予想外の提案
まず第一に、グラムラウトはお嬢様の護衛騎士ではなかった。彼は地下へ続く、隠し通路を守っていた。
よくよく考えれば旦那様に専属の護衛がいないのにお嬢様だけに付いているというのがおかしかった。グラムラウトは複数ある隠し通路の入口の警護のために屋敷を巡回し、特にその内の一つの傍に大勢が集まる機会である、秘密のお茶会時には監視を強めていたに過ぎない。
ユトが売られることに焦りを覚えた私は、一か八か強引な賭けに出ることにした。それはグラムラウトの懐柔。
私は『ユトの知る彼の優しい一面』に自分の命をベットすることにしたのだ。もし懐柔に成功すれば新たな情報を得られるだけでなくお嬢様達の行動を制限できるかもしれない。そう思って踵を返し彼を探しに行った。軽率だと、密偵隊長が知れば怒りそうな行動だったがその他に道は考えられなかったのだ。
「グラムラウトさん、あの、物置から運びたい荷物があるんですけど重くて…………ほんの少しで良いのでお手伝い願えませんか?」
騎士に雑用を頼むなんて無礼滑稽烏滸の沙汰。他の使用人に頼めばというところだが、グラムラウトの表情はそれすら語らず静かだった。突然話しかけたことに驚いただろうか? 彼は視線だけで辺りを確認すると黙って物置の方へ歩き出した。
ばくん、ばくん、と一歩踏み出す度に心臓が破裂しそうになる。
グラムラウトの早足に続いて物置に入る。普段使わない部屋だがしっかり掃除は行われており塵一つない。それでも薄暗く冷たい雰囲気までもは雑巾で拭き取ることは出来なかった。
「…………グラ───────」
口を開いた瞬間、重いものが空気を切る音がした。私は反射的に飛び退き背中を入ってきたばかりのドアにつけることとなった。
剣が、突き付けられている。
鋭く光る切っ先はグラムラウトの瞳を呼び起こす。……いつ構えたのかすら、分からなかった。
理解、私はとっくに密偵失格だった。優しくて良い子のエミューの面皮は剥がされているようだ。
ならばと覚悟を決めて、カチャンと扉の鍵を閉める。
「殺す気ですか?」
「…………いえ」
「なら剣を……」
「──警告です」
「……………………警告?」
「これ以上知ってしまうなら、貴方は死にます。ゼシル・バーメルンと同じように」
その瞬間鳥肌が立った。氷を首に当てられた時のような悪寒と、指先が痺れるほどの衝撃。ゼシルが……死んだ? 売られたのではなく?
いや、いや、いや。おちつけ。出方を間違えるな。
「…………剣を、収めてください、商品に傷がつくのは困るのでしょう。例えばですけど、指がない少女の値段は如何程なんですか?」
私が吸い寄せられるように刃に手を伸ばすと、グラムラウトは剣を下ろすことなく一歩下がった。負けじと二歩進み出て切っ先をつまみグラムラウトを睨みつける。こんなもの怖くない、死なんてちっとも怖くない。
「バレているようなので、単刀直入に言います。お嬢様を裏切って協力してください。私は帝国の密偵隊……この屋敷の秘密が日の目を見る日はもう遠くありません。例え私を始末したとして次が送られてくるだけなのです」
「…………帝国の、密偵隊?」
グラムラウトが色を失った。剣を持つ腕がゆっくり落ちていこうとするので今度はしっかり刃を掴む。逃がさない、今更狼狽えても。
彼の勢いが弱まったのは火を見るより明らかで、私はあえて強気に出る。指に血が滲む、ズキズキとぱっくり切れた傷口が痛いが睨む眼光の鋭さだけは必死に保った。私だって、本気だ。
……ここが正念場。
「………………剣を、しまいます。離してください」
「英断です。感謝します」
私が手を下ろすと血の雫が床に落ちて黒いシミを作ってしまった。グラムラウトは苦虫を噛み潰したような顔をする。
……いい流れだ。今度は私が彼を反対の壁まで追い詰め、剣の柄を握る。どうせ扱えっこないが、また抜かれては困る。私はそれすら目で追うことが出来ないのだから。
「ではグラムラウトさん、いくつか質問をさせてください。貴方が協力してくださるなら、貴方への処罰は軽くなる可能性がありま────」
「──貴方は」
「…………はい?」
私の手はいとも簡単に柄から剥がされた。手首を固く捕まれ動かすことも出来ない。このまま握りつぶされてしまうのではないかと思うほどで、グラムラウトの指は微かに震えていた。
怒らせてしまっただろうか。しかしその表情からは何も読み取ることが出来ない。先程一瞬顔をしかめたのも嘘のように、いつも通りの鉄仮面がそこにあるだけだった。
「……………………」
「…………」
「……………………いえ」
