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爪先歩き

「隊、長……? 何故ここに……」


「屋敷が燃えているようだが、弁明は?」



 立ち止まると途端に膝から力が抜けてその場にへたりこんだ。口を開くより先にドォン……と大地が唸るような鈍い爆発音が地下通路を反響して耳に届く。

 胸が痛い。もう指先ですら動かす力も残っていなかった。霞む視界、ぼんやり青い光しか確認できない中私は必死に目を合わせて強く言った。



「私が燃やしました」


「……物的証拠は」


「それも、燃やしました」


「ふざけるなよ」



 隊長はすぐ前までやってくるとしゃがみ、私の眉間にぴったり銃口を突きつけた。そして懐から一枚の紙を取り出して見せる。



「俺を介さず、直接秘密研究室に手紙を送ったな。そこまでして一介のメイドを助けたかったか」


「はい」


「その為にお前が罰を受け、眉間に穴を空けられてもか」



 ゴリッと押し付けられた金属と骨が当たる音がする。今引き金を引かれれば、いとも簡単に命は吹き飛ぶ。まだ死ぬわけにはいかない、少なくともグラムラウトの止血を済ませなければ彼は死んでしまう。

 トリガーに指が触れ、万事休すかと固く目をつぶる。


 ────しかしいつまで経っても私は生きていた。


 恐る恐る片目を開けると、ひらりひらり。白くてふわふわした何かが落ちてきて隊長の手に触れる。……鳥の羽?

 見上げると、密偵隊連絡用の鳥が降りてくるところだった。私の鳥じゃない。隊長は拳銃を下ろすことなく、反対の手を差し出してやった。すると鳥はそこに止まり手紙を差し出す。

 チラリと冷ややかに私を一瞥し、彼はようやく拳銃を下ろし手紙を取る。そして素早く目を通すとそれを私にも見せてきた。



「これはどういうつもりだ?」



 私はすぐにそれが何だか理解する。

 つらつらと書き出された貴族商人達の名前、日付、金額…………。間に合わないかと思った。本来これはユトとグラムラウトを送り届け一人密偵隊に帰った後に話をつけようと思っていたことだ。鳥番には本当に感謝しなくてはならない。機転を効かせてくれたのか。秘密研究室に手紙を届けてくれたのも、火薬と睡眠薬を鳥に付けて届けてくれたのも鳥番のおかげだった。

 ともかく、これで首の皮一枚繋がった。



「それは顧客リストと取り引きの履歴の、()()です」



 隊長の眉がぴくりと動いた。



「本物では、ありませんので。証拠的な価値はありませんが……十分ですよね?」



 密偵隊はきっと、情報はとっくにほとんど掴んでいる。私が最後になってようやく知った隠し通路の出口に隊長が待ち伏せしていた事がその最たる証拠。

 私はただ、最後のピースを埋めることだけを求められていた。これまで集められた情報が真実だという、裏付けが取れればそれで良かったのだろう。


 いや、もしくは。


 そもそも最初から何も、期待されていなかったのかもしれない。

 全ての情報を掴んだ上で、同じ情報を取ってこれるか否かテストされていたのかもしれない。私が密偵隊を裏切らない人間かどうか判定する為の。


 ──こんな大仕事を任せてもらえるのは私達の中でもエリート十数名だ……なんて。あまりに馬鹿らしい勘違いだったと改めて痛感する。そうだ、密偵隊は大事な任務をエリートにしか任せない。こんな風に私情で揺れ動く人間から確かな情報を得られると思うほどポンコツな組織ではないのだ。

 逆にユトを見殺しにして任務を遂行していれば、私はこの先一生帝国を裏切ることもなかっただろう。

 それがこの密偵隊の、有能な人材の作り方。


 そう考えれば全て納得がいく。ならば私がどう頑張ったって旦那様とお嬢様は救えない。

 だから、屋敷を燃やすしかなかった、密偵隊の予想外を作るしか。



「地下も崩れてしまって、負の財産は全て闇に葬られました。今回の火事は大事件で、すぐに人々の噂になることでしょう。この屋敷は注目の的になる……ある日突然原因不明の火事で全てを無くした若く美しい兄妹の悲劇として」


「……まさかあの二人まで守るつもりだったのか? しばらくは手を出せないとしても……それは永遠ではないというのに」


「二人はそれほど大きな貴族ではありません。足りない資金は人身売買から得ていた……何も手を加えずともすぐに没落していくと思われます。もはや政治的価値はありませんし、暗殺などかえって噂を盛り上げかねません」


