理的に来られると弱い。



「全く、ゼシルは……いい加減考えものね。あの子、うちに来たときからああなのよ。夜になっても腫れが引かなければ見せにいらっしゃい」


「ありがとうございます。でも大丈夫です、大したものじゃないので……」


「そう?」



 細い指を頬に当て愛らしく首をかしげるお嬢様。お人形さんみたいだった。

 ふと、この人はどうして人身売買なんてするのだろうと素で考えた。そんなことをしなくてもこの屋敷は十分なのに。食べるものも最高級に近く、ドレスも、宝石も、何だって持っているというのに。一体何故、危ない橋を渡ってまで今より上を目指すのか。

 その辺りも調査を進めれば分かるだろうか……一週間では深く込み入ったところまではまだ手が届かない。精々使用人達の動き方の把握と、屋敷のルール、旦那様とお嬢様の日課くらいなもの。


 どこにメスを入れれば秘密は顔を見せてくれるだろう。



「そうだわエミュー、これから私の部屋へ来てちょうだい。ユトとお茶をするの、貴方も参加して」


「お茶……ですか」


「そうよ。知っている? ユトはお菓子を作るのがとっても上手なの。時々彼女にお菓子を作らせて秘密のお茶会をしているわ」


「何故秘密なのですか?」


「だって、普段通り専属のシパティシエ達が3時のお茶会を用意してくれているのに……その他にまたやっているなんてバレたらお兄様が怒るわ。太るぞ、ってね」



 お嬢様はもう少し太られても良いのでは? だってあまりに繊細で、ガラスのように脆そうで。……なんて、口にするのは止したけれど。

 それにしても、嬉しい申し出だ。お嬢様と旦那様の部屋はメイド長が掃除しており、私たちは覗くことすらままならない。私は二つ返事で了承した。


 蝶のように揺れるドレスの裾を追うように私は後ろを歩く。調査を進められるかもしれないという期待を胸を膨らませて。きっと今日は報告書を書ける、私が有用だと隊長に分かってもらえる。

 お嬢様は美しいドアの前で足を止めた。



「さぁ、入って」


「はい……!」



 開かれたドア。

 絢爛豪華な貴族の生活空間、大きなベッドも気にならない広い部屋はレースや金縁幾何学模様で飾られている。庭を見渡すことが出来る窓辺には赤くて柔らかそうなクッションのついたイスと猫足のテーブル。

 なんて優雅な世界なのだろう。この屋敷に来た時も思ったが、私が正しい生き方をしていたら絶対に目にすることができなかったこの世界は、一体何なのだろう。すぐ触れる所にあるのに、あまりに遠くに感じる。興奮よりも虚しさを覚える。

 私なぞが触ることを許されるという事実が、甘い罠のように思えてそれ以上先に進むことは憚られた。

 ドア一枚が、こんなにも厚い。



「どうしたの?」


「あっいえ……あまりに素敵なお部屋でしたので、つい」



 お嬢様が窓際から声をかける。逆光で顔はよく見えなかった。私はハッと、私からエミューに戻って踏み出す。すると背後、勝手にドアが閉まる。

 驚いて振り返ると、私は今の自分に余計なことを考える暇は少しも無かったのだと改めて思い知らされることとなった。


 まず、目がいったのは腰の剣。それから、窓からの光も微かなドアの前で鈍色に光る剣のように細い瞳。───獣かと見間違うほど、それは鋭い。

 そこには男が一人立っていて、私の代わりにドアを閉めたのだった。



「グラムラウト。貴方もこちらをおいでなさいな」


「いえ……」



 お嬢様が笑って手招きしても、男は顔色一つ変えず小さく口を開くだけだった。

 私は混乱した。グラムラウトと呼ばれたこの男は何者だ。剣を持ってお嬢様の部屋にいるなどと。屋敷内でこんな奴とすれ違ったことは一度もない。

 歳は二十代の前半だろうか。無口そうで、目だけが忙しく何かを捉えている。……私はこの目を見たことがあった。それは皇帝陛下や、暗殺部隊の子達と同じ光。人を()()()()()()()人特有の不思議な光。


 隊長はこれを『死んだヒヨコの目』と言っていたっけ。



「ああ、そうね。そういえばエミューはグラムラウトを見るのは初めてじゃない。彼は私の護衛よ。あんまり顔が怖くて周りが怖がるからね、普段は少し離れたところにいるのよ。けれどいつもいる。ふふ、とても足が早くて、影が薄いの。エミュー、貴方グラムラウトが入ってきたことに気が付かなかったでしょう」



 護衛。確かに、この屋敷では見かけたことがなかった。それがまさかこんな曲者とは……。私の中には安堵と焦燥が同時に生まれる。細かい探りを入れる前に彼の存在に気付けて良かったということ。そして、存在を全く感知できない人間がいる中で隠密行動をしようなんて甚だ愚かしいということ。彼を知ってしまった以上これまで以上に情報を探すのは難しくなる。

 本当にお嬢様の近くにいつもいるのか、それとも屋敷を巡回しているのか……私には分からないのだから。


 ダメだ、それでは……私は何も果たせない!


 冷や汗を一粒流して、私はお嬢様の向かいに座った。グラムラウトはドアの側から離れない。ぐるっと見渡すとお嬢様は「緊張しないで」と、猫なで声。膝が震え出しそうだった。

 その時、突然グラムラウトがドアを開ける。その謎めいた行動に困惑を深めていると、メイド用の赤いスカートが廊下に見えた。



「あっグラムラウトさんありがとうございます! 助かりました!」


「良いタイミングでお菓子が来たわね」


「お嬢様、お茶もお持ちしましたよ……ってあれ、エミュー!」



 お盆に大きなブリオッシュとティーセットの乗せてぱっと笑う彼女がいた。慎重に、しかし急いで私たちのいるテーブルまでやってくる彼女に私はこの心の底から感謝した。



「ユト……!」


「エミューがいるなら、カップがもう一つ必要だね。三つしか持ってこなかったの。……グラムラウトさん!今日こそは一緒に飲んでくれますよね! オレンジティーはお好きですか!?」


「……いえ」


「ふふ、貴方がいつも紅茶もお菓子もグラムラウトの分まで用意するから、おなかいっぱいになっちゃうでしょう。だからエミューを呼んだのよ」


「えぇー、こんなに上手に焼けたのにどうして食べてくれないんでしょうか。見てください、今日はハチミツをたっぷりかけてきたんですよ」


「まぁ、甘くて美味しそうね」



 ユトが天使のように見えた。たかが情報源に過ぎないと思っていたはずの彼女を、こんなにも待ち望んでいたなんて。ユトは私の考えなど知りもせず、純粋無垢に、楽しそうに紅茶をカップを注いで座る。湯気が上がる。



「さぁ、お茶会を始めましょうか」

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