開きかけた口をつぐみ目を伏せると、私には分からない何かを否定する。手はすぐに解放されたが鬱血し手首に赤い跡が残っていた。
グラムラウトの煮え切らない謎の態度に僅かに苛立ちと焦りを覚えていた。私が屋敷の秘密に気付いてると知っていながら処分するわけでもなく「忠告」し、自分から剣を抜いておいて狼狽えて、この男は一体何を思っているのだ。それが分からなければどこを切り崩して説得すれば良いか分からない。
「何がしたいんですか? 貴方は誰の味方なんですか? 」
「…………」
「どこで私が秘密を知っていることに気が付きましたか? ゼシルと同じように死ぬってどういうことですか?」
「…………」
「答えてください。貴方に罪悪感はないんですか? 次は誰が売られるか知っていますか? ユトが、貴方にあんなに優しかったあの子がこれからどんな目に合うか分かっているのに何とも思わないんですか?ユトが……」
ユトが、一体どんな気持ちで貴方に。
幸せって顔をして欲しいって。笑ってみてほしいって。
お前を愛したあの子を見殺しにして何も思わないのか。
──言葉を噛み殺して胸の内にしまう。私が感情的になってどうする……。
グラムラウトは「優しく接されるのが、そもそも間違いです」と消え入るような声でぼそりと呟いた。そして私が反論するより先に八の字眉で微笑み言った。
「ゼシル・バーメルンは俺が解体しました」
磨りガラスのような瞳はまるで生きている気がしない。
飼育小屋の隅っこで知らないうちに力尽きているヒヨコのような、誰も気に留めぬ存在の。明確に迫る自身の死までは理解していたのに、いざ死んでみるとそのことに気が付けずただ横たわり、遠く遠くを見ているようで実は何も見えていない虚しさ。
そんな、澄んだ光の瞳。
私はなぞなぞの答えを理解した。殺人鬼と死んだヒヨコの共通点、それは言いようのない『虚無感』である。絶望とも言い換えられるほどの、あまりに惨い空虚さである。
例えどんな快楽殺人鬼であっても時折その光を見せる。手を付けられない獣に例えられる犯罪者たちも、所詮体を大きく見せているだけのヒヨコだ。
人を殺した人間は必ずどこかに『死にながら生きているような虚無感』を覚える。隊長は、それを「寂しい人間」と言ったのだろう。
「買い手がつかないまま一定期間が過ぎると、臓器売買に回されます。その解体所が……貴方の探す地下室です。彼女の兄も少々問題行動がある人で仕事を抜け出し逃げ隠れる内に……地下室の扉を見つけてしまった。だから解体された。まさか秘密を手紙に書いていたとは気付かず、失態です」
「…………あの夜の私達の話を聞いていたんですね」
「騒がしかったので」
「臓器にまで手を出していたとは、本当に悪逆非道の兄妹ですね。何故彼らに協力するのです」
グラムラウトは答えなかった。
彼は解体好きの変態では無さそうだし、大金をもらっているわけでもない。ならば何が彼をここに固執させるのか。何が彼を絶望させたのか。
「貴方が秘密を持ち帰れば、旦那様とお嬢様は……」
「私の知るところではありません。けれど牢屋送りになったなら、きっとマシな方でしょう」
彼はそのまま、五分近くも黙りこくった。
こんなに長い時間姿を眩ませていてはメイド長にバレるかもしれない、そんな不安を唾と一緒に飲み込んで待った。グラムラウトの中で何かが揺れ動いているのを感じたからだ。
やっと出てきたのは、意外な言葉だった。
「取引をしませんか。応じてくださるのなら、知っていることを全て話します」
私は思わず「え」と声を漏らした。
「……貴方は私に何を求めるんですか?」
「旦那様とお嬢様が穏やかに暮らしていけることを」
「その取引は成り立ちません。私が秘密を暴くことと二人の平穏な暮らしは両立できないじゃないですか」
「……今まで慎重に事を進めていた貴方が、急にこんな大胆な行動を取るようになったのは……急いでいるからではないんですか。ユト・マーニュが売られてしまうから」
「……」
「このままだと間に合わないんじゃないですか?」
痛いところを突いてくる。そうだ、私はユトを助けたい。
帝国の大義の為に任務を果たせば二度とそれは叶わない。隊長は言った、全てを表に出さず葬り去る為に召使いであってもひそかに消されるのだと。どう考えても、ユトを救うには彼女が売られる前に私が帝国を裏切り行動する必要があるのだ。
グラムラウトの提示した取り引きには何の矛盾もなかった。
「深夜零時にここで答えを聞かせてください」
グラムラウトの言葉に一言「分かりました」さえ返すことが出来なかった。
メイド長が私を呼ぶ声がして、逃げるようにその場を後にした。