大義を守る
「失礼致します」
夜も深まり宮殿からも月以外の明かりが消えた頃。小声で挨拶し室内に入れば彼は窓辺から外を眺めていた。
「まだ起きていらしたのですか」
「寝ていると思うならこんな時間に来るな」
こちらを振り返る、星と同じ銀色の髪の青年。未だ寝巻きにすら着替えておらず、今夜も眠れないのだろう。残虐非道な若王、小国をわずか二代で列強に押し上げた賢王と囁かれるには些か儚く人間らしい姿である。
彼こそセルザリス帝国第二代皇帝ガウイス。俺の主君である。
「何の報告だ」
「件の違法人身売買ですが、明日にも動くことができます。ただ主犯兄妹については……」
「今日屋敷が燃えていたそうだな。お前の隊員が行っておきながらどうなっている?」
「その隊員が主犯でしたので」
は? と言う顔をされる。俺だってまさか、屋敷を燃やしにかかるとまでは予測していなかった。
「担当隊員エリュシュカ・フォンセルビートは処分致しました。密偵隊の過失、心よりお詫び申し上げます」
「フォンセルビート…………あの奴隷商か。お前、わざとこの案件とぶつけたな」
「…………」
エリュシュカ・フォンセルビートは奴隷商の娘だった。
フォンセルビート夫妻は奴隷に対し寛容な方ではあったが、優しく正義感の強い子供だったエリュシュカは親の仕事を理解できなかった。物分りの悪い娘に夫妻は厳しく、他の兄弟達に比べられ彼女は家の中で孤立していたと聞く。
そしてエリュシュカは寂しさを埋める相手を奴隷に求め、一人の仲の良い子供奴隷を解放する為に親を刺殺してしまう。
初めて会ったエリュシュカは血まみれで、パニックになりながら逃げ走っていた。殺すつもりはもちろんなかったのだろう。自分でも何をしてしまったのか分からない恐怖心、閉塞と孤独の中で湧き上がった悪意の衝動、全てから逃れようと泣きながら走っていた。
そこに俺が居合わせたのは全くの偶然であった。暗い道から飛び出してきて、最初は訳が分からなかった。
この子はもう明るい世界で生きていけないだろうと思い、密偵隊に引き入れることにした。陛下は人に催眠をかけることができる。彼女の記憶を忘れさせ、フォンセルビート一家には一連の事件は強盗によるものと伝えられた。夫妻と同じくその場に居合わせたエリュシュカは刺殺されたが、あまりにも死体が惨く見ない方が良いとして。
結局子供奴隷は他に売られて行ったし、彼女のしたことは何にもならなかった。ただ心に負った深い傷は記憶を失っても治らず、ずっと死んだヒヨコのような目をするだけだ。
陛下の催眠は完璧ではない。強い衝撃や、過去に繋がるきっかけを見つけると解けてしまう場合がある。だから、エリュシュカが今後密偵隊でやっていけるか見極める為にこの件とぶつけたのだ。記憶が戻らないか、大義の為に少数を見捨て、冷静に判断ができるか。
まさか思い出してもいないのに昔と同じ選択をするとは。どこまでも人のためで、甘くて優しい。けれどそれは何より自分のためでもあるのだろう。深く後悔しておきながら、それを最善だったと言う彼女の気持ちは分かりたくない。
陛下が窓を開けバルコニーに出、手招きするので横に並んだ。
「どんな最期であった」
「笑顔でした」
「密偵隊員の最期を聞くといつもそれだな。何故皆笑う」
「……分かりかねます」
メイドと騎士の存在を言うのは何となくはばかられた。処置はしてやったが……それでも騎士は危険な状況であったから、今どうなっているかは知らない。生き残っても、この事を口外するほど馬鹿ではないだろうから放っておく。もしそうでないのなら……俺の過失だ。
「毎日帝国の為に誰かしらが死んでいる…………俺は死ぬ時笑顔でいれそうにないな」
「……陛下はそもそも、滅多に笑われないではありませんか」
「そうだな、笑えるものも笑えぬよ。この世のものは全て灰色だ」
そう言って遠くの暗闇を見る目の光。俺が初めて死んだヒヨコの目だ、と思ったのはこの人だ。富も財宝も地位も全てを手にした人であるのに、なんて空虚なことだろう。
いくつもの国を制圧し、敵を処刑台に送り込んだ冷徹な人間として彼を片付けるにはあまりに寂しい。昔からお仕えしているが、日ごとに陰りを増し孤立していく様は見ていられない。
「その密偵は己の心に嘘をつかなかったのだな」
「おそらく」
「それが最も大事なことだ。だが同時に難しいことである。例え己が身を破滅を向かわせると分かっていてまでそれができる人間はなかなかおらぬし……したいとも思わぬか。傍から見ればタダの阿呆だ。本人は幸せなのだろうが」
「幸せとはどうにも難儀なものですね」
「そのようだ。そもそも俺は手に入れたいとも思わないが……人は幸福を手に入れるためなら平気で不幸になる。矛盾に嵌っていることにも気付かず愚かな事だ」
ハッと馬鹿にしたように鼻で笑ってバルコニーの手すりを指でトントンと叩く。この人は顔より指の方が感情豊かだ。
……幸福を手に入れるために不幸になる、というのも色々なケースがあるが、陛下は今戦争のことを言っているのだろうか。北の国々では飢饉の為に食糧戦争が起き多数の犠牲を出しているという。兵士の為に食糧を集めるから市街地では最初より多くの餓死者を出し治安の悪化も招いている。
次に攻めるとしたら北か、なんて思う。弱っている国を叩くことは簡単だ。最近ようやく、陛下の帝位継承にイチャモンをつけてきた南の国との争いが終結したばかりだというのに忙しない。
「近々、件の違法人身売買を行った輩の粛清も兼ねて国内を整備しよう。最近は貴族派がうるさい。偽装工作に関してはまた追って連絡するので鳥を使うように」
「はい」
「それが終われば密偵隊の増員を行おう。同盟国や属国も増えた、監視の目はいくらあっても足りぬ」
「承知致しました」
「それも終われば次の戦だ。北に偵察隊を送れ。次は失敗させてくれるな」
俺たちは戦いの中、嘘の中でしか生きられない。幸せになった人間から死んでいく世界だ。エリュシュカはその世界の境界線を越えようとした。そして見えない壁に阻まれ、異なる世界で死んでいく。俺もいずれ死ぬだろう。それでも、決してこの人を一人にしてなるものか。例え何人死のうとも、この人とこの人の帝国は守る。
「地獄の果てまで貴方様に付いて行きます」
「はは、この俺を地獄に落ちる前提で話すのは、お前くらいなものだな」
ガウイス帝は臣下の礼をとった俺の頭を鷲掴みにする。いつまでこの人は俺を子供と思っているのか。
まぁ、いつまで生きているか分からないのだからそれでも良いかと思った。
…………今日は星が綺麗な夜だ。