「全てがお前の筋書き通りに進むと思うなよ」


「この火事で屋敷を中心に渦巻いていた闇取引は必ず乱れを見せます。彼らの目には旦那様とお嬢様が商品に勘づかれて復讐されたのではと映るでしょうから。そして世間の目は悲劇の兄妹へ向けられ、多少他が()()()くても気にとめられず……人身売買の話が表に出ることも無い。

 私の筋書きは夢物語でしょうか?」



 私が一番してはいけないと思ったのは、取引先を放置することだった。そこを潰さない限りゼシルのような不幸な人間が増える。いくらグラムラウトの条件でも旦那様とお嬢様が何の罰も無いというのもおかしな話だし、夢物語の甘い筋書きでもこれが最善の選択だったと信じている。


 隊長は深くため息をつき、再び拳銃を持つ手を上げる。



「ヒヨコが生き返ることもあるのだな」



 そしてその拳銃の持ち手を私に差し出す。鳥が飛び去って舞う高い空を映して切り取った瞳は宝石のように美しいのに、どうして今貴方を死んだヒヨコと思ってしまうのだろう。



「落第点だが、チャンスをやる。お前は今回の任務の真意に気付けていたようだし、筋書きも甘いが悪くは無い」


「え……?」



 花を触るような優しい手つきで拳銃を握らされる。

 そしてその標準は───────グラムラウトのこめかみに合わせられた。



「殺せ」



 ぶわっと冷や汗が吹き出して戦慄する。ガタガタと逃げ出そうとする指は抑え込まれ離すことができない。唯一自由な人差し指が行き場もなく宙をさまよっている。何故、どうして。



「お前が本当に守りたいのはそのメイドだろう。この騎士を撃ち殺せばその女は見逃してやる。覚悟を示せ。戻ってこいエリュシュカ、今ならまだ密偵隊を裏切ったことを許してやる。爆発は不慮の事故であった、メイドは逃げおおせ……後はお前の筋書き通りだ。それで良いじゃないか、どうしてそれ以上を望む」


「や…………」


「禁固刑くらいにはなるだろうが……死ぬよりマシだろう。自分の命を捨てるな。人間なぞ小さな存在なのだから全てを守ることはできないんだ」



 ──どうして人間は、次々にこんな残酷な選択を突き付けられ続けるのだろう。どうして一つ乗り越えたと思えばすぐ次が来て。それでも、三人まとめてここで消されるよりはマシな選択を勝ち取ったのだろうか。


 目を閉じれば、様々なことを思い出す。密偵隊は皆どこか憂いを帯びていて静かなところだった。それに比べてここは騒がし過ぎて、ユトの笑顔は春を告げる暖かな風のようだった。

 心がぽかぽかして頬が緩んでしまう。赤髪も、ヘイゼルの目も何もかもが遠い世界で、一瞬でもその傍に寄ることができたなら幸せだ。


 私は幸せだった。グラムラウトもこれからそうなるべきだ。



「……グラムラウトの止血、お願いします」


「…………引き金を引いてくれ」


「充分です。…………生き過ぎました」



 いつの間にか手の震えは止まっていた。人差し指は他の指を抑える隊長の手の上に。抱えきれない大切なものの中で、最初に捨てるなら私の命が良い。

 隊長の顔は見れなかった。



「ユトもグラムラウトも旦那様もお嬢様も……できれば他の子達やメイド長も、それから闇取引先潰し…………全部、よろしくお願いします」


「図々しいにも程がある」



 ────その時、神のイタズラだろうか。


 気を失っていたグラムラウトがうっすらと目を開いた。そして突きつけられた拳銃の感覚に気付いたのか全てを悟り受け入れるかのように目を閉じる。


 けれど隊長の手が離れ拳銃も取られると、弾を催促するように再び目を開く。話す力も、指先を動かす力も残っていないようだが……視界は明瞭?


 全く、本当にどうしてこのタイミングで起きれるのだ。けれど、最期を見届けるのが貴方で良かったと少しだけ思う。私は人生で一度もしたことがないような屈託のない笑みをボロボロの顔に浮かべてみせた。


 私、頑張った。


 もしも生まれ変わるのならば、野に咲く一輪の花となれますよう。



 乾いた銃声はさざなみのように広く空に澄み渡った。

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